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性別適合手術したIVANの現在: ブレイクの背後にある真実と展望

芸能人

IVANのルーツと多言語の背景

ファッションモデルのIVANさんは、モデルの仕事を18歳からスタートさせているのでモデル歴20年だそうですね。芸能界には小学校6年生から入っているので業界歴はもう30年になるそうです。

IVANさんは母親がメキシコ人で父親がスペイン人と日本人のハーフだそうです。生まれたのはメキシコですが、生後8ヶ月の時に日本に来て父方の祖母がいる奈良県で幼少期を過ごしたそうです。

母親が5回結婚しているそうで、小学校くらいから父親が変わるたびに埼玉や東京など住む場所が変わったそうです。かなりファンキーな母親ですよね。

そういった家庭事情もあってIVANさんは、日本語、スペイン語、英語の3ヶ国語を喋れるトリリンガルだそうです。言葉を喋れるのはどこの国でも活躍できそうで良いですよね。

IVANさんは勉強は得意ではないけど複雑な家庭環境もあって言葉だけは自然と喋れたので、色々な場所で言葉が通じないストレスが無くて母親には感謝しているそうですね。


IVAN/大ブレイクの裏で性別適合手術/婚約した俳優Nと破局…

性自認への目覚めと中学時代の試練

トランスジェンダーであるIVANさんは、幼稚園でみんなでプールに入る時に女の子がキティちゃんやマイメロディーのようなキャラクターの水着を着ていたのに、男の子の自分は普通の海パンなことに違和感を覚えたそうです。

母親にそういった違和感を感じる話をしたことで、母親もIVANさんには性自認があるかも知れないと察して、メンタルクリニックの先生と相談しながらIVANさんを育てていったそうです。

母親が素直に受け入れてくれたことで、大人になったら性別や戸籍も変えれることを母親から知識として学びながらIVANさんは育ったそうですね。こどもの性自認は悩む親が多いのに凄いですよね。

親がIVANさんの性自認を受け入れてくれたことで、小学生の時から女の子として家庭では育っていたそうですが、中学校になって母親の結婚で転校した時がIVANさんにとっては一番辛かったそうです。

IVANさんはハーフの美形だったこともあり、見た目は女の子と男の子どちらともとれるような雰囲気だったそうです。ただし、クラスメイトや先生にもはっきりと性自認があるとは伝えずにユニセックスで通していたそうですね。

それでも学校ではそれで溶け込めていたそうで、クラスメイトもIVANさんがクラスの集合写真で女性側にいても当たり前のような空気感だったそうです。いじめられることもなく良い環境ですよね。

しかし、体育祭の時に男子は組み体操で上裸にならないといけない伝統がある中学校だったそうです。普通の男子でも嫌な生徒もいるでしょうね。

それでもIVANさんは、2年生まではなんとかただ応援するだけの役で逃げきったそうです。でも、3年生の時に体育の先生に「さすがに3年生で最後だから上裸で組み体操しろ」と詰められたそうです。

先生としてもIVANさんが男子として在籍している以上は他の生徒の手前特別扱いになるので、上裸で組み体操に出たくないなら女性である証拠を見せなさいという雰囲気になったそうです。

そして、職員室の横にある先生たちが休む部屋で「胸と下も見せろ」と言われたそうです。IVANさんは女性用のブラジャーなども付けていたのでそういったものを見せると、先生も性自認があるのを理解してくれたそうですね。

現在のようにジェンダーレスとかLGBTQに理解も少なかった時代なので、今だったら完全にセクハラになりますよね。なぜか次の日から学校にIVANさんは体が男だと広まったらしく学校の居心地が最悪になったそうです。

母親にそのことを話すと激怒して「なんでそういったことまでするんですか?」と学校にクレームを言いに行ってくれたそうですが、その時の学校側の対応は誤魔化すだけで特に何もなかったそうです。

ただし、数ヶ月後に学校の中に相談室ができたそうで、性に対しての違和感に生徒が向き合えるようには配慮してくれるようになったそうです。

中学校の時は思春期というのもあってジェンダーレスと世の中をどう向き合っていけば良いのか分からなかったので、かなり手探りな部分もあって精神的にしんどかったそうです。

将来必ず女性の身体になるのが自分の中で決まっていたので、そこを世の中が理解してもらえるのかずっと不安だったそうですね。

IVANの家族の影響とアメリカ留学への決意

そんなトランスジェンダーのIVANさんを偏見なく育ててくれた母親はメキシコでマリアッチという日本でいうところの演歌のような伝統音楽の女性シンガーだったそうです。

17歳の時にメキシコのコンテストで優勝した時に父親と出会ったそうですが、そのまま日本に連れて来られて結婚したら、実は父親は結婚していて不倫で生まれたこどもがIVANさんとお兄さんだそうです。

父親はかなり人としてダメな感じだったんですね。ほどなくして母親は父親と別れたそうですが、メキシコに帰るより日本にいた方が子どもたちを育てやすいと判断してメキシコには帰らなかったそうです。

今となってはIVANさんとしても日本で育ててくれて良かったと思っているらしく、言葉も通じない日本で自分たち兄弟を育ててくれた母親には感謝しかないそうです。

IVANさんが17歳の時に、母親が5回目の再婚をドミニカ人と日本人のハーフとしたそうです。そして、母親にこどもができて父親とドミニカ共和国に移住して育てることになったそうです。

5回結婚しているという母親もちょっと何か普通の人とは違う気もしますよね。ドミニカ共和国に付いていきたくなかったIVANさんは、それを機に1人でアメリカ留学することに決めたそうです。

IVANの模索と変遷:モデルとしての道

アメリカの高校を卒業して留学から日本に帰ってきたIVANさんは、趣味でバンドを組んでライブをしながら六本木のスターバックスでバイトをして生活をしたそうです。

ドラムをやっているメンバーがモデル事務所に所属していて、ある日その事務所の社長がライブを見に来てIVANさんはモデルにスカウトされたそうです。

そこから3ヶ月後には『MEN’S NON-NO』に掲載されるようになったそうですね。人生が変わるきっかけは突然なんですね。

気付いたらメンズモデルで雑誌を制覇するレベルで売れっ子になっていたIVANさんでしたが、メンズモデルとして活躍するのは女性の心を持つ自分の気持ちには反しているので精神的にしんどかったそうです。

メンズモデルに違和感を感じながらもバイト感覚で仕事をしていたIVANさんでしたが、モデルの仕事に対して少し心境の変化を感じた瞬間があったそうです。

それは『ポパイ』という雑誌で上半身裸で撮影する機会があったそうで、中学校の時の組体操で上裸になるのが嫌だったのを思い出したIVANさんは事務所にこの仕事はできないと伝えたそうですね。

その時に事務所の社長から、世界的なファッションモデルの「ケイト・モス」も女性だけど仕事によっては裸でモデルをやると言われたそうです。

それを聞いてIVANさんは、確かに仕事として脱ぐのは男女関係ないと納得したそうで、上半身裸でモデル撮影を行ったそうですね。それにしてもモデルさんって凄い仕事ですよね。

どんどんと上り調子にメンズモデルの仕事が舞い込んできたIVANさんですが、やはり自分の中ではどこかで区切りをつけて仕事を辞めないと自分の気持ちが崩れてしまうと感じながら日々の撮影をしていたそうです。

そして、20歳の時にモデルの最高峰であるパリコレに出演したらモデルの仕事は終わりにしようと決めて、日本での仕事をセーブして自費で渡航してパリで2ヶ月間オーディションを受けまくったそうです。

1日に4つのオーディションを受けるような毎日だったそうですね。世界中のトップモデルが集まるパリコレでは、身長180㎝のIVANさんは低い部類なので書類に184㎝とさばを読んで書いて挑んでいたそうですね。

当時は185㎝以上のモデルが当たり前だったそうです。ギリギリでなんとか1つオーディションに受かったIVANさんは、パリコレに出演してモデルの仕事をやり切ったと実感したそうです。

事務所と相談しながら少しずつ仕事をセーブして、23歳の時にモデル活動を休止することになったそうですね。20代前半で月収800万円を稼いでいたとのことですが、お金を稼ぐよりも心が苦しい方が嫌だったそうですね。

IVANの再起:芸能界復帰と再ブレイク

芸能活動を休止したIVANさんは28歳の時に「有吉反省会」で芸能界に復帰するまで、母親が住んでいるドミニカ共和国に行って日本語学校の先生をしていたそうです。

こどもが好きなIVANさんでしたが、先生をやってみると想像していたのと違い楽しさよりも大変さが身に染みて、自分には向いている仕事ではないかも知れないと感じたそうですね。

そこからもう一度人生を考え直した時に、メンズとして芸能界で活躍して休止したけど、女性として芸能界に復帰して30歳までに芽が出なかったら芸能界とは離れようと決めて芸能活動を再開させたそうです。

そして、有吉反省会に「お姉であることを隠しながらモデルをやっていたことを反省しに来ました」というカミングアウトで出演すると、それが話題を呼んで再ブレイクに繋がったそうですね。

有吉反省会に出演してから知名度が上がったIVANさんは、嬉しい反面で戸惑いも少しあったそうです。その時は知り合いの焼き肉屋さんでバイトをしていたそうですが、突然お客さんから声を掛けられるようになったり、

ドラマのオファーが来たり、レギュラー番組が決まったりなど急に忙しくなったそうです。活動休止中にテレビで観ていた『徹子の部屋』『しゃべくり007』などの番組に呼んでもらえたのは嬉しかったそうですね。

休みが365日のうち1日しかない年もあったそうです。20代前半の時に共演した人と久しぶりにメディアで会うことが増えたのも楽しかったそうですね。

再ブレイクを果たして仕事を頑張る中で恋人もできたそうです。3年付き合って婚約をしたパートナーだったのですが、スポニチに交際を記事にされたことで俳優の野村祐希さんだと世間に認知されましたね。

世間に公表されてしまってから、IVANさん自身も色々と交際について考えるようになったそうです。精神的にも不安定になってしまったこともあって結局お互いに話し合って別れる決断になったそうですね。

IVANさんは性別適合手術もしているし戸籍も変えているので法律的にも結婚できますが、実際にはこどもを産めないなど結婚をした将来を具体的に考えると分かれた方がお互いに良いと判断したそうです。

トランスジェンダーの恋愛は普通の恋愛よりなかなかハードルが高い部分もあって難しいですよね。

IVANの未来と彼のメッセージ:トランスジェンダーとしての挑戦

2013年頃のブレイク中にタイで性別適合手術をこっそりと公表せずに終えたIVANさんでしたが、トランスジェンダーの中で自分はまだラッキーな方だと実感しているそうです。

メディアでカミングアウトして世間に認知してもらっているので、トランスジェンダーを隠しながら生きるという精神的なストレスが自分にはないそうです。

一般のトランスジェンダーの方は性別適合手術を受けたとしても、名前も変えて戸籍も変えたから住む場所も変えなければいけないとか、今までトランスジェンダーを隠してきた友達を全部切るなど色々と大変だそうですね。

だから、せっかく性別適合手術を受けたにも関わらず病んでしまって自殺してしまう人もいるそうです。

IVANさんが今後トランスジェンダーという垣根を超えてトランスジェンダーのロールモデルにされるような存在になっていきたいそうです。

男性モデルでブレイクして、次はオネエタレントで再ブレイクできたので、3種類目の何かでブレイクしていきたいそうですね。

結婚願望はあるそうですが、前回の数年付き合って別れた恋愛が少ししんどかったので恋愛は休止中で、今はご飯に行ったりするような気楽な関係の方が楽しいそうです。

もし結婚するなら0日婚が良いそうですね。結婚してから育んでいくスタイルの方が自分には合っていると感じているそうです。

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