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島田秀平の現在の心境: ブレイクの裏に隠されたリアル

芸能人

島田秀平:手相占いからYouTubeへの進化と劣等感の乗り越え

手相占いでブレイクした島田秀平さんは芸歴27年だそうですね。現在はYouTubeチャンネルを2つ持っていて『島田秀平のお怪談巡り』と『島田秀平のお開運巡り』を動かしているそうです。

怪談と開運のチャンネルと真逆のようなイメージですが、やっている自分にとっても陰と陽を上手く使い分けられていて気分転換になっているそうです。

島田秀平さんはお笑いをドロップアウトしたという劣等感をかなり感じているそうですが、『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』という番組にはかなり感謝しているそうですね。

コンビでデビューするも解散してピンになり、たまたま手相占いでブレイクしたものの笑いでは通用しなかったコンプレックスをずっと抱えて活動していたそうです。その劣等感の壁を壊してくれたのが有吉弘行さんだそうですね。

毒舌すぎて酷いと周りが感じる程にいじってくれるのが逆に笑いに繋がったりして、自分も芸人の輪に入って生きている実感を得られるそうです。有吉弘行さんも愛情を持っていじっているんでしょうね。


島田秀平/和田アキコの助言信じ大御所のエロ暴露/占いブレイクの裏で陰口叩かれる中 救いは…

島田秀平の原点:長野の少年時代と家族の影響

島田秀平さんは長野県長野市出身だそうです。高校2年生の時に父親が癌で亡くなったそうですが、父のことをかなり尊敬していたそうですね。

中学校では父親がPTA会長もやっていて、卒業式でPTA会長挨拶があったそうです。自分の卒業式に父親が登壇して友達や生徒の前で話をするのが少し恥ずかしくて変なことを喋らないか心配だったそうです。

すると父親は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読してすぐに壇上を降りたそうです。自分の言葉よりも自分が本当に好きな詩を卒業生に送りたいと思った父親が島田秀平さんにはカッコよく見えたそうですね。

島田秀平さんは、小学校の時に生徒会長やっていたそうです。それなりに頭も良かったのとクラスでは面白い人気者キャラだったそうですね。

中学校に入学すると落語クラブに入って生徒の前で落語を披露したり漫才をしたりしていたそうです。長野で漫才を披露する人はあまりいなかったので珍しいこどもだったみたいですね。

高校生になってもお笑いが好きだった島田秀平さんは、高校3年生の進路を決める時期に行った三者面談でお笑い芸人になることを先生と母親に伝えたそうです。

仲の良かった幼馴染とコンビを組んでお笑い芸人になると突然聞かされた母親でしたが、何の反対もなくただただ応援してくれたそうです。普通の親だと少し心配の言葉を掛けてしまいそうですよね。

そして、高校卒業と同時に友達と「号泣」というコンビを組んでお笑い芸人を目指して上京したそうです。

今でも母親は自分が出演しているメディアは全部チェックしてくれていて、明らかにスベッた時でも電話やメールで励ましてくれる存在なので、母親がいなくなったら仕事もやっていけないかも知れないそうですね。母親が精神的な支えになっているんですね。

島田秀平の東京挑戦記:初めてのオーディションとホリプロ入り

高校卒業後にお笑い芸人を目指して東京での生活をスタートした島田秀平さんは、バイトと母親からの仕送りで毎日を過ごしながらコンビでのお笑いネタなどを披露できる場所がないか探したそうですね。

そして、「月刊オーディション」「月刊デビュー」という雑誌に掲載されているホリプロ主催のネタ見せオーディションを見つけたそうです。参加は誰でもオッケーだったそうで、早速オーディションに向かったそうですね。

台本を提出した後にネタを見せる形式のオーディションだったそうですが、ネタを途中で忘れて止まったりすると台本を破られたり怒られたりするような厳しい現場だったそうです。

当時はイジリー岡田さんも来ていたそうですが、怒られすぎて泣いていたそうです。泣くほど怖いオーディションの現場だったんですね。

この怖いネタ見せオーディションは毎週木曜日に行われていて、島田秀平さんは色々と言われながらも2ヶ月間毎週受けに行った結果なんとかホリプロの所属の芸人になれたそうです。

島田秀平のお笑いコンビ時代と挑戦

ホリプロ所属芸人になった島田秀平さんは、程なくしてさまぁ~ず(当時バカルディ―)さんがMCをやっていたホリプロお笑いライヴの新人コーナーでデビューを迎えたそうです。

そこで2回優勝できると1本ネタ枠というしっかりネタを見せれるコンビに昇格できるのですが、合計で6回ほど出演したら2回優勝して1本ネタ枠に昇格できたそうです。

その時はまだ20歳頃だったのですが、そこからすぐに運良くNHKの『オンエアバトル』が始まり1回目の収録から番組に呼んでもらったそうです。当時はオンエアバトルぐらいしかテレビにネタ番組がなかったそうですね。

結果的に島田秀平さんのコンビ「号泣」は長いオンエアバトルの歴史で最多出場コンビになったそうですね。オンエアバトルに常連として出演したことで学園祭などの営業に呼ばれてかなり良いスタートを切れたそうですね。

地方などの営業は芸人にとってギャラが良いから行きたい仕事と言われていますよね。芸人になってすぐにバイトをせずに食べれるようになるのは一握りなので嬉しかったそうです。

ところがオンエアバトルにアンタッチャブルさんが出てきた時がかなりの衝撃で、芸人として心が折れた分岐点だったそうです。その時代の最高峰のお笑いの実力を目の前で見てどうやっても勝てる気がしなかったそうですね。

それでも若さもあって負けるもんかと試行錯誤しながら芸人を続けた島田秀平さんでしたが、結成12年の2008年にコンビを解散することになったそうです。

M1の第1回から出場していたそうですが、決勝に行けずに関西や吉本の本格派の漫才師がどんどんと参戦してくると実力差が如実に出てきたそうですね。

そして、30歳になりM1に出場できる最後の10年目に挑戦して決勝に行けなかった時に相方から解散したいと相談をされたそうです。

幼稚園からの幼馴染だったので、いくら説得しても辞めたいと言いだしたらもう辞める以外にないと思って説得することもなく解散する流れになったそうです。

コンビとして新しい仕事は入れずに、既に請けている仕事を1年ほどかけて消化しながら「号泣」は解散になったそうです。解散が決まっているのに請けている仕事の事情ですぐに解散できないのも辛い所ですね。

島田秀平の転機:和田アキ子さんとの出会い

コンビを解散したはいいものの、お笑いをピンで続けていくか実家に帰って就職するか悩んでいた島田秀平さんは、事務所の一番先輩である和田アキ子さんに解散を報告に行ったそうです。

すると和田アキ子さんから「せっかくお笑い頑張って来たんだからあと1年だけピンで2つのことを頑張って、紅白が終わった後の新年会で私に報告しに来なさい」と言われたそうですね。

和田アキ子さんに言われたことであと1年だけ頑張ってみる決意をした島田秀平さんは、趣味でやっていた手相占いと怪談や都市伝説が昔から好きだったのでとにかく勉強してやってみようと動き出したそうですね。

行動に移してみてはっきりと分かったのが、今までと違ってやるべきことが明確だったという事だそうです。

今までは『面白くなろう』とか『もっと売れたい』と思って活動してきた島田秀平さんでしたが、今思うと何をどうすればそうなれるのかよく分かっていない中で活動してきたと感じたそうです。

しかし、「手相」「怪談」「都市伝説」と決まったら手相を調べて色々な人の手相を見て勉強する、都市伝説や怖い話を集めて人前で喋れるようにするなど、具体的な頑張る目標がはっきりと見えたそうです。やることが明確な島田秀平さんはそこからがむしゃらに動いたそうですね。

島田秀平の新たなブレイクのきっかけ

島田秀平さんが手相占いや都市伝説でブレイクするきっかけを作ってくれたのは事務所の先輩のスピードワゴン小沢さんだったそうです。

スピードワゴンの小沢さんから「暇なら単独ライブのMCをやってくれ」と頼まれた際に、楽屋でジョンタイターという未来人の都市伝説を話したらかなり興味を持って面白がってくれたそうです。

そして、スピードワゴンの小沢さんが『平成教育予備校』という番組で水道橋博士にジョンタイターの都市伝説を話すと、水道橋博士から「小沢くん今度うちの番組の草野キッドに話に来てよ」とオファーがあったそうです。

そこでスピードワゴンの小沢さんが、「この話は島田秀平から聞いた話なのであいつを番組に呼んであげてください」と言ってくれたことで島田秀平さんの番組出演が決まったそうですね。小沢さん優しいですよね。

テレビで都市伝説を披露するチャンスをもらった島田秀平さんですが、スタッフとの打ち合わせの時に手相占いもできることをアピールしたことで番組内で披露できる時間を貰えたそうです。

番組では草野仁さんに「草野さんエロ線が入っているのでドスケベですね」という話をすると現場が盛り上がったそうですね。さらにその回の視聴率が良かったそうで、その後何度か番組に呼んでもらえたみたいです。

島田秀平さんが出演して手相占いをしている回は視聴率が良かったそうで、手相占いをテレビでやると視聴者も自分の手相を見るからリモコンを置いて視聴維持率が伸びているんじゃないかと話題になったそうですね。

そこで試しに島田秀平さんの手相占いで30分放送してみた結果、番組の過去最高視聴率を出したそうです。それが話題を呼んで色々な番組に呼んでもらえるきっかけになったそうですね。

確かに手相占いをテレビでやっていたら自分の手にその手相がないか見てしまいますよね。

島田秀平の影響力とその影の部分

とにかく色々な番組からオファーが殺到するほどブレイクした島田秀平さんは、番組内で喋ったことが社会現象になるほどに影響力を持ったと感じた時もあったそうです。

ある番組で『清正の井戸』がめちゃくちゃいい運気のあるパワースポットだと紹介すると、翌日からそこが5時間待ちの行列になったことがあったそうですね。良い事ですが迂闊になんでも喋れなくなりますよね。

順調すぎるほどに仕事が舞い込んできていた島田秀平さんでしたが、その一方で肩書恐怖症というか「手相うつ」のような精神状態に悩んでいたそうですね。

芸人の陰口やアンチから言われる「芸人なのに…」「芸人のくせに…」というような声に敏感になってしまい、「占い師の島田秀平さんです」というような紹介をされると後ろめたさを感じるようになったそうです。

キングコング西野亮廣さんのように、肩書なんて何でもいいから絵本作家にしようというように気にしない人もいますが、そういった声を気にする人もたくさんいるでしょうね。

また、占いが当たる凄い人と思われることで人生の相談をされるようになると、表で人に言えない秘密がどんどんと自分の中に積み重なっていくので、誰にも披露できないゴシップが自分の中に溜まる日々が続いたそうです。

島田秀平さんは手相の本を出版する際に当時ホリプロのマネージャーに言われた印象に残っている言葉があるそうで、「手相の本を出版したら景色が変わって、いきなり先生って言い始める人が出てくるからそういう人には気をつけろよ」と言われたようです。

先生って呼ぶのは実は嫉妬がすごく入っていたり、落とし込めたいっていう気持ちが入っていたりする場合もあるからどういう人か冷静に見極めないといけないという意味で言われたそうです。

すり寄ってきて上手く利用しようとする悪い人も中にはいるでしょうからね。

島田秀平の過去と人生の変わる一冊

仕事が順調な中でプレッシャーや悩みも増えていった島田秀平さんですが、ひょんな事から高校生の時に亡くなった父親に助けられることになったそうです。

ある日、母親から連絡があり実家の物置から父親が書いていた日記が出てきたそうです。そこにこどもたちそれぞれへのメッセージも一緒に書いてあったそうですね。

島田秀平さんに向けて『働くとは』というページがあり、ハタとは傍迷惑など周りという意味があり、周りを楽にさせるのが『ハタラク』という意味だからそういう気持ちで働いて欲しいと書いてあったそうです。

その言葉が妙に島田秀平さんの心に刺さったそうですね。それをきっかけに、手相を使って周りを笑わせたり元気に明るくすることもできると考え方が切り替わったそうです。

だから人の手相を見る時はその人にとって良い線をたくさん紹介して、占ってもらった相手が楽しくなったり人生が明るくなったりできる占い師であろうと決めたそうです。

そして、テレビで手相の良い線を伝えていけばそれを見た視聴者の中にも同じ線がある人は気持ちが明るくなって人生が楽しく感じる人がいるかも知れないと思ったそうです。

悩んでいるタイミングでそんなノートがでてくるなんて、本当に父親が天国から助けてくれたように感じますよね。

さらに日記の最後のページに「更に向上心を求む、よい息子よ、最愛の秀平」と書いてあるのを見て、小さなことを悩まずに単純に頑張ろうと思えたそうです。

島田秀平の現在と未来の展望

島田秀平さんにとって「今後の展望は?」とか「これからの目標は?」という質問が一番怖いそうです。正直に言うと「何もないし、未来は見えないです」という答えだそうですね。

とにかく求められた仕事を精一杯やって、寝る前に「今日も無事なんとか皆さんをがっかりさせずにできたかもしれないから良かった」と言って寝る毎日がこれからずっと続けば良いという感じだそうです。

ただし最近少し思うようになったのが、YouTubeチャンネルの『島田秀平のお怪談巡り』にまだ収入的にも食べられていないような面白いと思う怪談師をゲストに呼んで紹介すると、

その人に人気が出て食べれるようになった人も数名出てきたそうです。それは島田秀平さんにとってもかなり嬉しいと思っているそうですね。

こういう影響力が今後下降していかないように、自分が手相占いや怪談界のトップランナーを走り続けるのが目標だそうです。

和田アキ子さんのアドバイスがあったから今の自分があると感じている島田秀平さんは、手相占いや都市伝説で売れてから和田アキ子さんの手相を見たことがあったそうです。

すると、普通の人に比べて頭脳線が絶望的に短かったそうです。和田アキ子さんは頭も良いんだなと思っていた島田秀平さんは、「俺はこの頭脳線の人のアドバイスを聞いていたのか」と複雑な気持ちになったそうですね。

それを和田アキ子さんに伝えた時は顔が真っ赤になっていたそうですね。

島田秀平

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