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箕輪厚介のガーシー本と与沢翼の本の裏話や現在は!?

芸能人

箕輪厚介さんは幻冬舎で編集者として勤務しており、最近ではガーシー(東谷義和)さんの「死なばもろとも」の担当編集者として関わり話題になっていますね。
「死なばもろとも」は出版業界で異例の発売日で10万部刷っているそうで、この調子でいくと重版がかかる予定とのこと。

箕輪厚介さん的には、今後ガーシーが日本全体を揺るがすような爆弾を投下した場合は付随して本もどんどん売れそうだが、
暴露した相手が自殺してしまうなど世間がガーシーはやりすぎと判断して人気がなくなった場合は途端に書店からも消えて売れなくなる諸刃の剣のような本とのことです。

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その一方で今後の売れ行き次第では映画化もありえるので、そうなってくるとどこまで売れるか予想できないという楽しみもまだ控えているとのこと。

それでも出版しようと決意するまでは葛藤があったそうで、短期的にみるとガーシーの本に関わっている人物として見られたときにマイナスの方が大きいと思ったそうです。
色々な人から恨まれるし何だよこいつって思っている人も多くなるので、ダーティなイメージが自分に付くのが予想できるからかなり出版するか迷ったとのこと。
しかし、中長期的にみるとそういった牙を持っていた方が面白い存在だと認知されると予想して出版に踏み切ったそうです。

箕輪厚介さんは「死なばもろとも」発売直後は身の危険もあるかも知れないと東京にいないようにしたそうですね。
確かに自分だったらと考えるとその辺歩くのも少し怖いですよね。
【箕輪厚介】前編
https://youtu.be/TKJNGmZKlqoプレビュー
箕輪厚介さんは自分の仕事に対して、人の好奇心の肩代わりしているような仕事なので一番ヤバい部分に突っ込まなければ存在価値がないと思っているそうです。
死なばもろとも」出版前に芸能界や業界の事情通の人達に出版しても大丈夫か確認すると「突き抜ければ大丈夫」という答えがほとんどだったそうです。

つまり出過ぎた杭は打たれないということで、本がものすごく売れたら叩きようがないということですね。
だから、ガーシーさんの選挙当選後のタイミングで予約開始して数時間後にAmazonランキング1位になった時にようやく安心できたそうです。
ガーシーさんのような面白い人は世の中に急に出てくるから、もし自分以外の編集者が担当してバズっていた世界線があったらかなり嫉妬していたとのこと。

ガーシーさんの本のように出版する以外の部分にめんどくさそうなことがあり、普通の編集者がどうやってこれ出版するの?と考えるような
難易度が高い案件のほうが興奮するそうです。
ある意味で変態ですよね。

そんな箕輪厚介さんは幻冬舎の副部長でサラリーマンですが、普通の社員とは違ってかなり自由な働き方ができているそうです。
会社では副業もOKではなかったが、箕輪厚介さんがいつのまにか多方面に仕事を広げていたのでなし崩し的にOKになったとのこと。
ガーシーに会いにドバイにいきなり行けるサラリーマンってなかなかいないですよね。

そんな箕輪厚介さんは、現在37歳で東京の赤坂出身だそうです。
子供の頃は赤坂アークヒルズ前のバス停でいつも降りて塾に通っていたとのこと。
両親は箕輪不動産の社長だったそうで、それなりにお金はあったみたいですね。

小学生から高校生までは特別何かに興味があったとか力を入れて打ち込んでいたものはなかったそうで、ただなんとなく毎日遊んで過ごしていたそうです。
大学も現役で合格するつもりがなかったので一浪してから早稲田大学の第一文学部に合格。
その頃は言葉を扱う仕事やメディアなど編集者、放送作家、プロデューサーのようなコンテンツを作る人に将来はなりたいと漠然と考えていたとのこと。

ダウンタウンの構成作家の高須光聖さんや放送作家の鈴木おさむさんに憧れていたそうです。
高校生の時から見城徹(幻冬舎社長)さんのファンで、当時よく読んでいた本は見城徹さんが出版した「編集者という病い」だそうです。

箕輪厚介さんは、大学に入ってからもフットサルサークルに入って毎日楽しく遊んでいる絵に描いたような普通の大学生だったとのこと。
あっという間に4年が過ぎて就職活動の時期になると、なんとなく興味があったテレビ業界や出版業界なども面接したが全部落ちたそうです。

その中で沖縄のリゾートホテルも面接したのですがそこだけ受かったそうです。
内定も決まり残りの大学ライフを過ごそうと思っていたらリーマンショックで内定したホテルがすぐに倒産。
もう一度就職活動をすることになり結果的に双葉社に受かったそうです。

社会人になった箕輪厚介さんは、双葉社で本を作る部署ではなく雑誌の広告を獲ってくる広告部に配属されたとのこと。
新人のマナー研修の時に日報のタイトルに「マナー研修という名の茶番劇」と書いて、
どれだけ研修が茶番だったかというような内容を提出していたら最終日にかなり怒られたそうです。
出版社なので面白い文章を書けたらOKだと思っていたらステレオタイプのモラルが求められて普通に怒られたので驚いたそうです。
なかなか変わった性格ですよね。

そんな広告部の箕輪厚介さんの人生が編集者の道へと大きく変わっていったきっかけは与沢翼さんだそうです。
与沢翼さんが「秒速で1億円稼ぐ男」としてメディアが取り上げたのを見て、良くも悪くもこの人からお金を獲ろうと目を付けたとのこと。
すぐに連絡をして与沢翼さんに会って話をすると「自分で雑誌を作りたい」と言われたので、「3千万円で作れますよ」と伝えるとすぐにOKになったそうです。

箕輪厚介さんとしたら大型の契約が取れたので大喜びで編集者に話を投げると予想に反して誰もやりたがらなかったそうです。
与沢翼さんのイメージが怪しい人という感じだったりしたので、取り上げて大丈夫なのその人?ということでみんなが避けたとのこと。
誰もやってくれないしどうしようかと思って普通なら外部の編集プロダクションに投げるところなのですが、
社内から案件がややこしいから箕輪くんが編集長やって全部仕切ってやれない?と声が上がったそうです。
当時27歳で広告部の自分には編集長の経験がないから少し迷ったそうですが、やってみたいという好奇心が勝って話を受けたそうです。
若いですし失敗しても今後の経験になりますしね。

そこから協力してくれる人を数人集めてチームを組んで、広告部にいながら編集長になり「ネオヒルズジャパン」という雑誌を創刊したとのこと。
初めての編集長で苦労した部分も多かったが、雑誌を発売すると色々な奇跡が重なったことでめちゃくちゃ売れたそうです。

まず、与沢翼さんが発売日前日に専任ドライバーへの暴行容疑で書類送検されて全国ニュースになってしまったそうです。
与沢翼さんが怪しいイメージの人だから社内の編集者が避けていて、編集長経験のない自分が勢いでやったのに警察沙汰になったからかなり焦ったそうです。
雑誌の発売日にはSNSやニュースで「与沢翼、雑誌創刊日に逮捕」など溢れてしまい、社内外の関係者から電話が鳴りやまなかったとのこと。

ただそれに比例してAmazonランキングで瞬く間に上昇して1位になったので、「色々な人に怒られるかもしれない」という焦りと「でもめちゃめちゃ雑誌は売れてる」
という今までに味わったことのない不思議な興奮と感情になったそうです。

そして、雑誌を回収しろと会社に言われる前に自分から社長室に行き
「これはプロモーションなんです、大した罪じゃないんですぐ解決するし話題になるので大丈夫です。Amazonも1位だし安心してください」と伝えたとのこと。
するとこれが功を奏して社内でも大事にはならなかったそうです。物は言いようですし意図せず炎上商法のパイオニアみたいになったんですね。
この件で会社は相当儲かったとのこと。

編集長に加えて広告部も兼任していた箕輪厚介さんは、この雑誌で広告も合わせて獲りまくっていたそうです。
「この社長のここがすごいという記事を書くから広告費50万円ください」っていう営業をした結果かなりの広告が獲れて、面白いのが今ではレペゼンフォックスで有名な当時のDJ社長も掲載されているそうです。DJ社長も50万円払って記事書いてもらったんですね。

28歳になった箕輪厚介さんはこの一件から正式に編集部に異動になったそうですね。
編集部に移動してから一発目に手掛けた本は、幻冬舎社長の見城徹さん「たった一人の熱狂」だそうです。

この出版に関してもかなり異例で、ほとんど繋がりがない幻冬舎社長の本を他社である双葉社が出版するのはかなり異質だったそうです。
高校生の頃から見城徹さんのことが好きだった箕輪厚介さんは、接点もないがどうにか見城徹さんに近づいて本を出したいと考えたそうです。

そんな時に「755」というサイバーエージェントのチャットアプリを、ホリエモン藤田晋さんがタッグを組んで開発して見城徹さんが絡んでいたのに目を付けたとのこと。
ツイッターやインスタグラムなどと違ってあまり認知されていないアプリだったので、
利用者が少ないこともありコメントを入れるとホリエモンや藤田晋さん、見城徹さんからも返事が返ってきていたそうです。

そこに箕輪厚介さんから見城誠さんに「本出させてください」というメッセージを送り、
それに合わせて幻冬舎に本を出させて欲しいという直筆の手紙を送ると、会いましょうという連絡が来て出版に至ったとのこと。
箕輪厚介さんはアプローチの仕方もそうですし、何か行動するときの目の付け所が頭良い感じしますよね。

結局は編集部に移動して一発目の見城徹さんの本も8万部売れてヒットしたそうです。
その後、ホリエモンの本を出版して7万部売れてヒットしていたのを見城徹さんが見て「お前はそこにいてももったいないから幻冬舎に来いよ」と声をかけたそうです。
箕輪厚介さんは双葉社でなんの不満もなく仕事できていたので日々楽しく居心地も良かったそうです。

昔からファンだった見城徹さんに声をかけてもらったとはいえ、幻冬舎の入った人はすぐやめるという話も聞いていたそうでかなり悩んだそうです。
それでもまだ若いし守りに入らず攻めてみようと思って幻冬舎に行く決意をするとのこと。
これが箕輪厚介さんの人生のターニングポイントですね。

幻冬舎に入社すると双葉社のほのぼのとした雰囲気とは正反対で殺伐としていて驚いたそうです。
怒鳴られることもあったりしてあまりにも居心地が悪く数日で心が病んだ箕輪厚介さんは、
この空間にあまりいたくないと思いどこかへ出張できないかと日々考えていたそうです。
そんな時にブロガーのイケダハヤトさんが「まだ東京で消耗してるの?」というブログを高知県で書いていたのを見て、この人の本を作るなら高知県に出張せざるを得ないという理由で1冊目をイケダハヤトさんに決めたそうです。

高知県に行けてリフレッシュにもなり、結果的にそこまで売れなかったものの重版はかかったので合格ラインはクリアしたとのこと。
幻冬舎は超成果主義なのでヒットを出していない編集者は肩身が狭いそうで、周りの自分を見る目も変わりホッとしたそうです。

箕輪厚介さんは幻冬舎に入社した時に3つの目標を掲げていたそうです。
「30万部以上のベストセラーを作る」「新しいマネタイズお金の稼ぎ方のスキームを作る」「個人として名を立てて、個人として生きていけるようになる」
そこから幻冬舎が今まで耕していなかった新しい土地を耕そうとビジネス書に焦点を当てて動いたそうです。

NewsPicks」の元編集長の佐々木さんと仕事をした際に意気投合して、普通にビジネス書をやってもしょうがないので
「NewsPicks」と組んで月額5000円で毎月本が送られてきてイベントにも参加できるという新しいビジネスモデルを立ち上げたそうです。

それが軒並みヒットして箕輪厚介さんを中心としたビジネス書ブームになったそうです。
1冊目にホリエモンの「多動力」を出版して、2冊目にSHOWROOMの前田裕二さんの「人生の勝算」を出すと立て続けにヒットを記録して一大ムーブメントになったそうです。
新しい畑ができると色んな起業家が箕輪厚介さんの所に飛び込んでくるようになって、自分の畑で自分のペースで自分の名前で仕事をするというスタイルが確立できたとのこと。
入社時に掲げた目標を短期間で達成していったんですね。


起業家ブームの中心にいた箕輪厚介さんは、テレビなどメディアからも引っ張りだこになり、その勢いで自身の本「死ぬこと以外かすり傷」も出版します。
こんな調子で2年程順調にいっていたそうですが、箕輪厚介さん自身がビジネスブームに飽きてきたので仕事に力を入れられなくなったそうです。

仕事が増えてサラリーマンよりお金を持つようになり稼くことに苦労しなくなったことで、
昔は純粋にお金持ちになりたいとか成り上がりたいという気持ちが自分の中にあったからビジネス書の出版に熱量を持って取り組めたが、関わる際に心が乗らず興味を持てないので魂を込めて編集できなくなったとのこと。

編集者には2パターンあって「どんなテーマでもそこそこの本に仕上げてヒットさせる人」と、「本当に自分が興味あるから作れる人」だそうです。
箕輪厚介さんは完全に後者の人なので、そこから2~3年は仕事をやっているように見せてほとんどやっていなかったとのこと。
ただし、今までヒットを量産したのでゆるく仕事をしていても会社から何も注意されず居心地は良く過ごせたそうです。
そんな日々を過ごしていた時に箕輪厚介さんは、週刊文春に「セクハラ不倫強要報道」をされて編集長を辞めることになります…

編集者としての仕事やプライベートの人生が順調にいっていた箕輪厚介さんは週刊文春砲を2回も立て続けに食らってしまいます。
1回目は「セクハラ不倫報道」ですね。妻子ある箕輪厚介さんですが書籍の執筆を依頼した女性の自宅で打ち合わせをした際に、強引に体を触り「キスしませんか?」と迫ったのを本人に告発されてしまいます。

そして2回目は、オンラインサロン内でセクハラ不倫報道の件を「何がセクハラだよボケ。反省してないよバーカ」という動画を出したら流出してしまったとのこと。
2回目の炎上のほうがダメージが大きかったらしく、自ら火に薪をくべた感じになってしまいましたね。
【箕輪厚介】後編
https://youtu.be/0u4-XXN1S84プレビュー
文春報道の影響から「NewsPicks」の編集長を辞めて、メディアへの露出も自粛することになります。
人生初めての炎上でかなり落ち込んでいた箕輪厚介さんを見て慰めてくれたのが炎上の大先輩ホリエモンだったそうです。

プライベートジェットでラグジュアリー自粛しようと提案してきて、北海道に住んでいるピーチ・ジョンの野口美佳さん(ミカジョン)の家に一緒に行ったそうです。
ミカジョンさんの所へ行ってもホリエモンさんはゴルフに行ったりしていたそうですが、
箕輪厚介さんはゴルフができないので家でお酒を飲んで「死にたいです」とか言いながらずっとうなだれていたとのこと。

するとホリエモンがゴルフから帰ってきて「お前まだそんなうだうだ言ってるのかよ。俺なんか逮捕されてるんだぞ」と言ってきたそうです。
それに合わせてミカジョンさんが「私なんて街宣車呼ばれてんのよ」と言ってきて、箕輪厚介さんは「ここは変な人しかいねーな」と少し元気が出たそうです。
確かに周りにこんな経験している人がいたらなんだか心強いですよね。

少し元気になって日々を過ごしていた箕輪厚介さんは、今回の経験をも題材にした「いびつのまま生きる」という自分の本を出版しようかと考えていたそうです。
そんなある日、秋元康さんと食事をする機会があり出版しようとしている本の話をすると、
「お前それは違うだろ。そんな世間に中指立てるようなことしても誰もついてこないし、少しついてきたとしてもカルト的な人気になってしまうよ」と言われたそうです。

秋元康さんは続けて「お前が今出す本は、かすり傷も痛かったっていうエッセイだ」と言われたとのこと。
過去に【死ぬこと以外かすり傷】という本を出版している箕輪厚介さんは、
かすり傷も痛かったというお腹を見せることでみんながもう一回受け入れてくれると話してくれたそうです。
さすが秋元康さんらしいアドバイスだなという感じですね。

箕輪厚介さんは秋元康さんのアドバイスを受けて、サウナを媒介として表現した「サウナランド」というサウナ雑誌を自費出版で作って昇華したそうです。
一連の炎上を経験して箕輪厚介さんの中で大きな心境の変化があったそうで、「NewsPicks」的な世界観からサウナ的な世界観に変わったというのを表現したかったとのこと。

これまでは誰かと競争して一番高い木の実を掴むみたいな競争をを求めていたし、自分の周りにも勧めていたそうです。
しかし、「今見えているここにあるハイボールが一番美味いよね」というような価値観に移行していったそうです。

自分の中で価値観の変化あったのがちょうどコロナの時期だったので、コロナをきっかけに世の中の価値観も自分と同じように変化していったように感じたとのこと。
それまでの「資本主義、成り上がり、自己責任」という論調から、
「脱成長」というひろゆきさん的な「無理しなくていいですよ」というような雰囲気に世の中も変わっていったので、それが自分の心境の変化クロスしたように感じたそうです。

編集者という仕事は結果的に自分が感じた良いことも悪いこともすべて土壌になるので、
その土から生えてくる木からなる実を人に与える仕事と考えると、。不純物も含めてできるだけ土壌が豊かじゃないと新しいものは生えてこない。
今後は、文春砲も自分の肥料にして新たな本を出版していくしかないと考えたとのこと。
文春砲はお相手のこともあるので良い事ではなかったかも知れませんが、箕輪厚介さんとしては成長したということなんですかね。

現在箕輪厚介さんは今は、ビジネス系や自己啓発などに飽きているので、
ガーシーさんの「死なばもろとも」や大王製紙前会長の井川意高さんの「溶ける再び」のような自分の中でも新鮮で興味が沸く人の本を出版しているそうです。
周りから見ると世の中の規範から完全に外れてはいるけど、自分なりの流儀に沿って生きているみたいな人に興味があるとのこと。

今の世の中が明らかにブラックではなくホワイト化している中で、起業家が出版する本で良くも悪くも頭がおかしい人はなかなか受け入れられないですよね。
そんな中でガーシーさんや井川意高さんを担当して触るな危険みたいな人に触れてみた結果、
普通に生きている人達の人生にも通ずるものもあるという新しい土壌を開拓できそうな発見があったそうです。

箕輪厚介さんからすると、ガーシーさんなんて詐欺して110円だけ持ってドバイに逃げた人が、たった206日で参議院議員になれるっていう賛否も含めて嘘みたいな話も、
自分の中で覚悟さえ決めればできないことはないんだ。っていう誰にでもありえるかも知れないし何かしら刺さるものがある話だと感じたそうです。
本当に人間すべて投げ出して我武者羅にやったら1年経たずに自分の置かれている状況は変えられる。っていう希望も伝えられると思ったとのこと。
確かに本当に詐欺していた人が1年後に政治家になっているなんて誰もが予想していない展開の話ですよね。

箕輪厚介さんは、沢木耕太郎の「深夜特急」のような感じでガーシーさんの「死なばもろとも」の本を制作したいと思って取り組んでいたそうです。
ZOOMを12時間程度ガーシーさんと実施して打ち合わせをしたのですが、半分は本に掲載もしていないゴシップネタを聞いてた時間だったとのこと。

話は面白かったのですがオチだけは迷っていたそうで、どんなに面白い物語もオチがばっちりじゃないと駄作になるのでどうしようかと思っていたそうです。
結果的に選挙に当選して政治家になったから最高の作品になったけれど、
当選しなかったらガーシーさんのお母さんとか親交のある島田紳助さんとかに電話してもらって話したセリフを書くとかなど考えていたとのこと。

普段選挙に行かない箕輪厚介さんも今回ばかりはガーシーさんに投票したそうで、参議院議員に当選が決まった瞬間は良いオチが来たという意味もあり泣いたそうです。
箕輪厚介さんとしてもかなり思い入れのある出版作品になったようですね。

こういうガーシーさんのような周りが熱に感化されて巻き込まれて動いていくのは与沢翼さんの雑誌「ネオヒルズ・ジャパン」を担当した時にも味わったそうです。
表紙を「VOGUE」や「マライヤキャリー」などを撮影しているレスリー・キーさんに撮ってほしくて、無理だろうなと思いながらアポを取ったとのこと。

双葉社からも恥ずかしいので電話しないでくれと言われていたがまさかのOKが出たそうです。
しかし、レスリーの事務所から本番の前日に撮りたくないと連絡してきて、理由は「GOETHE」と間違えていたという苦しい言い訳だったそうです。
後から分かった真実としては、事務所の社長がレスリーに伝えずに独断でOKしたものの直前で確認したらダメだったとのこと。

撮影直前でレスリーが与沢翼さんを調べたら、「詐欺師」とか「被害者の会」とかでてきて不審に思ったそうです。
それでも箕輪厚介さんとしたら、周りのスタッフに「本当にあの大物にOKもらったのか?」と疑いの声をかけられていたので、
結局一番若いやつが「馬鹿みたいに1人で勘違いしてただけやん」と言われるのは嫌で本番当日は必死にレスリーを説得したそうです。

実はレスリーも過去に一回逮捕されていて、世の中の善悪関係なく自分の欲望でやりたいことをやって逮捕されていたとのこと。
箕輪厚介さんはレスリーに対して、
「与沢翼も一緒です。アスリートが0.1秒を縮めるように彼なりの流儀で生きていて、
周りから見るとおかしいかも知れないけれど今は社会現象になっていてその瞬間を切り取るのはカメラマンとして拒否することではないのではないですか?」と説得したそうです。
するとレスリーも納得して「僕も怪しいカメラマンだから怪しいやつを撮るわ」と言って撮影を行うことになったとのこと。
多くのスタッフが説得の一部始終を見ていたのもあり、現場のみんなも心が熱くなり力を入れて準備をしだしたそうです。
現場のスタッフさんも胸を打たれた人が多かったんですね。

ガーシーに関してもそれに似ていて、関わった人はなぜか巻き込まれていく感じがあるそうです。
やっていることが良いか悪いかは別にして、熱量が異常にある人の周りでは関わっている人がお金など対価以上に働いてしまうような現象が起きるとのこと。
現在は楽天の三木谷さんとガーシーさんは騒ぎになっていますが、
本が売れるかどうかは注目されていてなんぼでもあるので、箕輪厚介さんとしては大きな声で言えないが騒ぎが収まるのを望んではいないそうです。

まあたしかに無名は悪名に勝ると言いますよね。

今後の働き方として箕輪厚介さんは、敵にしたらめんどくさいけど味方にしたら一番心強いみたいなクリエイターであり続けないといけないと思ているそうです。
仕事は常にもう辞めたい気持ちがあるそうですが、とんでもない注目されるような人が現れると会いに行かないと後悔するなと感じてしまうそうです。

面白そうなものがあったら素通りできない性格なんですね。
今後は取材済みで頭の中で編集中みたいな作品を何個か抱えているので、
時代とのタイミングが合えばギアを上げて完成させて産み落とす感じで仕事をやっていきたいそうです。
次の作品が楽しみですね。

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