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米良美一の現在:難病を乗り越えた音楽家の生きざま

歌手

米良美一の幼少期の挑戦:先天性の難病との闘い


『もののけ姫』のテーマ曲で知られている音楽家の米良美一さんは、2014年の12月にくも膜下出血を発症して2015年の9月に舞台復帰したそうですね。

現在52歳だそうです。出身は宮崎県の西都市で、今はお仕事の関係で東京と宮崎を半々で住んでいるそうです。

 

米良美一/ジブリ宮崎駿から突然の呼び出しで大抜擢/15歳で骨折30回 骨の難病
https://www.youtube.com/watch?v=KI3rfaWV3kk

米良美一さんは生まれつき3万人に1人と言われている「先天性骨形成不全症」という難病だそうです。

少しつまづいただけで簡単に手足が骨折を繰り返すそうですね。

母親のお腹の中で足が折れている状態から始まって瀕死状態だったそうです。生まれた瞬間は水頭症で頭が大きくてエイリアンのようだったそうです。

生まれてからも成長障害で身長が伸びないし、15歳までに30回も骨折して1年に2回は手足が折れていたそうです。想像しただけでも壮絶な人生ですよね。

少し強く打ったり捻じれただけでもすぐに骨折してしまう難病なので、打撲や少し捻ってしまっただけという状態がないそうです。骨折するかしないかなんですね。

骨折しても鉄板とかを入れて骨をつないだりできないそうで、手術ができないのでギブスで固定して自然治癒するしかないそうです。治るのにかなり時間かかりますよね。

体育の授業はほとんど見学ということで、障害を持っていない人には理解できない辛さだと思います。病気を持たずに生まれることがどれだけ幸せなことか分かりますよね。

小学校に入る前に検査をして養護学校に入る選択肢しかなかった米良美一さんの親は青天の霹靂のような感情だったそうです。

家から車で1時間かかる完全看護の病院と全寮制の寄宿舎がある場所に行くしかなかったので、米良美一さんは施設の中で暮らすしか選択肢がなかったそうですね。

6歳から親元を離れて養護学校での生活をすることになった米良美一さんは、初日に寂しくて号泣したそうです。さすがにホームシックになりますよね。

毎週末に親と会おうと思えば会えましたが、寄宿舎では身体を鍛える前に心を鍛えるという理念があったそうです。親も仕事があったのであまり会わないようにしていたそうです。


米良美一の音楽への情熱:天賦の才と勇気の軌跡


だから毎日6時30分から寒風摩擦をしたり、掃除をしたりということを通して人間力を鍛えて1日でも早く卒業することを目的にしている養護学校だったそうですね。

米良美一さんは養護学校に6歳から18歳までいて、いじめにも会っていたそうですが、そういった困難とも戦いながら歌手になりたいと芸能界に思いを馳せていたそうです。

重力だけで背骨の節が潰れていって骨折してしまう米良美一さんは、小学校の6年生から中学校3年生の時期は成長期で伸びると骨が骨折してしまっていたそうです。

上半身を支えていないと息が吸えないので歌を歌うどころではなく、ほとんど寝たきりでお風呂も入れずトイレも排泄もベッドの上だったそうです。

本当に大変ですよね。清拭と言って看護師さんが身体を拭いてくれる日々だったそうですが、年配の看護師だと大丈夫ですが若くて可愛い看護師だと成長期の頃は勃起してしまうなど恥ずかしくて嫌だったそうです。

思春期じゃなくても男だと反応してしまうでしょうね。
そんな壮絶な人生を歩んだ米良美一さんが辛い現実から逃れることができた唯一生きる希望を与えてくれたのが松田聖子さんの歌を聞いてる間だったそうです。

米良美一さんは病院に入院していながらずっと松田聖子さんのカセットテープをラジカセで聴いていたそうです。音楽の力って偉大ですね。

そして、松田聖子さんを入り口にクラシックの世界に魅了されたそうですね。松田聖子さんの声は少しハスキーボイスで正しい音程で歌える歌手だったそうで、そこから影響を受けてドイツやフランスなど自然と本物のソプラノ歌手の曲まで聴くようになっていたそうですね。

松田聖子さんからソプラノ歌手まで聴くようになる人はごくわずかでしょうけどね。

しかし、米良美一さんが15歳の時に松田聖子さんが結婚してしまったんですね。山口百恵さんがそうですが、その時代は結婚したら引退というイメージだったそうです。

米良美一さんとしては、『聖子さんがいない世の中になるなんて…』という悲しい思いになったそうなのですが、同時に『自分がポスト松田聖子になろう』と思ったそうですね。

そこまで極端に思う人も珍しいでしょうね。普通ならそんな存在になれるなんて考えもしないでしょうけど、米良美一さんは『自分ならいける』と思ったそうです。


米良美一の音楽活動:キャリアの転機


ポジティブというか良い意味で勘違い野郎だったこともあり、そこから音楽活動を活発にするようになったそうです。何かやる気が出るきっかけは何でも良いですよね。

積極的に音楽活動を始めた米良美一さんでしたが、途中で自分はアイドルとは身体のサイズから何から違うという壁にぶち当たるそうです。

そこで自分なら何ができるかと考えて、アイドルになるのは無理なのでユーミンさんや山下達郎さんのように作詞作曲して曲を提供する側になりたいと思ったそうですね。

米良美一さんは自分を客観的に分析したうえでポスト松田聖子ではなく、音楽家になることを決意して歩み始めたそうです。

思い立ったら吉日という事で高校1年生の時に支援学校の音楽の先生に「音楽家になりたい」と相談すると「あなたは歌だったら良い成績が取れるかも」と言われたそうです。

そして先生から小手試しに「中学校・高校独唱独奏コンクールに出てみない?」と言われて出場したら2位の成績になったそうです。コンクールでいきなりの2位は凄いですね。

初めてのコンクールで米良美一さんが2位の成績を残したことで、高校の先生は知り合いの東京の大学の先生に米良美一さんの実力を見て欲しいと依頼したそうです。

言われるがままに米良美一さんはその先生に審査してもらったところ『この子は東京の専門の学校に進んだ方が良い』という話になったそうですね。

そんな経緯もあって東京藝術大学と洗足学園音楽大学を受験したら洗足学園音楽大学に首席で合格出来て4年間大学に通ったそうです。生まれつき音楽の才能があったんですね。

その後、大学を卒業してすぐ5月のコンクールで2位の賞を獲ったことで音楽の仕事が入るようになったそうです。大学を卒業した26歳の10月にバッハ・コレギウム・ジャパンというバロック時代の音楽を主に扱う団体の指揮者の鈴木雅明さんから声を掛けて頂いて、音楽家として舞台デビューを果たしたそうですね。

 

米良美一の再生と未来への希望:困難を乗り越えて

 

米良美一さんは25歳の9月にオランダに音楽留学したそうですが、11月に宮崎駿さんからNHKのラジオでたまたま聞いた米良美一さんの歌を聞いてオファーがかかったそうです。

宮崎駿さんからしたら裏声を使って歌っている米良美一さんの年齢や性別もわからなかったそうですが、惹かれるものがあってオファーしたそうです。

米良美一さんからするとオランダにいる時に宮崎駿さんから突然にオファーがあって理解が追い付かなかったそうです。夢のような現実ですよね。

半信半疑でスタジオジブリまで行ったら鈴木敏夫さんと宮崎駿さんがいて、まだ完成していない「もののけ姫」の映像を見て米良美一さんは主題歌を歌うことを決めたそうです。

結果的にもののけ姫は興行収入193億円を記録して当時の日本歴代1位のメガヒットに繋がるわけですね。米良美一さんに実力があったからですが運命って突然に変わるんですね。

日本を代表するクリエイターに囲まれて無言の圧をかけられながら収録する26歳のクリエイターとしてはかなり緊張したそうですが、訂正されながら必死にこなしたそうです。

それが作品に付随してアカデミー賞も受賞して、米良美一さんも初の主題歌賞を受賞したことによりバラエティーを始め数々のメディアに出演することになったそうですね。

『ガキの使いやあらへんで』『とんねるずのみなさんのおかげでした』『スマスマ』など旬なバラエティー番組からオファーがあって出演できた経験は嬉しかったそうです。

クラシック音楽の分野の歌手は持ち歌は無くて、100年以上前に作られた歌を世界中の歌手の方々が歌い継ぐものだそうです。

自分はその中の1人なので作品への敬意と作った方へのリスペクトを持ちながら日々の音楽活動をしているそうですね。

そんな米良美一さんでもホームランやヒットを量産していた野球選手がいきなり全然打てなくなるような感じで、自信がなくなって歌えなくなったことがあるそうです。

そこから約14年間もある歌の先生に教えを貰いながら思考錯誤して自分探しの旅に出たそうですね。そんな時に美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』に出会ったそうです。

米良美一さんは美輪明宏さんに対して王貴族みたいなイメージしか持っていなかったので、それまでは『ヨイトマケの唄』をしっかり聞いたことがなかったそうですね。

しかし、よく聞くと歌詞が自分の生い立ちに重なっていたそうです。両親が土木作業に従事していて、こどもの頃に障害の事をからかわれたりしたことと重なったんですね。

米良美一さんは『ヨイトマケの唄』をしっかり聴いてみた時に号泣したそうです。2008年に初めて歌ったのが西都市民会館のコンサートだったそうです。

コンサートには両親も来ていたそうで、歌詞が母の胸に突き刺さったみたいで米良美一さんも母親も涙を流していたそうですね。

お客さんもすすり泣きしている人が多くて『ヨイトマケの唄』のおかげで感動的なコンサートになったそうです。

これからももののけ姫と同じくらいヨイトマケの唄は大切に歌っていくつもりだそうですよ。

 

 

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