羽賀研二は現在沖縄で派遣会社!?

芸能人

羽賀研二さんは現在沖縄で友人と人材派遣会社を立ち上げて従業員15人の会社をやっているそうですね。

今年の年末から年明け頃に公開予定の映画のワンシーンに出演が決まっているなど、
需要があればテレビなど芸能活動も並行して徐々にやっていけたらとのこと。

ただ、コンプライアンスを気にする今の芸能界やバラエティー番組では
スポンサーのことを考えると自分はもうお呼びがかからないだろうと思っているそうです。
今はテレビ以外にもSNSやユーチューブなど発信する場所はあるけど、羽賀研二さんはアナログ人間なのでまだよくわかっていなくて、
なかなか友達とかに強引にでも引っ張ってもらわないと一歩が踏み出せていないそうです。
見た目は年齢よりとても若く見えますがもう61歳ですもんね。

羽賀研二さんは沖縄出身で親父が米軍で軍人だそうです。
母親が若い頃に軍人の家庭のハウスキーピングをやっていて、その家の人が父親を紹介して両親は出会ったとのこと。
アメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれたハーフですね。


沖縄の胡屋で18歳まで育ったが、自分が母親のお腹にいる間に兵役で父親がアメリカに戻ったから父親のことはまったく知らないそうです。
ある番組でみのもんたさんに親父に会いたくないかと聞かれ、40歳で初めてテレビの企画で父親に会ったとのこと。
父親との対面の時は自分でも感情がよくわからず、ただただ父親の肩で泣くしかなかったみたいですね。

その時に「本当は家族で一緒にいたかったがお母さんは沖縄に残りたいと言ってアメリカについてきてくれなかったからしょうがなかったんだ。
お前を捨てたわけじゃないんだぞ。」と言われたとのこと。
ただそれが最初で最後となり、その一度きりしか父親とは会っていないそうです。

その後、自分が塀の中にいた服役中の7年前の1月15日にアメリカで父親が病気で亡くなったことを知ります。
刑務所の中で刑務官から渡された父親の嫁と叔母からの手紙で病気で他界して亡くなったのを伝えられ、周りの目を気にせず手紙を握りしめて泣きじゃくったそうです。

羽賀研二さんは物心ついた時から叔母と母親に育てられました。
母親は仕事で忙しかったので、ほとんど叔母に育ててもらったそうですね。
母親は米軍とかスナックで働きながら育ててくれましたが、小さい頃は母親が仕事から家に帰るとお酒の匂いがきつくて嫌だったそうです。

羽賀研二さんは学生時代ハーフなのでかなり虐められたとのこと。
学校でリンチなど囲まれて袋たたきにあうことは日常的だったそうです。
昔はそういった差別が当たり前の時代がありましたよね。
羽賀研二さんは肌が白い白人のハーフですが、友達の黒人のハーフはもっと虐められて自殺した友達もいたそうです。

生まれつきの茶髪だと虐められるから髪の毛を五厘狩りにしたら次は黒い毛が生えてくるかもと祈りながらよくやっていたとのこと。
黒人のハーフの友達は軽石で体をこすれば色が白くなり虐められなくなるかもと信じて日々こすっていたのが印象的だそうです。
ちょっと胸が痛い話ですよね。

羽賀研二さんはそこからバスケットボールをして人生が変わったそうです。
大学もスポーツ推薦で福岡大学へ決まったとのこと。

芸能界入りのきっかけは、高校3年生の時に沖縄の胡屋のジーンズショップに行ってスターダストプロモーションのスカウトマンから声をかけられたことだそうです。
学生服とジャージしか着たことがなかった自分が初めてジーンズショップに行って声をかけられて、
そのままスカウトマンに連れられ生まれて初めて喫茶店に入ったとのこと。

貧乏だったのでいつもディスプレイでしか見たことがなかったクリームソーダを初めて飲んで衝撃的に美味かったのが記憶にあるそうです。
初めて尽くしの1日で一生忘れられない日でしょうね。

スカウトマンに3日間だけで良いので東京に来てほしいと言われ3日間の予定で東京に行ったらなぜか1週間いることになった。
予定より長引いたので「もうあいつは芸能人になるらしい」と勝手に学校で噂が広まってしまったそうです。

東京から帰って学校の先生から、
「福岡大学に推薦で決まっているのに蹴って芸能界に行ったら、今後うちの高校から福岡大学に推薦が出せなくなるから駄目だ」と言われたそうです。
羽賀研二さんは「僕はバスケットボールに専念して将来教員になって、指導者になって後進を育てていきたい」と答えたとのこと。

その時は本当にそれが夢だったので噓ではなかったが、自分の人生には選択肢になかった芸能界に日々気持ちが惹かれ気味だったそうです。
その後、母親だけ説得して芸能人になりたくて卒業式翌日に東京に向かったとのこと。

東京に行ったらすぐにデビューできると思っていたが、踊りのレッスンなどデビューまでの準備が色々とあり給料も数万円しかなかった。
牛乳配達のバイトもしながら日々を過ごし、少ない給料だったが5万円を毎月現金書留で母親に仕送りしていたそうです。

東京に行ってからは忙しくて沖縄にはなかなか帰れなかったので、沖縄に帰って母親に会ったのは東京行きから4年程経ってからになったとのこと。
沖縄に帰って驚いたのは、母親が羽賀研二さんが送っていた仕送りを1円も使わずに封筒のまま家に置いていたことだそうです。

羽賀研二さんの人生が大きく動き始めたのは19歳の時。
まだ羽賀研二という芸名がなかったので、本名の「當眞」とギターにマジックで書いて原宿の歩行者天国で当時流行っていた歌手の歌をギターで弾き語りしていたそうです。
その場所で同じように歌ったり踊ったりしてた奴らと仲良くなって後の一世風靡となる「零心会」を結成。

その頃に「笑っていいとも」や「良い子悪い子普通の子」のオーディションがあり、
哀川翔・柳葉敏郎・風見しんご・野々村真などとテレビに少しずつ出演するようになる。
すごいメンバーが集まっていたんですね。

羽賀研二さんはいいとも青年隊を3年程担当しました。
毎日生放送ではあったが、9時30分スタジオ入りでリハーサル、本番は13時には必ず終わるのでその後に並行して他の仕事をやったりしていたそうです。

松田聖子小泉今日子の相手役を映画でしたり、コマーシャルに出たりすることで気付いたらとんでもない人気者でどこにいくのも人だかりができたとのこと。
いいとも青年隊を卒業してからも俳優やミュージカルに歌手などとにかく仕事には困らず、
声優ストリートファイターⅡケンの声を担当したり、アラジンの声を担当したりしていたそうです。

あの有名なキャラクターの声が羽賀研二さんと若い子は知らないでしょうね。

そんな羽賀研二さんですが、幼少時はとても貧乏で家は人に納屋を貸してもらいそこで育って、公団住宅のくじ引きがたまたま当たったのでその後そこに住んだそうです。
貧乏に育ったのでお金には貪欲で、若い頃からセブンポケッツ(7つの収入源を持てば人生を安全に暮らせる考え)を達成したかった欲が強かったとのこと。

芸能活動でお稼いだ金は運用してどんどん動かしたそうです。成り上がって成功した人の本が好きで読んでそのまま実践していたとのこと。
今でもホリエモンや楽天の三木谷さん、孫正義さんなどが好きで自伝本はよく読んでいるそうです。特にホリエモンが好きとのこと。

恋愛では30歳で梅宮アンナと付き合い36歳頃に三行半されたとのこと。
当時はプレイボーイに見える自分は梅宮アンナのお父さんである梅宮辰夫さんに認められなかったそうです。

また、色々なビジネスに手を出していたことも娘の夫になるのは危なっかしい男だと思われていたとのこと。
羽賀研二さんは当時、娘を持つ父親の気持ちがわからなかったのでなんで自分を理解してくれないんだと梅宮辰夫さんに対して思っていたが、
梅宮アンナさんと別れて1年半後に映画会社のスタッフをやっていた一般人と付き合い数年同棲して結婚。
こどもが2人で上の娘が12歳、下の娘が9歳。父親になった今では痛いほど気持ちがわかるそうです。

ちなみに梅宮アンナとさんとペアヌードを出版して話題になりましたが、あれは完全に彼女の強い要望で羽賀研二さんがやりたかったわけではなかったとのこと。
むしろ恥ずかしくて本当は嫌だったそうです。


梅宮アンナさんとの別れは心の喪失感がかなりありましたが、それでもタレント業や事業が順調だったので忙しい仕事が心の支えとなり心の穴を埋めていたとのこと。

その後2007年6月30日に、未公開株詐欺事件で逮捕される。
1株40万円で取得した未公開株を不動産会社社長に120万円で売って3億7000万円騙し取った疑いがあり、
買主から返金を求められると暴力団関係者を使って脅して返金を諦めさせたという話です。

37歳で始まった事件ですが、裁判が終わるまでをトータルすると15年もかかった。
その間ワイドショーが事件をテレビで扱うから羽賀研二さんの顔が画面に映ったり名前が出たりして何かと世間からの印象があまり薄くなっていないので、
道を歩いていてもありがたいことに今でも声をかけられたりすることもあるそうです。
ただ、自分は15年間ほとんど芸能活動はしていないとのこと。

裁判の結果は納得いっていない部分もあるが、もう何を言ってもしょうがないと思っているそうです。
服役は沖縄に母親がいるのもあり羽賀研二さんの要望で沖縄の刑務所にしてもらったとのこと。
刑務所では受刑者みんなが自分を知っていて色々な話をしたが受刑者と喧嘩になったことはないそうです。
奥さんや娘さんは毎月2回面会に来てくれたので、アクリル板越しにこどもの成長も見ていたとのこと。

ただ、羽賀研二さんは未公開株詐欺事件の賠償にあてられるはずの4億円の不動産を財産が差し押さえられる前に財産分与の為に奥さんと偽装離婚。
奥さんも懲役1年2ヶ月執行猶予3年の刑になってしまいましたよね。
今は奥さんとも弁護士を通してしか話せないですし、こどもとも何ヶ月も会ってはいないそうです。
とんでもない人生ですよね。

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2021年9月に出所してからは1日1500円の民泊で生活していたそうです。
家に住んでもいいよと声をかけてくれる仲間も数人いたようですが、さすがに気を使うし断ったとのこと。

今後は色々あったけど楽しいことを発信していきたいとのことで、最近tiktokで45万人フォロワーのおりさちゃんに知り合いが繋いでくれて
ノリで店の前でtiktok撮ったら160万再生まで伸びて驚いたそうです。
SNSのことはまだよくわかっていないけど、今後は少しずつチャレンジしていくそうです。

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