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池谷直樹:芸能界から地元へ、現在の挑戦と人生観

スポーツ選手

筋肉番付の跳び箱世界記録保持者で有名な池谷直樹さんは今年で50歳だそうですね。ケインコスギさんと番組で競っていたのが印象的ですよね。


池谷直樹/跳び箱世界記録獲得賞金3000万円と車7台/震災で番組終了 事務所退所/2億の詐欺に巻き込まれ…

池谷直樹:体操選手への道のりと夢の軌跡

池谷直樹さんの出身は東京ですが、親の転勤で2歳の時に大阪に引っ越ししてから18歳まで大阪で育ったそうです。

体操は小学校1年生の時に兄の池谷幸雄さんの影響でやり始めて、3年生の時には体操選手として大会に出場していたそうです。

小学生の時は大会でも個人戦で関西では10番以内に入るかどうかの順位で、中学生の時も全国で12番ぐらいだったとのこと。

こどもの頃から優勝を連発するような体操エリートではなかったようですね。
ただし、中学校自体は体操がかなり強かったらしく、団体戦では大会で20連覇しているような強豪校だったそうです。

池谷直樹さんは、中学生の時はオリンピックで日本代表の選手になるのが夢としてぼんやりとあったものの、個人ではなかなか誇れるような実績が付いてこなかったので具体的にイメージできていなかったそうです。

高校生になってもインターハイで23位だった池谷直樹さんとしては、体操のオリンピック選手なんてまったく届くラインにいなかったので夢のまた夢だったとのこと。体操もなかなか厳しい世界なんですね。

高校を卒業まで日の目を見ない池谷直樹さんでしたが、日本体育大学に入った大学2年生からようやく実力と実績が付きだした実感があったそうです。

そして、大学3年生ぐらいになると大会の結果として日本で10番以内に入るようになってきて、そのあたりからオリンピック選手を実質的に狙えるようになってきたとのこと。

大学4年生の時に、日本で12番以内に入っている人が選ばれる体操のナショナル選手になって、そのうち7人程度がオリンピック選手になれる位置まで来て夢が目前だと思ったそうです。

池谷直樹:挫折から新生への転身

池谷直樹さんが社会人1年生の時に、ようやくこどもの頃から体操をして夢見てきたアトランタオリンピック出場のチャンスがやってきますが、残念ながら7位以内に入れずに10位で終わって出場のチャンスを逃します。

幼いころから憧れだった兄の池谷幸雄さんが、1988年のソウルオリンピックと1992年のバルセロナオリンピックに出場して引退していたので、兄弟として周りから比較されることは常だったそうです。

3歳年上の池谷幸雄さんとは喧嘩もしたことない仲だそうです。ただし、体操をやっている時は仲が良いという感じでもなく、大学生の時は1年と4年で、兄であっても「池谷さん」と敬語で呼んでいたそうです。

相撲の親方は親子でも「親方」と呼びますがそんな関係だそうですね。お互いに体操を引退してからは兄貴と呼びながら普通の兄弟のように喋るようになったそうです。

そんな兄の池谷幸雄さんが出場したオリンピックまであと一歩の所まで来ましたが、24歳の池谷直樹さんはオリンピックに出場せずに1997年で体操を引退することになります。

引退間際には2000年のシドニーオリンピックを目指すことも考えたそうですが、今の自分のレベルを考えると4年後にオリンピック選手になれる未来が見えなかったそうです。

体の柔軟性などが関わるので体操選手のピークは24歳くらいまでだそうで、ここから粘っても24歳以降でオリンピック出場はかなり難しいと判断したそうですね。そう考えると活躍できる寿命が短い競技ですよね。

池谷直樹:跳び箱の世界記録保持者への道

オリンピック選手の夢を諦めて体操選手を引退した池谷直樹さんですが、そこから兄の池谷幸雄さんがホリプロに所属していたこともあってホリプロ所属になったそうです。

芸能界に足を突っ込んだ池谷直樹さんでしたが、兄のバーターなどの仕事があるだけで芸能人の収入ではまったく生活できなかったそうです。

生きていかないといけない池谷直樹さんは、事務所に所属して3年間はパチンコ店でアルバイトをしながら生活していたそうですね。パチンコのバイトを選んだ理由は、時給が高かったからだそうですね。

1999年にバイト生活から芸能で食べれるようになったきっかけとなる番組『筋肉番付』の跳び箱(モンスターボックス)に出会うのですが、最初は番組の裏でケインコスギさんに跳び箱を教える指導者をしていたそうです。

ケインコスギさんの身体能力が高かったのもあって22段まで飛べるようになったのですが、他の出演者が15段くらいしか飛べずに終わるので2大会連続で優勝することになりライバルがいなくなってしまったそうです。

確かにケインコスギさんが圧倒的だった時期ってありましたね。そこで、番組のプロデューサーが跳び箱を盛り上げるために池谷直樹さんを出演者側で起用することに決めたそうです。

その結果、日本人で初めて23段まで跳び箱を跳んで総合優勝したことで、ケインコスギさんの3連覇を食い止めたんですね。ケインコスギさんに教えていた立場の池谷直樹さんは意地でも負けられなかったでしょうね。

ケインコスギさんのライバル出現で番組が盛り上がったことによって、そこからの筋肉番付はケインコスギと池谷直樹のライバル対決のような感じで番組構成も変わっていったそうです。

令和になった今でも23段の世界記録は越えられていないことを考えると、池谷直樹さんの記録はかなり凄いんですね。

池谷直樹と筋肉番付:優勝から芸能生活への道のり

筋肉番付の優勝から知名度が一気に上がった池谷直樹さんは、番組に毎回出演して2001年ぐらいから芸能だけの収入で生活できるようになったそうです。

筋肉番付で初めて優勝して視聴率が20%以上だった次の日も、池谷直樹さんはパチンコ屋でアルバイトしていたことを考えると感慨深いそうですね。パチンコを打ちに来ているお客さんに顔を指すこともよくあったそうです。

総合優勝で番組から賞金200万円を貰えた時は、バイトで生活しているくらいお金が無かったのでかなり嬉しかったそうですね。確かに200万円は大金ですよね。

番組では常に強気な発言を吐くビッグマウスキャラを求められていたので、鼻につくような言葉を吐くように演じていたそうです。今のようなSNSですぐにバズってしまう時代だったらヤバかったと思っているそうですね。

実際に番組プロデューサーから「私生活で刺されたりしないように気を付けなよ」と言われたこともあるそうです。ファンも多かったでしょうけど、アンチもキャラ的に多かったでしょうからね。

池谷直樹さんは、初出演から10年間筋肉番付に出演し続けた結果、獲得賞金は総額で3000万円ぐらいになったそうです。賞金の他には車を7台も貰えたそうですね。

2001年に結婚した池谷直樹さんには2002年にこどもが産まれたので、こどもを育てる為にも賞金はかなりありがたかったそうです。一晩で300万円を得られるかどうかが変わってくるので必死だったそうですね。

池谷直樹の新たな道:マッスルミュージカルからサムライロックオーケストラへ

順風満帆に芸能生活を歩んでいた池谷直樹さんでしたが、2011年3月の東日本大震災を機に筋肉番付が終了してしまいます。

池谷直樹さんの普段のスケジュールは、番組の企画としてやっていた「マッスルミュージカル」という舞台を年間で300公演やっていたのでそれでほぼ埋まっていたそうです。

しかし、マッスルミュージカルも番組と同時に終了してしまったことで収入源が絶たれてしまったそうですね。テレビ業界も長寿番組っていうのは一握りですからね。

生活していかなければいけない池谷直樹さんはホリプロを退所して、マッスルミュージカルの有志を集めて『サムライロックオーケストラ』を立ち上げたそうです。

マッスルミュージカルをベースにパワーアップさせた舞台ですね。
銀行に事業計画書を提出して融資を受けたり、スポンサーを集めたりするところから始めたそうです。ただし、立ち上げた最初は出資者から2億の詐欺被害にも巻き込まれたそうです。

2億円ほど集まったお金を出資者が全部自分の会社の運営資金で使ってしまい、サムライロックオーケストラの九州ツアーが全部中止になったこともあるそうです。かなり大変な船出ですよね。

そんな詐欺被害もなんとか乗り越えた池谷直樹さんは、新たにスポンサーを集めて少しずつサムライロックオーケストラの講演を開催して基盤を作っていったそうですね。詐欺に合っても諦めないのが凄いですよね。

池谷直樹の再起:体操教室、たこ焼き屋経営、そして未来へのビジョン

池谷直樹さんは、サムライロックオーケストラの公演をやりながらも、2019年の年末に神奈川県に引っ越してそこに稽古場を作って、2020年の4月に満を持して体操教室をオープンしたそうです。

しかし、タイミング悪く2020年の4月からコロナの緊急事態宣言になって開業直後から6月までずっと休むしかなかったそうです。色々な業界が大打撃でしたよね。

緊急事態宣言が解除されて教室を再開してからもマスクをしながら体操をやらなければいけなかったので、呼吸もしずらくて生徒にも申し訳ない環境だったと思っているとのこと。

また、マスクを外せた最近になってやっと保護者の方の顔もわかるようになってきたとのことで、なかなか顔と名前が一致しなかったりして迷惑をかけたこともあるそうです。色々な面でコロナは弊害がありましたよね。

サムライロックオーケストラの公演もコロナで開催できなかったのもあって収入面が不安でしたが、ありがたいことに体操教室は生徒が来てくれたのでなんとか生活は大丈夫だったそうです。

コロナをきっかけに他にも収入源がないといけないと思ったことからキッチンカーを使ったたこ焼き屋さんも始めたそうです。キッチンカーで池谷直樹さんが自らたこ焼きを作ったりしているそうで意外と好評とのこと。

近いうちに『池谷直樹の跳びたこ焼き』を横浜で店舗販売のスタートもさせようと考えているそうです。色々なことにフットワーク軽く挑戦できるのが池谷直樹さんの良い所ですよね。

池谷直樹さんには3人こどもがいて、一番下が高校2年生、真ん中が大学1年生、一番上は21歳でジョッキーとして川崎競馬場の中央競馬の騎手をやっているそうです。

まだ学生のこどもがいるので育てていかなければいけないということで収入も必要ですからね。奥さんと結婚してすぐのバイト生活の時は、家のガスが止まったり税金を払えなかったりと大変な頃もあったそうです。

それでも筋肉番付の賞金でなんとか生きてきて、こども3人とももうすぐ成人まで育てられそうで良かったとのこと。でもまだ数年頑張らないといけないので色々と挑戦していくそうです。

今後はアスリートのセカンドキャリアを支援できるような場所を確立できる場所も作りたいそうですね。体操選手でもオリンピックまで行ってその後は何しているかわからない人がたくさんいるそうです。

日本にカジノができるとこれからインバウンドで外国人がいっぱい入ってくるので、スポーツの忍者ショーみたいなものを作って外国人が見に来てもらえるようなところも作りたいそうです。

アスリートを引退した人も、その業界で一流を目指せなくなっただけでまだまだ動ける人はたくさんいます。そういう人をスポーツショーの舞台で活躍できる演者になってもらって、
セカンドキャリアとして過ごせる場所を提供できるようになりたいとのこと。

そのためには支援してもらえるような地方や国との人脈作りも必要ですしまだまだ動かなければいけないと感じているそうですね。

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