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山本裕典の現在は:引退で東スポ裁判勝訴!苦闘と復活の軌跡ースキャンダルからの逆襲へ

俳優

山本裕典さんの現状と彼の生き方・思い

俳優の山本裕典さんは現在35歳だそうですね。現在は、六本木や大阪の北新地でBARを2店舗と麻布十番で焼肉屋を経営しているそうです。

一度は事務所を解雇されて芸能界を引退しましたが、周りからの後押しもあってオファーが来たら自分のペースでそれに答えていくスタイルで最近ではメディアにも少し露出しています。

テレビなど地上波への出演はまだないですが、舞台は年間で3回ほど出演していたり、全国のクラブでDJ活動もやっているそうです。俳優、DJ、飲食店経営の3本柱の収入で生活しているとのこと。

経営している飲食店は、山本裕典さんがお店に立たないとお客さんが増えないので、根強いファンや知り合いが来れるようになるべくお店にも顔を出すようにしているみたいですね。

事務所をクビになって芸能界から遠ざかることで離れていった人が多い中で、それでも自分と仕事で関わり続けてくれている今の仲間を一生飯食わせていきたいという思いが生きるモチベーションとなって日々を過ごしているそうです。

そのためにはお金も貯めないといけないし、今の仕事もシフトチェンジしていく必要もあるので日々模索中だそうですね。

山本裕典さんは17歳でデビューしてからずっと芸能界で活動していて、全部スタッフや周りの大人がやってくれる環境で大人になったのであまり自分は細かな実務をできないのですが、付いて来てくれて実務などをやってくれている2個上の仲間にかなり感謝しているそうです。

仲間の存在が精神的にもかなり助かっているみたいですね。


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山本裕典さんのルーツや家族背景

山本裕典という名前は本名で、出身は愛知県の豊川市だそうです。格闘家の朝倉未来さんの出身が豊橋市なので隣町とのこと。

父親はダンボール工場の工場長をやっていて、母親はパートだそうです。母親は現在62歳なのですが、実家がお金持ちだったそうですね。

テレビがカラーになった時代に近所でいち早くカラーテレビを買ってきて、地元の人たちを家に呼んでみんなで集まって観ていたほど家も大きかったみたいですね。

山本裕典さんの父親は在日で、父親の祖父と祖母が韓国人同士で結婚したそうです。祖父は部落出身だったのですが、当時は差別が酷かったのでそれを隠すためにその部落を駆け落ちして、
父親や家族に内緒にしたまま日本人として育ったそうです。父親が結婚する時に戸籍を調べると韓国人と分かったので、母親の家には韓国人だから大反対されたそうです。

両親を説得するためにできちゃった結婚するしか許される道が無くて山本裕典さんを作ったそうですね。山本裕典さんが32歳の時に祖父が亡くなったそうですが、その時に初めて父親に聞かされて祖父が韓国人だったことを知ったそうです。

山本裕典さんは芸能界で色々とインタビューや取材をされた時に「日本人っぽい顔してませんね」みたいな感じで言われたこともあったそうですが、自分がハーフだと知らなかったので「純日本ですよ」といつも答えていたそうです。32歳で自分がハーフということを知って、自分のアイデンティティを見つめ直したり韓国に興味を持ったそうですね。

在日って何なんだろうと考えたり、韓国に行っても今まで見た景色や思っていたことがガラッと変ったみたいです。20歳の時に『パッチギ』の舞台をやったのですが、何か韓国に縁があったんだなと思い返したとのこと。
人生を過ごして結構な時間が経過してから32歳で自分が韓国とのハーフと知ったら驚きますよね。

山本裕典さんの若き日と芸能界入りの経緯

山本裕典さんは、中学2年生の時には身長180㎝でイケメンだったのでかなりモテたそうですね。
バレーボール部で別の学校に試合に行くと、遠征バスから体育館まで女の子が集まっていてリアルイケメンパラダイスだったそうです。

でも中学3年生から4年間真面目に付き合っている彼女がいて、モテてはいたけど当時は彼女一筋で浮気とかはしなかったとのこと。

高校3年生の時にTOYOTAに就職内定が決まっていて、毎日暇していたら母親がジュノンボーイの雑誌を買ってきて「暇ならこれ受けてきたら?」と言われたそうです。

応募者の中から50人の中に残ると雑誌の1ページに小さく掲載されるということで、もし雑誌に掲載されたら将来結婚してこどもに自慢できるかなと思って軽いノリで受けたら準グランプリだったそうですね。

それをきっかけに色々な会社からオファーが来て、エバグリーンエンターテイメントに行くことに決まったそうです。

今でこそ大手ですが、その時はほぼ山本裕典さんが1号で独立したばかりの社長と二人で二人三脚だったみたいですね。

晴れて芸能界に行くことになった山本裕典さんは、内定が決まっていたTOYOTAに両親と謝罪しに行ったそうです。

工業高校だったので適当に辞退すると翌年から後輩たちに迷惑がかかることもあって、学校の先生からもしっかり謝罪しに行ってくれと言われたとのこと。

山本裕典のキャリアの初期と仮面ライダーでの抜擢

18歳になる年に芸能活動をスタートさせたのですが、初めて受けたオーディションが『マイボスマイヒーロー』という長瀬智也さん主演のドラマと仮面ライダーカブトだったそうです。

いきなり両方とも受かって仮面ライダーカブトの方を選んだ山本裕典さんは、ロケットスタートによりそこからはもうオーディションではなくオファーが来るものに選んで出演する感じだったみたいですね。

ただし、仮面ライダーのオーディションには裏話があって山本裕典さんとしては運が良かったと思っているそうです。

芝居もやったことないのでセリフも覚えられないし演技もできなかったので、仮面ライダーの1次審査では恥をかいただけで手ごたえは何もなかったそうです。

それでもなぜか1次審査合格の連絡が来て、喜んでいたのもつかの間に数日後2次審査が始まったそうです。2次審査では監督が目の前に来て芝居のことをかなり細かく演技指導されたそうです。

山本裕典さんはよくわからないままがむしゃらに芝居をしたそうですが、なんと合格して仮面ライダーに出演することになったとのこと。

1年程撮影が続いたのですが、ある時プロデューサーから面接の裏話を聞かされて驚いたそうです。当時、2次審査で芝居ができなかったら山本裕典さんとは違う役者さんを合格にする予定だったそうです。

でも、仮面ライダーを撮影している長石監督が少し天然で、2次審査とは知らずに仮面ライダー役は山本裕典さんで決まっていると勘違いしていたそうですね。

だからかなり細かく芝居を説明したみたいなのですが、プロデューサーが長石監督に合格にするか落選にするか確認した時に監督がオーディションだったと気付いたそうです。そんなことあるんですね。

監督としても山本裕典さんで決まっていると思って芝居を細かく指導したので、現場でもうこの子を合格にしようとなったそうです。

プロデューサーや他のスタッフも全員この子は落ちたなと思っていたみたいなので、監督が天然じゃなかったら他の役者さんになっていたでしょうね。山本裕典さんの強運があっての抜擢だったようですね。

そこからは話題のドラマとかにちょい役で出演したり20歳の時に主役のドラマを経験して、23歳の時にTBSの『タンブリング』というドラマで主演をやるなどとんとん拍子だったので芸能界をちょっと舐めていたそうです。

3番手や4番手の役でドラマに出演させてもらっていた時も、いずれ自分が主役でドラマに出演しまくる路線に乗っているなと感じていたそうです。

TBSの日曜劇場で『南極大陸』というドラマで木村拓哉、香川照之、柴田恭兵、堺雅人、緒形直人など豪華メンバーの中で、若手の役でいい役をもらった時は完全に調子に乗っていたそうです。

山本裕典のスキャンダルと事務所解雇

『ROOKIES』の映画版にも出演していたのですが、実はドラマ版にもオファーは来ていたそうです。ただ、裏で『太陽と海の教室』という織田裕二さんが先生の学園ものと出演が被っていて、
事務所としても若手の俳優がたくさん出演して目立てないROOKIESよりも、月9の織田裕二さん主演ドラマで少し重要な役の方を選んだみたいですね。

ドラマが始まるとROOKIESが同世代の若者俳優たちでかなり楽しそうな盛り上がりを見せてたので、山本裕典さん的にはちょっとそっちに行きたかったようですね。

女性関係で事務所を解雇されて芸能界から遠ざかる山本裕典さんですが、週刊誌には23歳頃から大阪の北新地のキャバ嬢とベッドイン写真が出たり、アイドルの卵をお持ち帰りしたり、真剣に付き合っている恋人といるところを撮影されたりと、年に1回くらいは女性スキャンダルがあったので事務所からも気を付けるように注意をされていたそうです。

でも映画やドラマなど重要な役が決まると事務所的にも嬉しいので、仕事が順調だった山本裕典さんには事務所もあまり強くは言えなかったみたいですね。

山本裕典さんが芸能界を辞める決定的な事件は28歳の時ですね。
福島県でスナックの女の子と飲んでホテルに行った次の日に、ある男性から事務所に「俺の彼女が山本裕典と浮気したけどどうしてくれるんだ?」と電話が掛かってきたそうです。

後日女の子から電話が掛かってきて、彼氏と喧嘩して山本裕典さんとホテルでセックスしたことを彼氏に言ったのが分かったとのこと。恋人同士の浮気の喧嘩に巻き込まれた感じですね。

この件については問題なく解決したみたいですが、当時の芸能界では不倫や浮気などスキャンダルで仕事を失って事務所が損害を被る事例が多発していたので、リスクヘッジとして事務所を解雇されてしまったそうです。

女性問題がたまに起きるのが続いたので所属している他の役者さんへの建前や、世間へのけじめとしてクビになってしまったようですね。当時の社長とは未だに仲は良いらしく関係が悪くなったわけではないそうです。

それでもまた事務所に戻れることないそうですね。女性スキャンダルが多かっただけではあるのですが、世間にはレイプしたとか薬物やってるなど根も葉もない噂が広がっていて悲しいそうです。

事務所をクビになってからは生きていくために飲食店を始めて毎日朝まで飲んで夕方には動き出すという生活だったそうです。

知り合いやファンなどが店に来てシャンパン一気飲みできたらもう1本開けると言われたら売り上げのために飲んでいたそうですね。

1ヶ月で1500万円の売り上げがあがった時もあったそうです。飲めたらもう一本開けるとか言う人は良いお客さんとは思えないですよね。

芸能界への復帰と裁判

そこから芸能界に戻るきっかけになったのは、事務所を解雇されてから2年後の2019年に『リブマックス』という会社の社長さんからうちのCMに出て欲しいと直々にオファーをくれたことだそうです。

それをきっかけに本格的に芸能界復帰を果たした山本裕典さんは、翌年にM&Mという除毛クリームの広告やらせてもらったりしたそうですね。今では舞台にも出れるようになってきて芝居もやっているとのこと。

最近では2020年にイベントショーに出たことで裁判になって少し話題になりました。東スポがイベントショーでは山本裕典さんが原因でコロナのクラスターが起きたと誤報を報じたことで訴えたんですね。

イベントショーでコロナのクラスターが起きたことは事実なのですが、東スポの記事が明らかに違う関係ないことも含めた感じで記事が上がって、ヤフーニュースのコメント欄は自分への誹謗中傷が凄くて落ち込んだそうです。

事実無根のことをあたかも事実のように報道されたことでさすがに訴訟を起こしたそうです。結果的に裁判は勝ちましたが、証明するのに3年かかったそうですね。

実際にこういったニュースの誤報に関しては泣き寝入りしている芸能人なんていくらでもいるみたいですね。かなりの時間と安くはない弁護士費用がかかって、負けてしまったら損害が大きいですからね。

山本裕典さんも誹謗中傷やバッシング耐性が強い方ではないらしく、東スポの誤報には自殺を考えるほど悩んだ時もあったそうです。外を歩いていても人の目が気になって自殺まであと一歩のところまでいったとのこと。

先日のりゅうちぇるさんの自殺もそうですが、芸能人の誹謗中傷は本当に考えなければいけないですね。

山本裕典さんは、アンチコメントなど顔を出さずに誹謗中傷している人には、やられている側にとっては本当に自殺を後押しすることに繋がるので考えて欲しいそうです。

自分が思いとどまったのは今でも仲間や根強いファンがいてくれたこともあったし、祖父が亡くなって32歳で自分がハーフだというルーツを知って父親の先祖にお墓参りしたら心がスッキリしたことだったそうです。

今までは自分のルーツをないがしろにしてきたけど、そういうことを気にし始めたらやっぱり必死になって生きていかなければいけないなと感じたそうです。

今後は求められ続ける限りは芸能の仕事もやっていきたいですし、飲食店も並行して続けたいそうです。不動産とか会社経営みたいなものにも興味があるそうで、現在進行中の話もあるそうですね。

今では貪欲にテレビに出たいとかテレビを観ていても思わなくなったそうです。事務所を解雇された直後は同世代や若い役者がテレビで必死に頑張ってるの見たりすると悔しい気持ちもあったそうです。

今は吹っ切れたのか普通に楽しんでテレビを観れるようになったそうですね。

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