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石田純一の若い頃と現在は!?

俳優

石田純一さんは現在68歳。芸歴45年になります。中村雅俊さんや岩城滉一さんや陣内孝則さんが同期です。石田純一さんはテレビに出る前はずっと舞台俳優「演劇集団 円」をやっており、塩見三省さんが同期で、3つ下に渡辺謙さんがいるようです。東京都目黒区出身ですが、石田純一さんが若い頃は下町のような雰囲気だったようで、暴走族がいるなど治安が悪かったようです。

父親はNHK出身。アナウンサーを経験後、報道に移り、放送総局の副総局長になったようです。親戚もみんな報道に就職していたらしく、朝日新聞や日経新聞の政治部部長などマスコミ業界に精通している一族だったそうです。石田純一さんは現在、9歳、6歳、4歳の3人の子供がいます。最近の1週間は、撮影の合間に子供たちの送迎をしています。
石田純一/不倫は文化で炎上/一度に家族と仕事失い年収3億から借金6000万/東尾理子と21歳格差婚に…


最近1番下の子供2人の学校の近くに引っ越したようで、自転車や歩きで保育園と幼稚園に連れて行っているようです。石田純一さんは、子供は目一杯遊んだ方が良いという考えですが、奥さんの東尾理子さんが教育に厳しいようで、子供たちを英語やそろばん塾に通わせています。

父親がクラシックなどの文化が好きで、実家にレコードが並んでいる家庭で育った石田純一さんは、若い頃から映画や舞台をよく見ていたようですが、自分が撮られる側になることは一切考えていなかったようで、親戚同様華やかなテレビ局の世界に入ることが夢だったそうです。

中学時代の悪行が酷かったようで、補導や逮捕が当たり前。鎖を持って他中に乗り込んだこともあるようです。同級生のリーダーだった為、内申書に「要注意」と書かれていたよう。そのため、都立高校や私立高校で進学出来る場所がなく、2次募集で280名の内の1人に選ばれ、運よく青山高校に入学することが出来たそうです。

石田純一さんが若い頃の青山高校は都立高校の22群と呼ばれ、「戸山青山」が1番偏差値が高い学校でした。入学してからは受験に対して意識が高い高校だったという事もあり、悪行を改め大人しくなったそうです。大学は現役で早稲田に入学します。当時の早稲田の倍率は20〜30倍だったそう。早稲田大学から新劇や映画監督に進む方も何名かはいたようです。

石田純一さんは21歳の時に大学を中退し、アメリカの演劇学校の俳優コースを出る目的でアメリカに行きます。その時はまだ俳優をする自信が無かったようで、演出の勉強をしていたようです。父親の反対を押し切って向かったアメリカで2年間過ごし、英語を話せるようです。石田純一さんは元々、小さい頃にアメリカに居たいわゆる帰国子女で4年間家族で過ごしたそうです。幼少期の発音が身についていたお陰で、会話に困ることは無かったようです。

アメリカで演劇活動をする事が本来の目的でしたが、アメリカ社会の演劇の厳しさを目の当たりにし、やっていけないと日本に帰国することになります。同じアジア系でも、演劇もミュージカルも韓国人の方が断然に上手かったそうです。石田純一さん自身、劇団で歌も踊りも上手な方だったようですが、ブロードウェイでは韓国人の上手さに圧倒されたと言います。

アメリカで役を貰うという夢は果たせませんでしたが、型芝居以外の「スタニスラフスキー・システム」というリアルな臨場感ある芝居を叩き込まれた事は、役者人生においてプラスだったようです。石田純一さんは10年間売れない時期があり、34歳の劇を最後にマネージャーに移動する予定だっとようですが、「抱きしめたい!」というドラマに決まっていた陣内孝則さんがTBSドラマの主演に抜擢され、運よく石田純一さんに「抱きしめたい!」の役柄・二宮修二が回ってきたそうです。当時日本では無名だった石田純一さんですが、アメリカのドラマでは主役を飾り活躍していました。

「抱きしめたい!」に出演してからは生活がガラリと変わり、一気に日本中に石田純一さんの名前が知られるようになりました。街を歩けば世間中がそのドラマの話をしており、「二宮修二!」と役柄で呼ばれる事が多く、認知度の広まり方に本人も驚いたようです。

そのドラマの撮影後、2回目の結婚をした石田純一さんと松原千明さんの間に、長女・すみれさんが誕生します。20歳の大学生の時に生まれた、いしだ壱成さんは、石田純一さんがアメリカに勉強する時期と被っていたために、当時付き合っていた彼女の希望で日本に置いていく事になりました。その彼女さんの家が裕福だったようで、石田純一さんの援助がなくても十分子供を養っていける生活費があったようです。出来ちゃった訳ではなく、彼女に頼まれて子供を「作った」ようです。

石田純一さんが若い頃は、30代で売れてなかったら芸能人辞めてしまえと言われる時代だったようで、周囲から辞めろと言われてきたみたいです。24歳でデビューも遅い時代だったそうです。
新潮社の「FOCUS」で、モデルとスポーツクラブでデートしてた所を2週連続撮られた石田純一さんは、記者からの問いかけに逃げ回っていたようですが、当時お世話になっていた平尾昌晃さんに激怒され、「歌や舞台だけが芸能人じゃない。

そういうのも全部含めて芸能人だから逃げるな!」と喝を入れられ、次の日腹をくくって記者の前に出たそうです。その時の質問で「不倫はいい事だと思っているのか?」と記者に問われ、「いい事だとは思わない。不倫そのものを全否定したら、それを基に作られているオペラや演劇や歌などの文化を全部否定するものですよ」と答えたら、スポーツニッポンの一面にに「何が悪い!不倫は文化だ 石田純一」と切り取られてしまったようです。

あの炎上した発言は、石田純一さんが答えたものではなく、記者が考えたキャッチーなコピーライトだったようです。石田純一さんが当時を振り返って思うことは、1番大事だった奥さんや娘・すみれさんを傷つけてしまったことだと言います。

すみれさんはその時まだ小学生で、学校に通うと「文化の子」と呼ばれていたそうです。家にも記者が押しかけ、チャイムを鳴らされる日々でした。その状況に耐えられなくなった石田純一さんは、家族でハワイに移住することになります。その後松原千明さんと別居し、そのまま離婚という形になります。不倫は文化で炎上するまでは俳優業は順調に仕事が決まっていたようです。

今井美樹さんや松下由樹さんとの共演も決まっていました。当時の石田純一さんのキャリアプランでは、俳優業を辞めてキャスターになろうと思っていたようで、「Jチャンネル」という情報番組のMCをテレビ朝日に務めている従姉妹と一緒に協力して行っていたそうです。5年契約をそうどうが収まらないという事で、1年で辞退します。

俳優業に戻ろうにも、一旦報道に行ったし、不倫は文化の傷は拭えないという事で、しばらく軋轢があったようです。その時41歳でしたが、人生終わったなという気持ちだったそうです。前年の年収は3億越え。


CMは全部降ろされ、ドラマの仕事も一切来なくなってしまったそう。税金の8千万が払いきれなくなり、6年分割で返済したようです。その当時の石田純一さんを拾ってくれたのがバラエティ番組。ドラマでカッコつけた役をやっていた石田純一さんが、クイズ番組でヘマをやるとパイを投げられる。それが受けたそうです。1番最初に石田純一さんをバラエティ番組に呼んでくれたのが、ダウンタウンの浜田さんと島田紳助さん。ネタにして頂き救われたようです。

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