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井川意高は本がベストセラーで現在は!?

芸能人

元大王製紙会長の井川意高さんは、現在58歳です。
2013年に累計15万部のベストセラーとなった『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』に続いて、
最近では『熔ける再び、そして会社も失った』という本を出版して話題になりましたよね。


106億8000万円をギャンブルで熔かしたというとんでもないギャンブル依存症だった井川意高さんですが、
今は顧問をしている会社のミーティングに週2回程度出席して、あとはツイッターを更新したりジムに通ったり夜はスピリタスを飲んで自由に過ごしているそうです。
資産はかなりあるので生活はやっていけるとのことなので羨ましい限りですよね。

井川意高さんはもうギャンブルをしていないそうです。
一勝負3000万円などのレートでギャンブルしていたので、そのレートを経験してしまうとそれ以下のレートではまったく面白くないとのこと。
先日ギャンブル依存症だったガーシーさんとも対談して同じ意見だったそうで、
本当のギャンブラーはお金を稼ぐためにやるのではなくゲームのハイスコアを狙うような感覚でやっているだけだそうです。
井川意高さんは軍資金150万円が1時間で23億円まで増えたことがあるそうですが、翌日にはすっからかんになってしまったことがあるとのこと。
一般人のお金の感覚とはかけ離れていますよね。


井川意高さんはアルコール依存症でもあるそうで、潰れるまで飲みたいタイプだそうですね。
テキーラ(40度)を飲んでいる時期もあったが、今はスピリタス(96度)を毎日飲んでいるそうです。スピリタスの方が不純物が少ないので二日酔いになりにくいとのこと。
スピリタスを好んで飲む人もかなり少ないとは思いますけどね。

そんな井川意高さんですが、出身は愛媛県四国中央市だそうです。
幼い頃は祖父が大王製紙の社長で父親が役員をやっていたのですが、アメリカから製紙用のパルプの原料になる木材チップの輸入を始めるにあたり、
その輸出ルートを作るために父親がアメリカに出向することになったそうです。
その為に家族でニューヨークに移住し、その後アメリカの西海岸オレゴン州でも過ごしたそうです。
幼い頃だと日本じゃないと嫌とかそういうのもまだわからないでしょうね。

井川意高さんが日本に帰ってきたのは小学校に行く直前だそうです。
当時の四国中央市は人口4万人程度の町なので、大王製紙の社員や下請け会社の社員で成り立っている町といっても過言ではなかったとのこと。
町で一番大きな屋敷に住んでいることもあり、幼いながらも自分の家はお金持ちなんだと感じていたそうです。
町ではかなり有名だったでしょうね。

伊予三島市立伊予三島小学校に通っていた井川意高さんですが、田舎なので弟と一緒に海や山を駆け回って魚や虫を獲っている普通のこどもだったそうです。
しっかり者ではあったようでクラスでは学級委員などもやったりしていたそうですが、
一方で友達から「お前の会社は公害だしているじゃねーか」「海が汚れる」「空気が汚れる」など言われてからかわれることも多かったとのこと。
同級生からしたらよくわからず言っているんでしょうが、親が家で言ってるのを真似してたりするんでしょうね。

井川意高さんはクラスでも異常に頭が良かったらしく、父親と小学4年生の時に東京へ遊びに行った際に代々木ゼミナールの中学模試を6年生に混ざって受けてみたそうです。
すると全国2位の成績で父親も驚いたそうです。塾にも行ってなかったらしく地頭で2学年上の全国模試で2位ってとんでもないですよね。
もともと父親が教育熱心だったそうで、小学校に上がる前に九九を覚えさせられたり、漢字も「春」という字が覚えられなかったら殴られた記憶があるとのこと。
超バイオレンスというか昭和の親父というイメージですね。

そんな感じで数年は愛媛県で過ごしたそうですが、中学校になる前に父親の転勤で今度は東京に転校するそうです。
中学高校はエスカレーター式の教育大付属駒場高校に入学したとのこと。
筑駒は中学から大学と同じシステムで、出席日数が7割以上で試験で70点以上取れば落第しないそうです。
だから井川意高さんは授業を休んで昼間から友達と雀荘、パチンコ、ゲームセンターに行って遊んだりしていたとのこと。
この頃から少額だが賭け麻雀などギャンブルはしていたそうです。
ただそんな感じで過ごしていると、あっという間にクラスで下から数える方が早い成績になってしまい父親にかなり怒られたとのこと。
父親は慶応大学の文学部英文学科卒業とのことで、その日から毎晩3時間は父親が家庭教師になりゴルフクラブで殴られたりしながら厳しく勉強したそうです。
今だったら問題になりそうな恐怖教育ですね。

父親に厳しく家庭教師されていたのもあって井川意高さんは東大法学部に合格します。
当時筑駒は160人中125人は東大に合格していたので、自分としては東大に入るのは普通という感覚だったそうです。
東大に行った井川意高さんですが、将来はどうせ父親がいる大王製紙に入社するだろうと思って大学ではあまり勉強せずに遊んでいたそうです。
卒業後は大王製紙にすぐ入社もできましたが、1年間「大原簿記」に通いながら遊んでいたとのこと。
一族の御曹司でいつでも就職できる場所があるのは良いですね。

ついに大王製紙に入社した井川意高さんは最初工場に配属されたのですが、一族の御曹司なので周りはかなり気を使って腫物を触るように接していたそうです。
工場の色々な部門を現場主任に製造工程を学びながら3ヶ月ごとに移動して、入社5年目に工場の中で3番手の工場長代理になったそうです。
工場長代理を1年間経験した後に、売上120億に対して借金が1000億で赤字70億という岐阜県にあった「名古屋パルプ」という子会社があり、
そこを立て直して来いとベテラン社員4人と一緒に出向させられたとのこと。
まだ立て直せる力はないのでベテランに教えてもらいながらそういう現場を経験して来いということですね。

4年程かけてようやくトントンまで立て直せたので、井川意高さんは本社に呼び戻されて31歳で常務取締役に就任することになるそうです。
ようやく赤字の場所から抜け出せると思った井川意高さんでしたが、本社では家庭紙部門に携わりそこも550億円の売上に対して赤字が80億円だったそうです。
「なんでまた赤字の場所に…」と不満があったそうですが、なんとか5年後には売上1000億円で利益が80億円まで立て直したとのこと。
一族の御曹司とはいえまだ若いのにすごいですよね。

30代は家庭紙部門で仕事をやっていたそうですが、その頃は忙しかったのでまだギャンブルはやる暇もなかったそうです。
ただし、34歳の時に家族でオーストラリアに旅行した際に、初めてカジノでバカラをやるとビギナーズラックで軍資金100万円が2000万円になったそうです。
そんなに勝ったらハマりそうですが、その時はギャンブルにハマらなかったとのこと。
普通はここでのめり込みそうですけどね。

42歳の時に第6第社長に就任した井川意高さんですが、40代になって友人とマカオのカジノに行ってからギャンブル沼に足を突っ込むそうです。
最初の頃は軍資金500万でやっていたそうですが、日本からシンガポールに直行便で夜12時に出発して朝7時に到着する飛行機ができてからは、
土日を利用して日本とシンガポールを簡単に行き来できるようになりカジノに頻繁に行くようになったとのこと。
金曜や土曜の夜に出発しても月曜日の仕事には間に合いますもんね。

ギャンブル依存症になってしまった井川意高さんは、負けが重なって10億ほど借金ができたものの11億円勝って借金返済できたこともあったそうです。
ある日、東京地検特捜部から井川意高さんに電話があり、一定以上の大きな金額の入出金がみずほ銀行の京橋支店で頻繁にあるので怪しまれたとのこと。
色々と調べられた結果、会社法960条違反の特別背任にあたってしまい、
「会社の役員が自己もしくは他人の為に会社に損害を与えた場合は罰する」ということになってしまったそうです。
会社本来の目的ではない事業外の事に使う為に会社からお金を借りた問題ですね。
確かに私的なギャンブルに使っていますもんね。

指摘を受けた井川意高さんでしたが、期限までに借金を全額返せば問題はないという話になったそうです。
そこで、全額現金ではなく株式による「代物弁済」を利用して返せる準備を整えたそうですが、
当時の大王製紙の佐光社長が井川一族を会社から追い出すために「現金で貸したものは現金で返してください」とクーデターを起こしたそうです。
法律的には問題ないはずですが返済を拒否したということですね。

その結果、返済の用意が整っていたにも関わらず事実として期限までに返済することができなかったので形式上は特別背任が成立してしまい、
クーデターで会長の座を追われて2011年11月22日に特別背任罪の容疑で井川意高さんは逮捕されてしまいます。
ドラマみたいな展開ですね。

井川意高さんとしては、隠蔽でも粉飾でもなく会社でも決算期ごとに有価証券報告書を作成しており、会社の役員と関係者との取引を全部記載してあるので
井川さんの借り入れ履歴は詳細に記載してあるのですが、結局誰も決算書をちゃんと読んでいなかったから数年間気付かれなかっただけだそうです。
分厚い有価証券報告書の隅々まで目を通す人ってなかなかいないですもんね。

逮捕された井川意高さん小菅(東京拘置所)のC棟11階の独房に入れられたそうです。
10階と11階は確定死刑囚が入っており、国内とトップクラスの犯罪者と共に収監されたとのこと。
死刑囚はいつ死刑執行になるかわからないのですが、死刑執行されるときは朝にわかるので朝は精神不安定になり怒鳴り喚き散らしたりするそうです。
井川意高さんとしてもギャンブルとは違うスリルのようなものを味わったとのこと。
11月22日から30日間拘置所に入り、12月22日に釈放されたそうです。

その後、井川意高さんは裁判を経て2013年10月3日に刑務所に行くことになるそうです。
3年2ヶ月の間は刑務所の図書工場で図書館の司書のような仕事をしていたとのこと。
長い刑期を終えて2016年12月14日に出所した井川意高さんですが、井川一族は大王製紙から追い出されたこともありファミリーで540億円で株を売ったそうです。
一族にはとんでもない金額が残っているんですね。

井川意高さんは出所してから現在まで6年間はやりたいことだけをやって過ごしているとのこと。
出所して最初にやった仕事らしいものはホリエモンと幻冬舎から「東大から刑務所へ」を出版したことだそうです。
ホリエモンも逮捕されていますもんね。
現在は何もしていない日々に少し飽きてきたのでツイッターは少しやっていますが、今後はメルマガやオンラインサロンも開始するようです。

ギャンブル依存症の時にやっていたのはブラックジャックやバカラですが、よく質問で「なぜそんな運しかないゲームをやるの?」と聞かれるそうです。
経営者は普段仕事をしていると合理的に考えて経営判断をするなど理屈しかないので、たまには理屈まみれの仕事の責任から解き放たれるゲームをしたいとのこと。
有名な経営者で占い師にハマっていたり風水に凝っている人も多いそうです。
自分一人で大きな決断をしなければいけない立場の人は、非科学的なお告げみたいなものにすがりたい時があるようですね。
ギャンブルのシビれる所は、「これに負けたらお金どうする?返す当てもないから首くくるしかない?」というギリギリの感覚だそうです。
年収が低いとか高いとか関係なく、自分の資産と比べてこのギャンブルに負けたらどうなるかという人生を詰むかどうか極限のスリルがギャンブルの境地だそうです。

何はともあれもうハマらないで欲しいですね。

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