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お笑い芸人パタパタママ・下畑博史さんの現在

芸人

下畑博史さんは福岡の北九州出身のお笑い芸人。
愛称はしもにーで、2021年当時48歳。
バットボーイズの佐田さんと仲が良いようですが、下畑博之さんが芸歴1年上の先輩だそう。
福岡吉本の時から知り合いだったみたいです。

パタパタママ下畑博史 前編/ヤクザ暴走族はびこる北九州のポコチン王/突然拉致され監禁2週間


下畑博史さんが幼い頃、北九州は周りのイメージほど治安は悪くなかったそうです。
学生時代はヤンキーだったという認識はなく、ロックンローラーに憧れてバンドでギターを担当。
当時はお笑いではなく、音楽を将来の道に考えていたそうです。
見た目はスキンヘッドで髭もなく、ピカピカツルツルしている!というお坊さんのような印象。
毎日毛を剃ってピカピカにすっきりさせているそうですよ。
高校の終わりから20歳の時まではロン毛で、鎖骨辺りまで伸ばしていたみたいです。
一浪で自称バカ大学を卒業し、大学のレベル的にも就職する事は考えられず、23歳で芸人の道に入ります。

当時素人の時、夜に放映されていた少しエッチなローカル18禁テレビ番組に、居酒屋で飲んでいたところをディレクターに取材され、ぜひ出させて下さい!と出演します。
今では考えられませんが、TV番組でおっぱいもろ出しが当たり前だったそうです。
ノリと勢いで出たその人気番組で優勝し、「初代ポコチンキング」という称号を得ます。
凄さがよく分かりませんが(笑)人気番組だったとのことで地元ではちょっとした有名人になったのでしょう。

そのまま同TV番組に準レギュラーとして出演し続けていたところ、教育委員会から番組へクレームが入り、番組放映が中止となります。
そこでメインMCを担当していた方にお笑いの名門、吉本興業に入ることを勧められた下畑博史さん。
その時までお笑いや漫才やコントの経験が一切なかった下畑博史さんは、合わなければ辞めればいいやの本当に軽い気持ちで1996年23歳で吉本興業に入ることを決意しました。

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入った当初は、同期の4人組カルテットでネタを行なっていましたが全くウケず。
カルテットを2組のペアに分け、今の相方とコンビを組むことになったそうです。
下畑博史さんは吉本福岡の7期生です。
吉本東京1期生の、品川庄司さん、ハチミツ二郎さん、笑い飯の西田さんが同期。
下畑博史さんのコンビは、有難い事にラジオやテレビ番組の仕事をすぐに地元福岡で頂けたようです。

その時初代ポコチンキングという事を隠して活動していたという事なので、本当にコンビの実力で番組を頂いてたという事ですね。
その後10年間、途切れる事なく福岡でレギュラー番組を持っていたそうです。
パンクブーブーさんやヒロシさんなど、地元福岡のお笑い芸人が東京に進出していったのをみて、芸歴15年38歳で下畑博史さんは東京に進出することを決意しました。

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しかし生憎にも東京進出時と東日本大震災の時期が被ってしまい、お笑いの仕事はゼロ。
下畑博史さんは福岡にいる時、天神でバーを経営していました。
そこでの収入でお笑いの勉強をしながら東京で生活していこうと考えていましたが、福岡でアルバイトをしていたメンバーのやる気が追いつかず、バーの売上が思うように上がりませんでした。
そのため、急遽儲かった分だけアルバイトの給料を上げる歩合制に変更。

すると今度は売上が下畑博史さんの手元に残らず、バーの家賃を稼ぐために東京でアルバイトをしなければいけないという悪循環に陥り、とうとう店を畳むことを決意します。
一時期はお笑いと経営者の両方を経験していた下畑博史さん。
自分の人生はどん底ではなく、ゆるい感じで小ラッキーで生きていけたと語ります。

当時は千原ジュニアさんに面倒を見てもらうなど、周りには恵まれていたみたいです。
現在は子供が小学生になるため、高齢の方に配食をするというアルバイトで生計を立てており、ムーディー勝山さんも同じアルバイト先だそうです。

キングオブコントにも挑戦し続けていて、準々決勝までは進んでいるよう。
ネタは全て相方の木下さんが担当し、R1で準決勝まで進んだ実績もあるそうです。
下畑博史さんは売れるためにがむしゃらにという精神ではなく、売れない中でいかに楽しく過ごすかという考えで生きているそうです。

2021年4月14日と21日に放送された水曜のダウンタウンに出演した際は、クリスマスから1月2日まで監禁されましたが、その中でもどうやって脱出するかと焦るのではなく、どうやって監禁生活で楽しく過ごしていくかを考えて乗り切っていたそうですよ。
前向きですね。

下畑博史さんが若手だった頃は、コンビ仲が悪いのがカッコいいという風潮だったそうで、相方の連絡先も知らない関係がいいという流れだったそうです。
あえて相方と会話せず、3年目には仲が悪くなっていたみたいですよ。
下畑博史さんは仕事のために動くことが苦ではないようで、多い時には4つ程アルバイトを掛け持ちしていたそうです。

下畑博史さんは1年ほど前から、以前より興味があったYoutubeの活動を始めています。
ずっと好きだったバイク動画に内容を切り替えて3ヶ月で登録者数3万人突破。
チュートリアルさんも加入していた「RGツーリングクラブ」で、バイクを改造したり趣味で遊んでいた内容が、今ではYoutubeで仕事になっている事に幸せを感じているようです。
このクラブでDVDを出したり、イベントやサーキットなども行なっているそうですよ。
遊びから徐々に仕事になっていくとは、本当に仕事の形の理想系ですね。
奥様とは東京に出てくる前から福岡ですでに知り合っていたそうで、知り合って10年以上になるそう。
死ぬまで芸人をやり続けるつもりで、このご時世、逆にやりたい事全部やってやるぞという気持ちで動いているそうです。

バイク以外にも釣りとサーフィンも趣味としています。
コロナ禍の影響で新しいネタをお客さんの前で披露する機会が少なく、ネタの修正が出来ずに苦戦しており、自信のあるネタで挑戦し続けている為、新ネタ開発が進まないそうです。
M-1には優勝するまで挑戦し続けると意気込みを語っています。

水曜のダウンタウンに2021年出演した際の企画は、毎日朝の星座占いで発表されるラッキーアイテムを使用して監禁生活から脱出し、東京本社まで無事帰れるのかという企画です。
手の届かない所に置かれている鍵を、ラッキーアイテムを使用して取れるか試すという流れを毎日繰り返し、11日目でやっと脱出することに成功。

この監禁企画は吉本の東京本社で突然行われたらしく、しばらく帰れない事を電話で奥さんと娘に伝えると、驚いて電話越しに号泣していたそうです。
お父さんとしては嬉しいような辛いような複雑な心境ですね。
Youtubeは毎週金曜日にアップしているみたいです。

バイクは元々好きで10代の頃から乗っていたそうで、1番最初に乗ったのがフォークツーという400のバイク。
バイクの大型免許を取ったのは東京に出てからだそうですよ。


Youtubeにアップするツーリングの撮影は、ゴープロを手元側につけて自撮りで撮っているそうです。
コロナ禍の影響で電車の密が怖いと考える人が増え、移動手段で1番密にならずに駐車料金もかからないバイク人口が増えたようで、自動車学校でのバイク免許が予約一杯で取れない場所もあるそうです。
世の流れで何がブームになるか予測出来ないものですね。

お笑い芸人パタパタママ下畑博史さんの現在は、バイク趣味を楽しみながらもお笑いでトップを取る夢も諦めない、自分らしい人生を楽しんでいるYoutuberパパでした♫

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