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TIMゴルゴ松本の挑戦: 起伏ある芸人人生から現在への歩み

芸人

芸歴と早期の生活: ゴルゴ松本の青春と挑戦

お笑い芸人のTIMゴルゴ松本さんは芸歴30年になるそうですね。芸人をやる前には役者を少しやっていたそうで、それも合わせると芸能歴は35年だそうです。

中山秀征、松本明子さんが同期で、ホンジャマカさんが先輩になるようですね。現在56歳で中堅芸人の位置付けだそうですが、年齢的には大御所と呼ばれてもおかしくないですよね。

埼玉県出身のゴルゴ松本さんの家系は、祖父の代から商売人の家だそうです。
子どもの頃から友達や周りの大人を笑わせることが好きだったゴルゴ松本さんは、野球部で甲子園に出場するほど野球に熱中する傍ら「とんねるず」に心奪われた青春時代だったそうですね。

高校生の時に『夕焼けにゃんにゃん』『オールナイトフジ』にとんねるずが出演しているのを見て憧れたゴルゴ松本さんは、教師になりたかった夢を辞めて毎日誰をどうやって笑わそうかということを考えるようになったとのこと。

そして、高校を卒業したら芸人になろうと決めたのですが、それを家族や周りに言うと阻止されてしまい大学受験をさせられたようです。なかなか芸人で売れるのも難しいですからね。

大学受験をするしかなかったゴルゴ松本さんは、大学に行きたくなかったのでわざと試験に落ちたそうです。そして、すぐに芸人を目指すわけではなく家の商売を手伝うことになったようですね。

スーパーの鮮魚コーナーでアルバイトのような形で修行させてもらったりしながら商売のノウハウを社会人として2年間学びながら家の手伝いをこなしたそうです。


TIMゴルゴ松本/タモリにギャグ披露/シャネルから苦情で爆売れ/少年院で命の授業

家族との絆: ゴルゴ松本の起源と軌跡

21歳の時に、家の仕事を一生懸命にやってはいたのですが、自分が人生でやりたいことはこれではないと思って悩むようになり、家を出た方が自分の人生は良くなるだろうと考えたそうですね。

そこで父親に意を決して「東京で芸能界に行きたい」と伝えたそうです。すると父親は「自分の人生だから好きにしなさい」と言ってきたそうです。

長男は家を継ぐ方向だったため、次男坊のゴルゴ松本さんは自由にできたみたいですね。時代的に長男が家を継ぐのが当たり前だったので、兄には悪いがそこは良かったと思ったそうです。

VHSが世に出始めたばかりでしたが、ゴルゴ松本さんはとんねるずの番組は全部録画して見ていたそうです。そして、とんねるずを目指して憧れのテレビの世界へ足を踏み入れることになったそうですね。

芸能界を目指すゴルゴ松本さんは、21歳の10月に東京で四畳半の和式トイレでガスコンロ一つで風呂なしの家賃32,000円のアパートを借りるところからスタートしたそうですね。

まず何から始めれば良いのか分からなかったので、新聞の下の方にあった劇団のオーディションを受けて役者から始めてみたそうです。月謝さえ払えば誰でもその劇団には入れたみたいです。

すると入ってすぐに「3月に舞台があるけど出たい人いるか?」と募集をかけられたので、我こそはと手を上げたら1枚5000円のチケットを65枚自腹で購入して売りさばかなければいけなくなったそうです。

システムをよく分かっていなかったゴルゴ松本さんからすると思わぬ出費で、分割の支払いにしてもらったものの生活費が捻出できず1ヶ月で8キロぐらい痩せたそうです。

なんとか公演も終わってしばらくすると、劇団に入って一番下のクラスだったゴルゴ松本さんは突然2つ昇格したそうです。すると月謝も1万円から15000円に上がったそうです。

お金を払えば上に上がれるカルト宗教的なシステムだったんですね。これはヤバいなと感じたゴルゴ松本さんは劇団をすぐに辞めたそうですね。右も左も分からない若者はカモにされるんですね。

売れっ子への道: ゴルゴ松本とTIMの旅

違う劇団に入ってアルバイトで生計を立てていたある日、ゴルゴ松本さんが住んでいるアパートの隣に今の相方となる2歳上のレッド吉田さんが引っ越してきたそうです。

たまたま引っ越してきた住人が後に30年以上連れ添う相方になるなんて運命だったんですね。風呂なし3万円台のアパートに住んでいる人なんて、何かを目指していたり何かしら訳ありの人しかいなかったそうです。

お隣さんで顔を合わせることも多かったので話をするようになって、お互いが学生時代に野球で甲子園に行った共通点もあったのですぐに仲良くなったそうですね。

そして、ゴルゴ松本さんが27歳の1994年の4月にレッド吉田さんと意気投合してお笑いコンビTIMを結成してコンビで活動していくことになったそうです。

芸人で売れっ子を目指すにしてはスタートが遅いという人も周りにはいたみたいですが、たけしさんやタモリさんが30歳を過ぎてから売れた実績があったので、ゴルゴ松本さんとしても焦りはなかったそうです。

芸人として売れるかどうかよりも、お金が無くてアルバイト生活していたので、日々何を食べようかということの方が困っていたそうですね。
当時はサッポロ一番の味噌ラーメンが生命線だったようで、一袋を半分に割って粉も半分にして2日に分けて食べていたとのこと。

家の近くに古い八百屋があり、卵が1個ずつバラで売っていたのでそれをラーメンに入れて食べるのが日々の楽しみだったそうです。芸人さんの下積み時代はみんな経験があるみたいですね。

1994年の4月からTIMとしてコンビで活動を始めたのですが、最初に渡辺プロが芸人のネタ見せを毎週土曜日に募集していたので行ってネタを見てもらったらいきなり大爆笑だったそうです。

役者をやっていたのもあり人前で緊張せずに堂々とネタを披露していたのもあったのか、審査員から「君たち4月のライブに出なさい」と言われてすぐライブに出演できたそうですね。

レッド吉田さんとロケットスタートになると喜んで舞台に出たのですが、オーディションとは違って舞台でまったくウケなかったそうです。喜びもつかの間でそこから2年間は地獄の日々だったそうですね。

ネタを作っても舞台には出れないし、たまに出れても失笑の嵐で泥沼に入っていったそうです。そうなると少しずつコンビ仲も悪くなっていったとのこと。上手くいかないとストレスも溜まりますよね。

苦闘期からブレイクまでのゴルゴ松本

2年間はうんともすんとも行かずに悩んでいたゴルゴ松本さんですが、横山やすしさんが亡くなってテレビで追悼番組をやっているのを連日観ていた時に、
漫才ブームの時に横山やすし・西川きよしがテレビでやっていた漫才をビデオに撮っていたのを思い出して見返したそうです。

そして、なぜウケているのか研究してリズムや間を真似しながらネタを作ってみたそうです。
すると、レッド吉田さんとのリズムも合いだしてネタがやりやすくなり、そこから少しずつ舞台でウケるようになっていたそうです。そこから快進撃でオーディションにもズバズバ受かってテレビに出れたそうですね。

やすきよさんのテンポを学んだことがTIMのターニングポイントだったんですね。ゴルゴ松本さんが重要だと思ったのがやすしさんの動きだそうで、喋りの中に動きがあってそこが面白さに繋がっていると分析したそうです。

それがゴルゴ松本さんの代名詞になる『命』や『炎』のギャグに繋がっていくんですね。

流れに乗ったTIMはあっという間に憧れのとんねるずさんの番組に出演するようになったそうです。『みなさんのおかげでした』『生ダラ』など、とんねるずにハマっていくんですね。

憧れだったとんねるずに近づけて有頂天だったゴルゴ松本さんでしたが、それだけ露出があるにも関わらず全然営業の仕事が来なかったそうです。
当時は『ボキャブラブーム』で、ボキャブラに出ないと売れないというお笑い業界の流れがあったそうですね。

ボキャブラに出ている芸人はどんどん営業に呼ばれてお金も稼いで高級車を買ったり良いマンションに引っ越しているのに、自分たちは憧れのとんねるずと一緒に仕事ができているのに全然潤っていかなかったそうです。

そして、我慢できなくなったTIMはボキャブラのオーディションを2回受けに行ったそうです。しかし、審査員に「個性やキャラが無い」と言われて、オーディションにはかすりもしなかったそうですね。

ただし、その言葉がTIMの2人に火をつけて「こんな番組に出なくても絶対に売れてやろう」と心に決めて、そこからレッド吉田さんと奮闘したそうです。今では結果的に落ちて良かったと思っているみたいですね。

挫折から再起へのゴルゴ松本

ボキャブラのオーディションに落ちた日からがむしゃらに活動したTIMの2つ目のターニングポイントになった番組が『タモリ俱楽部』だったそうです。

そこで漢字ギャグの原型となる『CHANEL』『LouisVuitton』『Peugeot』などの高級ブランドを体で表すギャグをやってタモリさんにウケたそうですね。

タモリさんにウケたことで嬉しかったゴルゴ松本さんでしたが、すぐにブランドから苦情が来て披露できなくなってしまったみたいです。しかし、その結果が漢字ギャグ誕生になったそうですね。確かに漢字にはクレーム来ませんよね。

タモリさんにも好評だった漢字ギャグを見てタモリ俱楽部のディレクターさんが、「なんでボキャブラに出ないの?」と聞いてきたそうです。

そこでオーディションに落ちた経緯を話すと、そのディレクターさんがボキャブラをやっている制作会社ハウフルスのディレクターだったので、もう一度オーディションに行くように言われて行ったら受かったそうです。

やはり繋がりって大切なんですね。ボキャブラに出ずに売れようとレッド吉田さんと誓っていたこともあって葛藤したゴルゴ松本さんは、尊敬しているとんねるずさんのような感じで番組をぶっ壊しに行こうと決めて出演したそうです。

収録の際は暴れまくったみたいですね。しかし、それが功を奏して現場でも好評だったらしく、そこからまったく来なかった営業の仕事も入るようになったとのこと。番組で強烈な爪痕を残せたんですね。

そこからいっきに露出が増えていった結果、『内村プロデュース』や『ウリナリ』などの出演も決まっていったそうです。
TIMはコンビどちらもスポーツが出来るので、とんねるずの『野球盤!スポーツ王は俺だ』なんかにもレギュラーで出演していますよね。

教育者としてのゴルゴ松本

ゴルゴ松本さんは、芸人としてしっかり食べていけるようになって40歳を過ぎたあたりから事務所の売れない後輩を集めて「ゴルゴ塾」というのをやり始めたそうです。

会議室に後輩を集めてホワイトボードを使って、後輩のモチベーションを上げるような話を喋っていたそうです。これが少年院で実施して話題になった「命の授業」の原型みたいですね。

そんなある日、奥さんの知り合いから「少年院に成功者の人を連れて行って話をしてもらうんだけど、子供たちが感想文に真面目な話ばかり聞かされてつまらないと書くことが多いんです」と相談を受けたそうです。

そこで自分の話が子供たちに響くか分からないけど機会があるのであればやってみましょうとなって、初めて150人の多摩少年院の子どもたちの前で喋ったとのこと。

普段からゴルゴ塾で後輩に対して色々なことを喋っていたので、少年院の子どもたちにどんな話をするかメモも取っていたのですが、いざ子どもたちの前に立つとメモは関係なく会話をしようという気持ちになったそうですね。

少し寒い体育館のような場所で90分話したみたいですが、終わって体育館を出た時にはライフワークにしなくてはいけないなと思うほど手ごたえややりがいを感じたそうです。

少年院の担当者も子どもたちがここまで真剣に話を聞いているのは初めて見たと言っていたそうですね。余程子どもたちの心にヒットしたんですね。

その後、ひっそりと数ヶ月に一回程度の頻度で少年院で授業を続けていたら話題が広まって、新聞記者から取材オファーがきたそうです。そして、新聞記事を見てニュース番組やメディアが取り上げて世間に広がったそうです。

思いのほかニュースの反響が大きく、そこから少年院だけじゃなくて一般企業や小中高大学など色々な自治体から授業の声がかかるようになったそうです。

学生の時に教師になりたかった夢を辞めて芸人になったゴルゴ松本さんですが、結果的に形は違うけど教師のような命の授業を今はしているというのは人生って不思議ですよね。

今後のTIMとしては、いつまで生きれるかわからないし突然死ぬこともあるからもう楽しく生きようよっていうスタンスになっているそうです。今はたまにコンビで仕事をして、それぞれがピンで仕事をすることの方が多いとのこと。

相方のレッド吉田さんは5人の子供を育てていて一番下がまだ中学生なので、ゴルゴ松本さんから見てもお父さんとして頑張っているそうです。

錦鯉の長谷川さんが50歳で売れたので、昔はタモリさんやたけしさんが30歳で世に出たのと比べてもまだまだ自分を含めて誰にでも可能性がある世の中だと思っているとのこと。

コロナがあったりいつどこで何が起こるか分からないけどコロナも世界的に乗り越えたわけで、ゴルゴ松本さんもこの先色々なことが起こるとは思いますが、好きなことをやって乗り越えていきたいそうです。

ゴルゴ松本

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