お笑い芸人のドランクドラゴン鈴木拓さんですが相方は塚地武雅さんですが実は以前はロバート山本さんやアンガールズ田中さんと悲愴感という音楽ユニットを組んでいた時期もあったようですね。
そんな鈴木拓さんですが現在はどうしているんでしょうか。実はYouTubeチャンネルとかも運営しているようです。
主に釣りのチャンネルをやってるようですね。ただ最近はモンハンとかスプラトゥーンとかゲームにハマってYouTubeのチャンネルはサボっているようです。
ゲーム配信もやればいいのですがゲーム配信は事務所ががっぽり持っていくから儲からないようです。
YouTubeは自分で編集しているようですが初期費用に300万円かかったようです。というのもドローンを購入するのに間違えて6台購入してパソコンも75万もするデスクトップを買い家でプレミアプロの使い方を教えてもらおうとするも嫁から家には人を入れるなと言われたようです。
ドランクドラゴン鈴木拓/狂気の父から背中に熱々のフライパン/夜逃げし2年間のホームレス生活
だから外に持ち出す用のパソコンとかも買って
初期費用がたくさんかかったようです。それで編集の詳しい人に教えてもらったりしているようです。
鈴木拓さんは現在はドラマとかの役者としてのしごとも多くピンでの活動が多いようですね。
今月だけでも4本ぐらい俳優で出ているようです。
結構俳優業も忙しくて半沢直樹で児嶋一哉さんが出ていた役も最初は鈴木拓さんに依頼が来たようですがスケジュールが合わなかったから児嶋一哉さんになったようです。
塚地武雅さんも俳優の仕事が多いですからね。役柄的には冴えないサラリーマン役的な仕事が単発というのが多いようです。
鈴木拓さんは神奈川県綾瀬市出身ですが父親が変わった人だったようです。ボクシングとかをやっていて朝起きたら正座をしておはようございますと挨拶から始まるようです。
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実家は割と裕福な家庭で父親はハンバーガー屋とかアイス屋とか牛乳屋を経営していたようですが特に自分が働いているというか従業員を雇ってやっていたからけっこう家にはいたようです。
父親はお酒やタバコをやって酒癖も悪いからよく暴れていたようです。ちなみに父親はプロボクシングのライセンスも持っているようです。だから父親が怖かったようです。母親も突然夜逃げして実家を飛び出したようです。
そして1週間ぐらいして学校に行こうとしていた時に母親が車で迎えに来て新天地で過ごすことになったようです。
姉もいたのですが姉は同じタイミングでは迎えに行けなくてそれからまた1週間ぐらいして実家に迎えに行って父親から引き離したようです。
それで母親と姉と3人で暮らしたようです。鈴木拓さんが小4で姉が小6ぐらいの出来事のようです。
だから学校には何も言わずにいきなりの転校だったようですね。父親がすぐ暴力を振るう親だったから鈴木拓さんも小学校ではすぐ切れるタイプだったようです。
ただ小遣いは毎日100円貰ってある程度裕福だったから友達とはつるまずにガチャガチャしたり一人で遊ぶことが多かったようです。
鈴木拓さんといえば総合格闘技とかでもテレビの企画で出ていたりしましたが父親が男は強くなきゃいけないということで柔道を習わされていたようです。
それで子供の頃は柔道で県大会優勝とかもしたようです。子供の頃から学校では喧嘩しろと言われて育ったようです。
ただ夜逃げという形で実質離婚してからは人の悪口は言うようですがケンカはしなくなっていったようです。
逆に悪口が面白いと言われ人気者になっていったようです。中学校に行ってから母親が再婚したようです。二人目の父親はいい人だったようです。
お笑いに関しては小学校の頃に親父が見ていたテレビは正座して見ないといけなかったようですがその頃は北野武さんやさんまさんとかのテレビを見ていたようです。
それで中学校の頃はダウンタウンさんのガキの使いが始まった頃で深夜にゲラゲラ笑っていたようです。
その頃はお笑い芸人は憧れではあったけどもなりたいといったらおかしいやつと思われる時代で言えない雰囲気だったようです。
だから中学校の頃からは芸人になりたいという思いはあったようですがプロレスラーにもなりたかったから親とかにもプロレスラーになりたいからメキシコにいかせてくれとか言っていたようです。
高校卒業まではアルバイトをしたようですが卒業後はプー太郎でアルバイトで貯めたお金を握りしめてずっと川で釣りをしたり友達と格闘技をしたりしていたようです。
そして家にも居づらいからほぼ2年間ホームレス状態で川に住んでいたようです。ただ父親が亡くなったという話を聞いてどうせ死ぬならお笑いがやりたいとなってお笑いの養成所に行きたいと親にいったようです。
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その当時は人力舎のほうが吉本よりも有名だったようですが養成所に入るのに60万もしたようです。その費用をお姉さんが払ってくれたようです。
養成所で同期は塚地武雅さんと毛皮のマリーズのドラマーの富士山富士夫さんがいたようです。
最初は塚地武雅さんとは別のコンビをお互いに組んでいたようですがお互いが解散したみたいな形になったので塚地武雅さんから一緒に組もうと言われてコンビを組んだようです。
【後編】ドランクドラゴン鈴木拓/はねるのトびら栄光の影/総合演出から「お前はしゃべんな」/キンコン梶原と深夜のマジ喧嘩
コンビ名については塚地武雅さんがドランクモンキー 酔拳と燃えよドラゴンが好きだったからドランクドラゴンでいいかなとなったようです。
塚地武雅さんは大阪出身で漫才派なのですが鈴木拓さんが漫才のツッコミとかボケとかのスピードについていけなかったようです。
それでコントみたいな形になっていったようです。ただいろんなお笑いのオーディションでけっこう受かってテレビとかにすぐには出れたようです。
鈴木拓さんは覚えが悪いから周りの先輩からは相方変えたほうがいいんじゃないと言われていたようです。ただ塚地武雅さんも自分でコンビ組もうと言った手前なかなか自分からは言えなかったのかもしれないですね。
やはりテレビで売れたのは塚地武雅さんの方でCMや役者とかいろいろ決まりましたがそれでもギャラは全部折半してくれたようです。
はねるのトびらもフジテレビが力を入れた番組で8年おきにスターが誕生していたようです。最初は北野武さんでその8年後にさんまさんでその8年後にダウンタウンさんでさらに8年後にはナインティナインさんで次の8年後にはねるのトびらとしてドランクドラゴンがレギュラーに選ばれたようです。
ただはねるのトびらではあまり必要とされていなくてロバート山本さんと鈴木拓さんは3ヶ月に1回ぐらいしか番組に呼ばれなかったようです。
その時は必要とされていないんだと辛かったようです。ただ収録現場にはずっといたから余計に辛かったようです。
はねるのトびらの番組ではキングコング西野亮廣さんを育てるためにツッコまなくていいといわれたようです。鈴木拓さん的にはよしラッキーぐらいにしか思っていなかったようです。ただ堤下さんはなんでツッコんだらダメなんだよと怒っていたようですね。
はねるのトびらに出ている時は縛りとかがあって他の番組に出たらダメとかで塚地武雅さんが俳優の仕事をやりはじめたようです。
ネタも作らなくて番組にも出れない鈴木拓さんは同じくあまり番組にも出れてなかったロバート山本さんと一緒にいろんなとこに遊びに行っていたようです。
はねるのトびらの番組が終わるとなったときも逆に自由になれると喜んだようです。それで番組が終わる頃にはアイドルとかにも嫌味を言ったりして独舌キャラのようなポジションになったようですね。
その頃はSNSもあまり進んでいない時代でしたがアイドルにそういった悪口とかを言ったもんだから苦情のメールが会社に1万7000件ぐらいきたようです。
メールで炎上というのも珍しいですね。逃走中の番組でも途中で自首したりして炎上したようです。
炎上してもはねるのトびらで出演できない時間が続いたから俺のことみんな見てくれるんだということのほうが大きかったようです。
今は意外と動画の編集とかそういう表じゃないところでも仕事が来たりするようです。
いろいろと芸人さんも壮絶な人生を送っている人が多いようですが
これからも頑張ってもらいたいですね。
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