筧利夫の新たな生活:東京から熱海への移住
俳優の筧利夫さんは、渋谷のど真ん中のNHKから歩いて12分の慣れ親しんだ東京のマンションから熱海へ移住して1年になるそうですね。
地元は静岡県の浜松市なので熱海にゆかりは無いそうですが、熱海と聞いただけで海もあるし温泉もあってテンションが高くなるので移住を決めたそうです。
東京で仕事があっても午後からであれば熱海から向かうほど、移住して1年経ってかなり熱海に慣れてきたそうですね。
東京にいる時の仕事に行かない日は、自宅っていう控室でずっと待っているだけで「俺って何なんだろうな?」と考えるようになってしまっていたそうです。
そういった経緯もあってたまたま熱海に良い物件が見つかったので移住を決断したみたいですね。東京と違って心落ち着く雰囲気なので移住して正解だったそうです。
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筧利夫の意外な一面:ネットで話題の夢遊病との関わり
筧利夫さんには夢遊病じゃないかという話がネットやニュースで広まっています。その原因としては『怪傑えみちゃんねる』という番組に出演した時に、自分の夜にあった夢遊病のネタ話を面白おかしく喋ったらすぐにデイリースポーツに掲載されてそれがネットから広まってしまったことだそうです。
子どもの時から寝て目が覚めたら家から50m離れた駄菓子屋さんにいて、店員さんが「お金持ってきてる?」と声をかけられた瞬間に目が覚めて「俺はなんでここにいるんだろう?」というようなことも実際にあったそうです。
そのまま家に帰ったら親に「お前、昼寝してたの急に起きて小雨が降ってたから頭にタオル乗っけて出かけて行ったぞ」と言われたそうですね。こどもの頃は疲れていた時なんかは夢遊病がよくあったそうです。
大人になってからはほとんどないそうですが、それでも仕事が立て込んで疲れていた時に、夜中に急に起きて部屋の隅の方におしっこしに行ったところを奥さんが止めたことはあるそうです。
夢遊病はストレスや睡眠不足なんかが原因ではあるようですね。夢遊病であることは間違いないみたいですが、夢遊病に「病」という文字が付いていることで大袈裟に思う人が多いので納得はいってないそうです。
とは言っても意識なくうろうろしているのは本人もそうですが周りからしても怖いですよね。
筧利夫さんは兄弟が上に3人いるそうで、一番上の兄は20歳も離れていて現在80歳だそうですね。2番目の姉も17歳上の77歳で、3番目の兄も12歳上で72歳だそうです。
かなり年が離れているみたいで、兄弟って感じがしないそうですね。
そんな筧利夫さんは、子どもの頃からなんとなく俳優業をやりたいと思っていたそうです。周りの友達の中で特別に自分がそうだったというよりは、時代的に俳優か歌手か漫才師になりたい人が多かったそうです。
吉本新喜劇が土曜日のお昼にテレビでやっていてよく観ていたり、映画全盛期だったので自然と映画に触れる機会が多かったり、歌番組が多かったので歌うような人になりたいなど自然と3つの選択肢になったそうですね。
筧利夫さんは、いきなり俳優になるっていうよりはその前に俳優の養成所とか専門学校で学ぶことに憧れがあったそうです。それで、日大芸術学部を受験したのですが落ちてしまったそうですね。
その後、大阪芸術大学の舞台芸術学科を受験したそうです。当時は受験したら受かるくらいの倍率しかなかったそうで普通に合格したそうですね。
筧利夫さんとしては、大阪芸術大学に行ったことが一つ目の人生のターニングポイントだと感じているそうです。この大学には2つ上に『劇団☆新幹線』の代表の井上秀徳さんがいたそうです。
当時はまだ劇団ができたばかりだったので、筧利夫さんは演者としてではなく裏方として照明などのお手伝いで関わっていたそうです。
そういった裏方のお手伝いと並行して、友達と別の簡易な劇団を作って1日だけ公演とかもやったりしていたそうですね。やはり演技はかなり好きだったんですね。
その簡易に自分たちで作った劇団の稽古場を『劇団☆新幹線』の代表の井上秀徳さんがよく見に来ていたそうです。
そこで筧利夫さんの演技を見たことで『劇団☆新幹線』の5本目の公演から演者として関わらせてもらえるようになったそうですね。
筧利夫さんいわく当時は演技力が全然なかったけど勢いとか元気で精一杯やっていただけだそうです。若い時は目立ちたがりの部分が内面にあるけど人前で何かをやるのが恥ずかしいというような性格だったそうです。
目立ちたいけど恥ずかしいという矛盾した性格だったんですね。
筧利夫の人生:家族、俳優業への道、そして少林寺拳法
筧利夫さんは演技で武術や格闘をやるシーンでも役に立つかもと、大学1回生から少林寺拳法部に入ったそうです。その部活が武道派でかなり厳しい部活だったそうですね。
「授業なんか出る時間あるなら練習しろ」みたいな感じで、実習授業は出席しないと単位が取れず卒業できなくなるので出ても良いのですが、一
般教養みたいな授業はほとんど出席しなかったそうです。
当時の1日の流れは、昼から15時まで少林寺拳法部で練習してそこから夕方まで出られる授業に出て、授業が終わると22時まで劇団☆新感線の稽古というかなり忙しい毎日だったそうですね。
昼から15時まで少林寺拳法部の練習があるのはそもそも授業に出る気がないスケジュールですよね。
筧利夫さんの劇団生活と初の成功
なんとか無事に大学を卒業できた筧利夫さんは、大学卒業後に劇団「第三舞台」に加入して生活するのですが、劇団員生活だと最初は生活できないのでバイトをしながら稽古していたそうです。
ラウンジの厨房で皿洗いしたり、八百屋さんで果物を詰めたりしたそうですね。それでも食えない下積み期間は短かったとのことで、24歳の時にはとりあえずバイトしなくても生活できるような収入にはなっていたそうですね。
公演1回で演者は1ステージ5万円もらえたそうですが、当時の劇団ギャラとしては他の劇団と比べてもかなり恵まれていたそうです。
当時劇団第3部隊は飛ぶ鳥を落とす勢いで、2万枚のチケットが電話予約で10分で売り切れるような劇団だったので、メディア関係者もたくさん公演を見に来ていてメディアなどのスカウトもあったそうですね。
千秋楽の当日売りのチケットを得るためにお客さんが1週間前から徹夜で劇場の前に並ぶくらいアイドル的な人気を博していたそうです。当時はネット予約がないので電話予約でそれだけすぐ売り切れるとは凄いですね。
筧利夫さんの映画デビューとその挑戦
映画関係者からオファーがあり、筧利夫さんが初主演した映画は『モンゴリアンバーベキュー』という作品だったそうです。
映画の初主演ということで嬉しくてはりきって望んだのですが、映像の演技をやったことがなかったので監督にずいぶんと絞られたそうです。舞台と映像の演技はまったく別物ということがまだわからなかったそうですね。
舞台だと遠くの席にいるお客さんにも伝わるように大袈裟な動きや声で表現するのですが、映像だと少しの動きや小さな声だけで十分伝わるので慣れるまで時間がかかったそうです。
舞台を所狭しと動き回って演技していた舞台役者が、カメラの枠から外れずに小さな動きで演技するのは違和感があったそうです。何度もカメラから外れてしまい監督から注意されたみたいですね。
そんな筧利夫さんが世間に認知されるようになったのは大ヒットした『踊る大捜査線』出演後に、バラエティ番組に進出した39歳~40歳くらいだと実感しているそうです。
踊る大捜査線が大ヒットした時は自分の人生にとっても2つ目のターニングポイントになるかと思っていたそうですが、意外にもそこから仕事のオファーが増えたりとか役者としてステージが上がる実感はなかったそうです。
そこで事務所もバラエティーの方に筧利夫さんの露出を増やす方向に路線変更したそうです。当時は中尾彬さんがバラエティー番組にかなり出演していて、俳優もバラエティーに出ていいんだという風潮になったそうですね。
踊る大捜査線で真面目な堅い役柄で出演していたので、バラエティー番組で正反対のおもしろキャラを出していったのが世間に好評だったみたいです。
そこからかなり多方面に忙しくなったそうで、テレビや映画に講演会や学園祭にも引っ張りだこだったそうです。バラエティー番組からオファーが来たら積極的に引き受けたそうですね。
俳優さんの演技していない部分を見るとお茶の間も親近感が湧きますよね。
筧利夫さんのバラエティ進出とブレイキングダウンへの興味
筧利夫さんは最近ブレイキングダウンに興味を持っているらしく、一番近くで見れる20万円のチケットを買って現場で6時間半見たそうです。わざわざ20万円のチケットを買って見に行くって相当ですよね。
筧利夫さんの感覚としてはブレイキングダウンは新しい劇団が出てきたみたいな感じだそうです。実際に現場の人は試合前に揉めたりしますが、本当に相手をボコボコにしたり怪我させたら問題になって出演できなくなったり事件になるので、そこを考えながら当人たちもギリギリで煽り合う演技をしているように見えるそうです。新しい劇団の形として見ているのが役者さんの目線って感じですよね。
筧利夫さんはテレビよりユーチューブやネットを見ている時間の方が完全に多いらしく、自分の年齢を考えると割と若い人の感覚に近いかも知れないと思っているそうです。
筧利夫さんのデジタル傾向とエゴサーチ
結構エゴサーチするタイプで、ツイッターで自分の名前とかで検索してコメントをよく見ているそうです。良くないコメントもたくさんあるので、本当は見なければ良いけどどうしても気になって見てしまうそうですね。
コメントを見て心底腹が立つことも多いそうですが、そういう人はすぐにブロックするみたいですね。有名人だと自分のどんなコメントがあるのか気になりますよね。
筧利夫さんの海外での仕事への展望
筧利夫さんの今後の展望としては、海外で仕事ができたら良いなと思っているそうです。
アメリカじゃなくてアジア圏とかでも、ずっとホテル住まいで転々としながら空いてる期間だけ日本に帰ってくるみたいな生活になったら人生が面白くなる思っているそうですね。
英語もオンラインで10年程習っているらしく、日常会話くらいであれば問題ないそうです。英語も喋れるのであれば準備万端ですね。
以前に香港と合作映画があって上海で撮影したことがあり、監督がリー・チーガイさんでワールドワイドな現場ですごく面白かったそうです。
年齢も年齢なのでやりたいことができる時間もあと少しですし、そういった海外の作品に俳優として出演する機会があったら飛びつく気持ちだそうですね。
筧利夫
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