今回は、コント番組にて自身の代名詞となった“アダモちゃん”を演じられた他、多くのバラエティー番組でも破天荒ぶり披露し人気を獲得された、島崎俊郎さんについてピックアップしてみたいと思います。
島崎俊郎の主なプロフィール
1955年3月18日、高知県高知市に生まれますが、京都府京都市へ移住されます。
京都府立洛北高等学校に在学中はサッカー部主将を務め、全国大会にも出場される程の実力でした
(芸能界入り後も、明石家さんまさんや『とんねるず』の木梨憲武さんらと芸能人サッカークラブチーム『ザ・ミイラ』のメンバーとして活躍されました。
現在も、公式サイトにて自身の“観戦記”が度々掲載されています)。
高校卒業後に上京、人気コミックバンド『クレージーキャッツ』のリーダー・ハナ肇さんの付き人として芸能界入りの一歩を踏み出されます。
付き人時代から芸の腕を磨かれた後、1979年に川上泰生さん・小林進さんらと共にお笑いトリオ『ヒップアップ』を結成されます。
“漫才ブーム”真っ只中の1980年初頭、“ギター伴奏を用いた青春コント”で「THE MANZAI」(1980~1982年・フジテレビ)をはじめとするお笑い番組へ出演されました。
しかし、各メンバーの活動を始めると共に“自然消滅状態”、更に別々の事務所へ移籍する事が決定打となったのか『ヒップアップ』は事実上の解散状態となりました。
同時期からスタートしたコント番組「オレたちひょうきん族」(1981~1989年・フジテレビ)へレギュラー出演、 “ひょうきんベストテン”等の番組内のコーナーへ次々出演、
人気を不動のものとされます。
更には番組名物キャラクターとなった“アダモちゃん”が生まれ、島崎俊郎さんの代名詞にもなりました。
このキャラクターは、同番組の代表作“タケちゃんマン”から登場しました。原住民を演じた島崎俊郎さんがそこで初めて“ア・ダ・モ・ス・テ…、ペイ!”と叫ばれました
(因みにこれは、“あんたなんか知らないよ、ふん!”という意味らしいです。そして、“ペイ!”とは父親の口癖でもあるそうです)。
“アダモちゃん”の人気は番組枠を越えて、多くのメディアでも登場する事になりました。
「オレたちひょうきん族」の他にも、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985~1996年・日本テレビ)で寝てる人を突然バズーカで起こす“早朝バズーカ”や、
バラエティー特番「ものまね王座決定戦」(1973~現在(不定期)・フジテレビ)での淡谷のり子さんの物真似等、1980年代~1990年代始めにかけてそのハジけっぷりで人気を博しました。
以降も、ドキュメンタリー番組「目撃!ドキュン」(1994~2002・年テレビ朝日)のリポーター、俳優としても映画「KARAOKE」(1999年)や
「難波金融伝 ミナミの帝王」シリーズ(1997年・2004年)等の作品へご出演されました。
スポンサーリンク
島崎俊郎の代名詞“アダモステ”で大ヒンシュク “死亡説”も
フジテレビのコント番組「オレたちひょうきん族」から誕生した“アダモちゃん”のキャラクターが、様々な分野で評判を呼んでいます。
2000年に“アダモちゃん”がボーカルを務める音楽ユニット『アダモす』が結成されたり、この頃(1990年代終盤~2000年代初頭)巷に多くいた“ガングロ・コギャル”達の
教祖にもなったりもしました(メイク等が酷似していた為)。
一方で、その芸風に対する批判的な意見も多かったです。討論バラエティー番組「ここがヘンだよ日本人」(1998~2001年・TBS)でも(“アダモちゃん”キャラとして)芸を披露した際、
“アフリカ人差別だ”と周囲から総スカンを食らいました。
更に同局で放送の人生相談バラエティー「ズバリ言うわよ!」(2004~2008年)へゲスト出演した時には、メインMCの細木数子さんから“芸風が古いのよ!”と一蹴されてしまいます。
それでも今日に至るまで“アダモちゃん”は健在で、テレビ番組や舞台に度々登場されています(何より、島崎俊郎さんご自身のオフィシャルブログで“アダモちゃん”を掲載されています)。
近年はかつてより見かける機会も少なくなり、一時は“死亡説”も囁かれていた島崎俊郎さんでしたが、現在も着々と活動を続けていらっしゃいます。
最近も、NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(2016年)や情報番組「とびっきり!しずおか」(静岡朝日テレビ)への出演で活躍されました。
映像作品以外でも、「月刊CENTURY」(星雲社)や「月刊マスターズ」(国際通信社)といった、多くの雑誌の取材インタビューを受けられました。
近況については、自身のブログでも日々掲載されています。
スポンサーリンク
島崎俊郎の事務所の後輩・『オードリー』若林正恭から冷たい視線
島崎敏郎さんの検索語彙の中で何故か、お笑いコンビ『オードリー』の若林正恭さんの名前が挙がって来ます。
調べた結果、その事の発端は2016年1月、ラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)収録中の出来事でした。
若林正恭さんが、事務所の先輩である島崎敏郎さんをけなし、スタッフの方に注意をされたという内容でした。
以前、島崎敏郎さんがTBSのバラエティー番組「水曜日のダウンタウン」に出演された時の様子を、若林正恭さんがラジオ番組で面白おかしく話そうとしたら、
相方の春日俊彰さんに止められたとの事です。
更にはスタッフの方にも“駄目だよ、あんな風に言ったら…”と注意されたそうです。
この他にも、『新検見川』・『性格』という語彙がありました。
先ず『新検見川』についてですが、島崎敏郎さんが新検見川(千葉県千葉市)近辺で見かけたという情報があり、1~2人かの方にサインも求められたとの事です。
その一方で、(今から10年程前の出来事だと思われますが)島崎俊郎さん(ここではアダモちゃん)の性格・態度に啞然とさせられた情報もあった様です。
大手レンタルビデオショップで開催された“アダモちゃんの(CD販売を兼ねた)サイン握手会”に偶然、ある一組の母娘が行く機会に恵まれたそうです。
小学1年の娘さんは、テレビでアダモちゃんの芸を観ていたので、本人に会える事を楽しみにして娘さんの友達も同行されました。
しかし、当のアダモちゃん本人はとっさにCDを買うよう勧めて来ますが、勢いで買う事を好まなかった母親が“財布が無い”等と言ってごまかします。
その途端、アダモちゃんから“買う気が無いなら帰れ!買ったら写真もサインもあげる”と言われてしまいます。
結果的に小学生の娘さんは泣き出してしまうという、後味悪くその場を後にしたとの事です。
こういった芸能人のサイン&握手会は、書籍・CDを購入する、またライブに参加する際の“特典”だと思われた方が良いかもしれません。
とはいえ、ファンの方にもう優しい言い方があったのではないか?と言いたくなりますが、慈善事業でやってるわけではないと思われるので仕方が無かったのか?とも考えられます。
スポンサーリンク
コメント