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ルーキーズ五十嵐隼士の現在がヤバイ

俳優

社会現象にまでなったルーキーズなどのドラマでイケメン俳優をやっていた五十嵐隼士さんは現在36歳だそうですね。
今は俳優を引退して静岡県の浜松市でBARを経営しているそうです。

芸能界を引退した当初は、六本木で「しゃぶしゃぶ屋」「BAR」「カフェ」3店舗をオープン。
ほどなくして六本木のお店を全て閉店して友人と沖縄にBARを作って経営していたそうです。
しかし、一緒に経営していた友人とは喧嘩別れになってしまったとのこと。
共同経営ではよくあることですよね。

沖縄に居れなくなった五十嵐隼士さんがこれからどうしようかと思っていた時に、
BARに来ていた知り合いのお客さんが静岡県の浜松市でBARをオープンすると聞いて、その人にスタッフとして雇ってもらえないか尋ねたそうです。

オーナー業に疲れていた五十嵐隼士さんは、一旦雇われる側に戻りたいと思っていたとのこと。
五十嵐隼士さんは、営業中お客さんにお酒を入れてもらったら売上を作るため必ず飲んでいたそうです。
俳優の頃は60キロ前後だった体重も最高で100キロまで増えて何度もアルコール中毒で倒れたりしたとのこと。

お店を自分でやっていくのも大変ですよね。


浜松のBARでスタッフとして働くことになった五十嵐隼士さんですが、ほどなくしてコロナが世の中に流行ってしまったそうです。
自分でお店をやっていたらと思うとゾッとしたとのこと。

BARで働きながらも昔のイケメン面影がほとんどなくなっていた五十嵐隼士さんですが、ある時ふいにそれがSNSでネタにされだしたそうです。
その影響もあってテレビなどメディアから少しずつ声がかかるようになったとのこと。
イケメンが劇的に太ったことがネットで流行って注目されたんですね。

勝手に生まれた認知度でしたが、この流行りに乗ろうとTIKTOKアカウントを作って投稿を始めると50万回再生されるなど思わぬ注目度で驚いたそうです。
今は逆にダイエットを頑張っていて87キロまで落としたそうですが、またイケメンに戻ったらそれはそれで少しは話題になるかも知れないと思っているとのこと。
太ったり痩せたり大変ですね。

五十嵐隼士さんは、小学生では学級委員長、中学の部活ではバスケ部の部長、さらに副生徒会長をやっていたそうです。
意外と真面目なのかと思ったのですが、そういうのをやっておけば受験の時に勉強できなくても推薦で行けるからメリットの方があると考えてやったそうです。

こどもの頃から戦略を考えたり物事を分析したりするのが好きで、悪知恵を働かすのも得意だったのが関係しているとのこと。
まあそれでも生徒会とか部長とかめんどくさいからやりたがらない生徒の方が多いでしょうけどね。

将来は電気関係の会社を経営している父親の仕事を継ごうと思っていたらしく、予定通り工業高校の電気科に推薦で入学したそうです。
しかし、高校生になると友達と遊んだりバイトするのが楽しくて勉強はしなくなったとのこと。

五十嵐隼士さんはカインズホームでバイトをしていたそうです。
高校2年生の時に、カインズホームでレジ打ちをしていると毎日来てくれる女の子がいて、
その子がお母さんと一緒に来て「仕事終わりに電話番号教えてもらえませんか?」とお母さんに言われ、それをきっかけに娘さんと付き合ったそうです。
お母さんを使って逆ナンとかあるんですね。

カインズホームで付き合った彼女は歌手をしている子で芸能界も少しかじっている感じだったそうです。
その彼女から「芸能の世界に入ろうよ」と誘われたとのこと。
そして、彼女が五十嵐隼士さんの母親にも伝えたら母親も乗り気で知らない間にジュノンボーイに勝手に書類を送っていたそうです。
ジャニーズの応募によくある話ですよね。

母親が勝手に応募したジュノンボーイでしたが、1次通過の書類が送られてきたのをたまたま家で見て五十嵐隼士さんは応募していることを知ったそうです。
せっかく受かったのだからと母親に促されながら2次面接に向かった五十嵐隼士さんですが、
面接前に会場で『De☆View』という雑誌のスカウトマンに声をかけられ、雑誌の中の「Push!」という企画で取り上げたいと言われたそうです。

小出恵介さんや中村優一さんが掲載されていたコーナーで、掲載されるだけで各有名事務所が目を通してくれるという話をされたとのこと。
スカウトマンの話を聞いた後に、そのままジュノンボーイの2次面接を受けるとベスト100まで残ったそうです。

しかし、五十嵐隼士さんはこのまま勝てるかわからない100人と戦うよりさっきの雑誌に取り上げられた方が目立つし、
効率良いと思って通過したジュノンボーイは断ったそうです。
やはり戦略家なんですね。

五十嵐隼士さんはそのまま雑誌に掲載されたそうですが、
その雑誌を見て雑誌の編集部の人から「ワタナベエンターテインメントで俳優集団をつくるD-BOYSオーディションがあるから受けないか?」と連絡があったそうです。
五十嵐隼士さんの狙い通りという感じですよね。

高校三年生の時にオーディションを受けると、第一回D-BOYS準グランプリを受賞したとのこと。ちなみにグランプリは中村優一さんだそうです。
五十嵐隼士さんは、準グランプリを受賞したことを学校にばれないようにしていたそうですが、
正月に中山秀征さん司会の「新春かくし芸大会」に出演することになったそうです。
後藤真希や芸人のホンジャマカ、ウエンツ瑛士、小池徹平と一緒に25Mプールの中に紙を敷いてモナリザの絵を描くという演目だったとのこと。

初めて出るテレビなのにかなり豪華メンバーですね。生で後藤真希を見た時の可愛さは半端じゃなかったそうです。

新春かくし芸大会の練習などがあったりして学校にあまり行っていなかったそうですが、正月にテレビ放送されてやはり話題になり学校にもばれたそうです。
学校へ行っていなかった五十嵐隼士さんは高校卒業の単位が足りなかったそうですが、
新入生への挨拶文を学校から出す学校紹介の本に顔出しで色々と文章を書くのを条件で特別に卒業させてくれたとのこと。
学校も宣伝になるなら使えるものは使えって感じですね。

高校を卒業してそのまま芸能界の道へ進んだ五十嵐隼士さんは2年間ほど下積み期間に入ります。
東京駅の喫茶店でバイトをしながら「瑠璃の島」というドラマでは、ヤンキーA役で一瞬だけ出演したりするなど名前のない役をいくつかしたそうです。

バイトをしながら仮面ライダーや戦隊シリーズのオーディションに落ち続けたそうですが、ようやく2年後に「ウルトラマンメビウス」で主役に抜擢されたとのこと。
ウルトラマンになったことでバイトを辞めたそうですが、ウルトラマンに出演中の1年間も給料は5万~9万円くらいしかなかったそうです。
ウルトラマンになると街で声をかけられまくるかと思いきや、まったく誰からも声はかけられなかったそうです。
それでは地球の平和を守れませんよね。

その後、イケメンパラダイスに出演したことで少しずつ街でも声をかけられ出したとのこと。
堀北真希小栗旬生田斗真水嶋ヒロ城田優など人気俳優ばかり出ていて凄かったですもんね。

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そして21歳で「花ざかりの君たちへ」を経て、ルーキーズに出演することになります。
イケメンパラダイスの出演陣はメンバーが若かったのもあるのか学生ノリに近い雰囲気だったそうですが、ルーキーズの現場は芝居をしっかりやろうという雰囲気で、ドラマの現場として全員で作り上げるという感じだったそうです。

ドラマ中盤からは社会現象になるほど視聴率も良かったので、あまりにも撮影や番宣で出演者は忙しすぎて移動中や撮影の休憩中はほとんどみんな寝ていたそうです。
出番が多い人は朝は早いし夜は遅くまで撮影などハードスケジュールですもんね。

五十嵐隼士さんは、仕事をしながらも恋愛は自由にやっていたそうです。
ただし、共演者など同業者とお付き合いしたことはないとのこと。
当時はアメブロが流行っていた時期で、アメブロで可愛い子を探して連絡してモデルさんと付き合ったことはあるそうです。

今ならインスタグラムやツイッターですが、人気なドラマに出ている俳優さんだったら入れ食い状態だったでしょうね。

仕事に恋愛と順調に人生を歩んでいる五十嵐隼士さんでしたが、26歳の時にふと自分の立ち位置に疑問を持ったそうです。
ネットの書き込みや街で声をかけられる際も「ウルトラマンメビウスの人」とか「ニャーの人(ルーキーズの役の口癖)」としか言われていなかったそうです。

五十嵐隼士」という名前がまったく世間には知られておらず、自分という存在を否定されているように感じ出したとのこと。
みんなが好きで知っているのは、五十嵐隼士じゃなくてドラマの役の人だけなんだと悲しくなって嫌気がさしてきたそうです。
俳優ならではの葛藤ですよね。

また、不安定な職業なのである程度年齢がいってから需要がなくなって転職しようと思ってもなかなか行けるところがないかも知れないし、もし転職できても俳優しか経験がないから年だけ食って仕事できないやつみたいに周りに思われるのも嫌だと考えたそうです。

その結果、芸歴8年目で芸能界引退を決意して自分で会社を立ち上げて仕事を始めようと動き出したとのこと。
もしそのまま続けていたらというパラレルワールドを考えても仕方ないですが良くも悪くも堅実というか真面目ですよね。

実は俳優をやっている時にも事務所に内緒で経営に関わっているBARは5店舗ほどあったそうで、ある程度お店をやる段取りもわかっていたそうです。
芸能界引退を決意してから2年弱は引き受けていた仕事を消化しながら起業の勉強をしたそうです。
そして、ついに引退して六本木にしゃぶしゃぶ屋、BAR、カフェの3店舗をオープン。
ちなみにガーシーさんとも連絡先を交換していないものの面識はあったそうで、ガーシーさんのBARにもよく行っていたそうです。

芸能界を引退してから飲食店経営などで酒や不規則な生活もあってどんどん太りだした五十嵐隼士さんですが、太っても1年以上彼女がいないという時期はないそうです。
太ってもイケメンなんですね。喋りも達者な感じですしね。

今後は芸能事務所に入ってマネジメントをしてもらいながら芸能の仕事をすることはないが、
五十嵐隼士個人としてオファーがあれば金銭交渉などしっかりしてテレビなど出ることはあるかも知れないそうですね。
BARの宣伝にもなりますしね。

来年には浜松にもう一店舗カフェダイニングBARを出店するそうでそれが非常に楽しみとのこと。
五十嵐隼士さんは第二の人生を楽しんでいるみたいですね。

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