バッドボーイズといえば佐田さんのほうが目立っていますがバッドボーイズ清人さんの方が漫才のネタとかを考えているようですね。
最近はコロナでなかなかイベントとかができないようです。現在はルミネとかで月2回ぐらいしか出番がないようです。
ただAKB48のMCとかでも呼ばれたりしているようです。もう芸歴は24年目になってきているようですね。
今は東京に進出して来てるのですが当時は同期はレイザーラモンやカラテカとかくまだまさしガリットチューや佐久間一行さんやヤナギブソンや笑い飯の哲夫さんも同期のようです。
ちなみにYouTubeチャンネルを2つ持っているようです。
Bad Boys Kiyoto Official Channel
https://www.youtube.com/channel/UCx9cUiG3-GMSpBYfkwRhkhw
きよと王国
https://www.youtube.com/channel/UCX-ofnDHKXZJ8yGByaaS1ug
福岡県福岡市東区志賀島で島出身のようですね。中学校も志賀島中学校で島だったようです。
実家は生まれた時は目の見えない祖母とおじさん二人とで暮らしていたようです。物心ついた頃には母親はいなかったようです。
保育園ぐらいまでは父親のこともカーボと呼んでいて父親だと走らなかったようです。父親の兄弟と祖母とで暮らしていたわけですね。
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祖母にお父さんのことをカーボって呼ぶの辞めなさいといわれてお父さんだと気付かされて衝撃だったことは覚えているようです。
小学校3年までは母親は死んだと聞かされていたようです。ただ実は離婚だったようです。
小さい頃も料理は祖母がしていて目が見えないから調味料を教えてあげたり買い物も毎回一緒に行って盲導犬のような役割だったようです。
小学校の時は学校が終わったらみんなは友だちと遊んでいるのに遊ぼうと誘われても買い物があるからと断っていたようです。
バッドボーイズ清人前編/目の見えない祖母と暮らす暴走族/暴走行為連絡で逮捕/借金抱えホームレスに…]
近所では清人くん見習いなさいとよく言われていたようです。
実家のことは何でもやっていて月末は家賃の支払いやガス代の支払いとかいろいろ自分で払いに行っていたようです。友達が多くなって暴走族に入るのですがその時も暴走族の集会を抜け出してゴミ出しとかしていたようです。
バッドボーイズ清人さんは優しい暴走族だったようですね。バッドボーイズ佐田さんが暴走族という印象は強かったですがバッドボーイズ清人さんも暴走族に入っていたんですね。
暴走族に入ったのも遊ぶ相手がみんないなくなってそれで暴走族に入ったようで別にケンカが好きとかバイクが好きというわけではなかったようです。
暴走族に入った時も信号を守ってみんなから怒られたようです。
バッドボーイズ佐田さんとは高校が一緒で佐田さんから話しかけてきたようです。絵ばっかり書いていたら絵がうまいねと声をかけられたようです。
バッドボーイズ佐田さんとは別の暴走族だったようですが集会でたまたま会ったようです。そこから仲良くなったようですね。
バッドボーイズ佐田さんはそこから福岡連合の大きな暴走族の総長になるわけですが高校もサボらず学校の校歌も誰よりも早く覚えて誰よりも大きな声で歌っていたようです。
だから廻りの暴走族のメンバーも大きな声をだなさないとという感じでだったようです。まぁ防草像の総長としてはかなりレアなタイプだったようですね。
それでバッドボーイズ清人さんは連絡隊長になったようです。そこで警察に暴走族のメンバーが全員逮捕されて他のメンバーの少年院や鑑別書にいれたれたようです。
バッドボーイズ清人さんも留置所に10日間入れられて裁判になり目の不自由な祖母さんを世話しているのですかとか質問があったりして答えていたらなぜか帰っていいですよと言われたようです。
祖母のおかげで開放されたようです。お笑い芸人は中学校ぐらいからちょっと考えてはいたようです。
実家は凄い貧しくて屋根もベニア板で風呂場にもなめくじは毎日出て家は隙間だらけでいろんなものが入ってきていたようです。
天井が落ちて猫が沢山ふって来た日もあったようです。そして祖母が風呂から上がったら額にナメクジが付いていた時もあったようです、
だからそんな家早く出たいと思っていたようですがテレビだけは別世界で好きだったようです。
欽ちゃんや加トちゃんケンちゃんをよく見ていたようです。とんねるずやダウンタウンやウッチャンナンチャンもずっと見ていたようです。
それで中学校ぐらいからテレビの世界に行きたいと思い出したようです。
高校の時は暴走族をやりながら隠れて幼馴染と漫才をやっていたようです。ただ文化祭の時に披露して不良にバレたようです。
高校1年生のときにはお笑いめんたいこという福岡のテレビ局主催の大会にも出たようです。大会では優勝して次に勝てばテレビに出演だったようですが相方はそこまでお笑いに対する思いはなかったようです。
高校は途中でやめて仕事をしながら土日は芸能界養成学校みたいなところに入ったけどもお笑いを目指す養成所ではなかったので途中でやめてそれでバッドボーイズ佐田さんからたまたま電話があって漫才やらないと誘ったようです。
福岡でやっていた時はなかなか漫才は大阪というイメージもあってチケットも売れなかったようです。
だから東京に行こうと思っていたようですが当時一番売れていた品川庄司さんの観客動員数を超えたら東京に行こうと決めていたようです。
それで1年後超えて東京に行くことを決めたようです。それが24歳で6年目だったようです。
バッドボーイズ清人後編/生き別れの母から突然の連絡/元彼の後遺症で生まれた確執/超えられなかった準決勝の壁
東京に来てもなかなか住むことなく風呂なしアパートで芸人と一緒に居候とかをさせてもらったりしていたようです。
それから博多大吉さんが東京に出てくる時に大吉さんが住むとこないだろと2年ぐらい一緒に住ませてもらったようです。
東京の方に出てきて仕事が貰えるものと思っていたようですがピラミッド式に0円芸人から100円芸人になってとギャラが増えていったようです。
それで当時M-1グランプリへの道 まっすぐいこおぜ!という映画のオーディションがあってバッドボーイズ佐田さんが主役に抜擢されてバッドボーイズ清人さんも後編に出れたようですがなぜか中国人マフィア役という謎の役を演じたようです。
そこからTBSのお笑い番組ゲンセキにも選ばれてその後の番組の10カラットにも選ばれたようです。ただレギュラーも半年で打ち切りで今度はAKBINGO!というバラエティー番組で8年間出演したようです。
AKB48もその番組で1年ぐらいで人気絶頂になったようです。M-1グランプリは準決勝までしかいけなかったようです。
バッドボーイズ佐田さんは基本的に番組とかでトークは苦手のようです。番組とかだったら誰かを押しのけて自分の意見を言うって感じで自分がこの言葉を今言う必要があるかなと考えてしまうようです。
ネタも面白いかどうかはやってみないとわからないタイプで唯一大喜利が第三者的に分析すると得意なのかなと思っているようです。
漫画も4年ぐらい前から描き始めたようです。ダブル★ピースという漫画です。漫画は絵も好きだし物語を作るのも好きだからいずれやりたいとは思っていたようです。
結婚は31歳ぐらいにしたようです。
ちなみに拾の母親とも会うことになったようです。
父親とダウンタウンの番組で親子漫才をして母親がこれが息子なのかと気付いたようです。
それでなぜかAKBINGOという番組で再会するのですが5人の中でバッドボーイズ清人の母親は誰でしょうとバラエティーにされたようです。
30年ぶりぐらいの初対面なのに衝撃の出会いですね。
それにしてもいろんな事に挑戦されて壮絶な人生を送ってこられたんですね。
これからもがんばてもらいたいですね。
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