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ダンディ坂野の現在

芸人

今回は、黄色いタキシードで颯爽と登場してはシュールなギャグを飛ばして“ゲッツ!”と
決め台詞を披露する、このスタイルを維持し続けておられる、ダンディ坂野さんについてピックアップしていきたいと思います。

ダンディ坂野のプロフィール

1967年1月16日生まれ、石川県加賀市ご出身です。
石川県立大聖寺実業高等学校卒業後に地元でしばらく働いた後、1993年に上京されます。

この頃は既に26歳という年齢という理由と当時人気だったウッチャンナンチャンやダウンタウンの影響を受けて、
当初目指していた“アイドル”から“お笑い”へ路線を変えられます。

その後、芸能事務所『プロダクション人力舎』が開校した『スクールJCA』の2期生として入学するも“才能が無い”と言われ、留年します
(1期下の3期生とも1年間学ばれ、その同期の中には『アンタッチャブル』もいました)。

そして無事に卒業されますが、在校生らとの“ジェネレーションギャップ”を感じた事もあり、『ピン芸人』としてやっていく事を決められます。

1996年に大川興業の舞台「すっとこどっこい」、テレビ埼玉のテレビ番組「パンドラ御殿」で表舞台へ立たれます。
この頃は、お笑い芸人・でんでんさんの芸風を受け継いだ様な“漫談スタイル”だった故、“第2のでんでん”とされていました。

やがてダンディ坂野さんの名が全国区に知られる様になったのが、お笑いトーナメント番組「爆笑オンエアバトル」(1999~2010年・NHK総合)に出場された事でした
(出場回数とは対象に“オンエア数3割”と低い合格率を越えて獲得されたブレイクでした)。

タキシード姿で登場し、シュールなジョークを飛ばした後、両手を指差し“ゲッツ!”と芸風が定番となり、流行しました。

トレードマークとなった黄色のタキシードは2003年に出演の『マツモトキヨシ』のCMからで、そこから定着していきました。
同年頃からの“お笑いブーム”の波に乗る様にブレイクし、シングルCD「OH!NICE GET‘s」がオリコン・インディーズチャート1位を獲得しました。

以降も、アニメ映画「劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムグランプリン~(以下省略)」(2003年)でゲッツハム役として声優としての出演や、
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)・「釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!」(2006年)、クイズバラエティー番組「クイズヘキサゴンⅡ」(フジテレビ)・
「さんまのSUPERからくりTV」(TBS)等、多方面で活躍されました。

ダンディ坂野が地方では超売れっ子

近年、テレビで見かける機会が少なくなり、周囲から“一発屋芸人”の様に見られているダンディ
坂野さんですが、最近は地方営業やCM、イベントの仕事に度々、呼ばれているとの事です。

“ゲッツ!”という短い台詞ギャグが、CMにピッタリかつ使い勝手が良い故に、オファーが尽きな
いそうです(とはいえ、一部・地方の新聞社から“ゲッツ!”を、あろうことか“ダッ…”と聞き間違え
られる“珍騒動”もあった様ですが…)。

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ダンディ坂野が心も体もゲッツ!

私生活では  年に一般人女性と結婚され、 人のお子さんに恵まれています。

ご家族とのプライベートショットが度々披露され、ハワイに家族旅行へ行かれた際のダンディ坂野
さんの姿に注目が集まりました。

彼のとても引き締まった“肉体美”に対し、“キャラとのギャップが
最高”とか“体がゲッツ!”といった意見が寄せられました。現在52歳のダンディ坂野さんですが、
マラソンで鍛える等して、日々体力作りをされているそうです。

そして、自身のSNSを常に配信され、日々近況を投稿されています(任天堂ゲーム機『WiiU』の
ゲームソフト『スプラトゥーン』にハマっている等、流行に敏感な様子も綴られていました)。

最近の仕事も順調の様で、今年2019年3月、ダンディ坂野さんがかつて下積み時代に10年間アルバイトをされた、
「マクドナルド」の親会社『日本マクドナルド』主催の『2019年春のクルー体験会』記者発表会へ出席されました。

ダンディ坂野さんは15年ぶりにマクドナルドの制服を着用し、“ポテトはMマークに塩を振りかける”と、豆知識を披露したりされました。
翌4月には『東京メトロ』が実施、『メトロポイントクラブ』活用・『オフピークプロジェクト』
告知ポスターに採用されました。“ピークじゃないくらいがちょうどいい”をキャッチコピーとし、ここ
でも代名詞である“ゲッツ”を披露されました。

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