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ガーシーと対談の麻生泰医師の現在

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ガーシーさんと対談で話題になった麻生泰(とおる)さんは美容整形クリニックの医師兼社長(総括院長)さんです。美容外科医師以降は多くのクリニックのコンサル業にあたったり、開業支援や人材派遣、広告や戦略を立てるなどを行う会社だと言います。麻生泰さんは美容整形の手術全般を得意としていますが、患者さんの口コミで豊胸手術をすることが多くなったのだと言います。

1番大きい豊胸手術では、Eカップの方を8段階バストアップさせてMカップにしたそうです。その方は合計三回の手術でMカップまで大きくなったそう。現在までに1万人の女性の豊胸手術を行ったと言います。医師という職業柄、女性のトップを直に見ても性欲は全く湧かないそうで、綺麗な胸を作るという使命で胸を観察しているのだとか。彫刻を作る芸術家の感覚に近いそうです。

麻生泰さんは現在50歳。美容整形外科医師歴は23〜4年になると言います。出身は奈良県奈良市。学園前という場所で育ったようですが、生まれは東大阪の八尾で、両親が在日韓国人だそうです。麻生泰さんの父は裕福な家庭で育ち、色々な事業を立ち上げていたようですが、あまり成功せずに失敗で終わることが多かったと言います。

麻生泰さんが小学校6年生の時に両親の会社が倒産してしまい、家に借金取りが来たという経験もあるそうです。ヤクザがお金を取り立てに来た時、兄弟で家のベッドに隠れるわけですが、目が合ったヤクザが麻生泰さんに気づかないふりをして家を出て行ったことが印象的だったと言います。ヤクザにも優しさという感情が存在するのだと幼心に感じたそうです。

当時億単位の借金を抱えた父は、1年間失踪して家族の前から姿を消してしまいます。周りの親戚が金銭的にゆとりがあったお陰で、飢えずに学生時代を過ごす事ができたそうです。中学校に進学した頃、母親が創価学会の宗教にのめりこんでいき、涙を流しながら絶対に勝利すると唱えていたことが印象的だったよう。凄くプライドの高いお嬢さん育ちの母親だったと言います。

その後ろ姿を見た麻生泰さんは、まだ子供で大事な人を守れない無力さを感じていたそうです。姉が2人、弟が1人の4人兄弟。この育ちから、将来はお金に絶対困りたくないという気持ちが強かったと言います。麻生泰さんの母親は、昔銭湯に行った際に、赤ちゃんが誤って目をついてしまったようで、片目が見えていませんでした。

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その当時に母親が「兄弟の誰かが医者になって私の目を治してくれないかな」と言った一言を覚えていた麻生泰さんは、母親の目を治してあげたい思いと、経済的に苦労したくないという思いから医学部を目指すようになります。高校生の時、失踪していた父が周りからお金を借りて、再度ビジネスを始めます。そのビジネスが軌道に乗り始め、お金回りが良くなった時と麻生泰さんが医学部を目指し勉強を始めるタイミングが丁度合致します。

三浪して医者になった麻生泰さんですが、大学2年生の頃には予想通り父の会社がまた傾き始め、学費払えないから医学部辞めてくれないか?と言われたそうです。そこで麻生泰さんは、親戚を回って頭下げてお金を借りにいきます。そこで叔父さんが東海銀行で保証人になってくれ、1年分の学費は賄えたと言います。しかしそこで親戚の縁が切れてしまった麻生泰さん。

ドクターA(麻生院長)1万人の胸に触れ200億稼ぐ/部下に1億円横領され…


金の切れ目は縁の切れ目という事ですね。それから数年後、麻生泰さんが医師として働いていた頃、父から泣きながら「叔父が2年前に亡くなっていた」事を聞かされます。父は葬式にも呼ばれなかったと言います。当時の麻生泰さんは、自分が医学部の費用を親戚に借りたことで、父と叔父の兄弟の縁を切ってしまったと罪悪感を感じたことを覚えていると言います。

残りの大学費用は、母が加入していた創価学会の、未来ある若者を支援している方に出してもらったと言います。
医学部の時に「顔面骨折の治療」に感銘を受けた麻生泰さんは、再建外科を勉強する事を決めます。1度身体から切り離された部位が別の体の部位で生きるという移植のような手術を専門に学びたいと考え、岡山大学に国内留学をすることになったと言います。

本来は大阪医科大学で研修後、そこに勤めることになるのですが、そこの技術を学んで来いと、准教授に背中を押されたことがきっかけで、岡山大学に進みます。丁度その頃父の会社が倒産し、両親が夜逃げ状態で岡山に来たそうです。

当時の研修医の給料は15万〜20万で、暮らしていく給料は最低限あったと言いますが、夜逃げしてきた両親を養う為に、本来やりたかった研究よりも多く稼ぐ事を求められた麻生泰さんは、親に夢を絶たれた気持ちが強かった為に凄い確執が生まれてしまったと言います。

父を家から追い出した麻生泰さんは研究職での出世コースを捨て、家族を養う為に美容外科のアルバイトに行くようになります。医者の世界では、困っている人の為に医学の道に進んだという人が多く、金の為に働かないという考えの人が多いようですが、そんな中麻生泰さんは家族を養う為に、やりがいのある仕事より、よりお金が稼げる仕事を選んだと言います。

同期の医師仲間に後ろめたさを感じながら、患者さんが綺麗になって喜んでくれる姿を見て頑張れたと言います。中には、先生のお陰で娘がお姫様のような生活を送っていますとお手紙を送ってくれる患者さんもいたそうです。

そこにやりがいを感じた麻生泰さんは、1年間美容外科でアルバイトを経験した後、美容外科クリニックの院長として島根県の松江市で開業することになるのです。家賃が20万円で安いという事と、そこの近辺に1軒も美容外科がなかったことが松江市での開業の理由だと言います。開業費用は500万円もかけていないそう。

確執があった父ですが、開業するにあたって不動産や広告費の折衝を社長の頃の知識を活かして麻生泰さんを快く手伝ってくれたそうです。父の力なく、ここまでの開業は出来なかっただろうと言います。島根のクリニックは10年ほどで閉め、次の月には新しい店舗を出したそうです。島根クリニックでの稼ぎは、多い時では700〜800万円。

新店舗も全て、近辺に美容外科クリニックが無い所を狙って建てたそうです。地方での稼ぎに有頂天になっていた麻生泰さんは、今度は都心に出て勝負をしようと試むのですが、東京進出に3回失敗していると言います。銀座や表参道で、エステの中に入って勝負をかけますが、全て上手く行かず撤退したそうです。

鼻の骨折や顎の骨折を治す花形の治療を行いたかった麻生泰さんですが、自分自身が豊胸手術の方が得意である事に気づき、4〜5年前からその強みを出して活動するようになったと言います。当時の経理部長に1億円横領された経験もあるそう。麻生泰さんの辛かった経験として、稼げば稼ぐほど、家族が自分に金をたかってくることだったと言います。

マンションを離婚した姉に購入したり、義理の兄の医学部の学費を出したりと、家族を1人でも自立させなければと考えていたそう。現在は、無事医学部を卒業した義兄が麻生泰さんの病院で働いてくれているそうです。

現在は職員が946人、店舗数は102の大企業になった麻生泰さんのクリニック。ドクターは250人在籍していると言います。4年前に音大を社会人入試で卒業した麻生泰さんは、バイオリンを始め、YouTubeでもバイオリンチャンネルを開設しているようです。

あと1つの趣味として、波の引きを使うウェイクサーフィンの大会にも参加していると言います。息子さんは歯医者の学校に通っているそうですが、TikTokがバズっているよう(お金持ちの息子)で、父として道を外さないように見守る事も役割だと考えているようです。

TikTokの影響で周りから総スカンを食らっているという息子。家族との確執を乗り越えて麻生泰さんが現在考える事は、様々な人から頂いた恩を忘れてはいけないという事。何で自分だけこんな苦労しているの?何で稼いだ金に皆ぶら下がってくるの?と被害者意識を持っていた自分が未熟だっただけだと言います。人との縁は助け合い。あの時文句言っていた家族も、最後はみんな助けてくれる。その事を忘れてはいけないと肝に銘じているようです。

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