鈴木おさむコロナの影響で現在は!?

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鈴木おさむは1972年生まれの現在50歳。
千葉県の南房総市千倉町出身で、4つ上の姉と2人兄弟です。
明治大学院卒業。
地元は、東京まで4時間かかるほど田舎だったそうです。
東京のチャンネルは全て見る事ができ、雑誌も発売日と同時に入手出来ましたが、高校時代は映画館もレンタルビデオ屋さんも無かった不思議な環境だったようです。
SMAP×SMAPやめちゃイケを手がけた、売れっ子放送作家で、奥様がお笑い芸人の大島美幸さんということでも有名です。
放送作家として活躍する現在の鈴木おさむの1週間は、コロナ禍の影響で会議の仕方が変わったそうです。
テレビの会議が昼に入り、午後はドラマや舞台の執筆作業に時間を当てています。
ラジオや自分が手がける演出は、現場まで出向いています。

【前編】鈴木おさむ/24歳でスマスマめちゃイケ大ヒット/月収200万も1億借金でトイチ闇金に追われ…


ABEMAの番組や、木梨憲武さんが司会を担当するテレビ東京の「〜夢のオーディションバラエティー〜Dreamer Z」は、鈴木おさむが総合演出を担当しています。

オーディションからリハーサルなども含めて全部現場に出向ています。
放送作家という職業は難しい立ち位置で、行っている内容としては演出やプロデュースなのですが、その名前を名乗ろうとするだけで、異常に毛嫌いしてくるテレビ局の方がいるのだとか。
それが嫌で30歳から舞台を始めた鈴木おさむ

舞台は脚本から客の入り、売上まで全て自己責任となるため、そこで売上をあげれば自分の力があるという自信に繋がっていると言います。
ちゃんとした休みというものはなく、家族の時間を大切にするためにも、スケジュールの中に家族時間を意識的に組み込んでいます。

ただぼんやりと1日一緒に過ごすのではなく、1時間でも家族と何をして過ごしたかの方が大事と考えます。
鈴木おさむが小学生の頃には日本のテレビが絶頂期で、「ドリフ」や「ひょうきん族」、ビートたけしさん、タモリさん、明石家さんまさんを称する「BIG3」という存在が出てくるなど、テレビの世界がキラキラしている時代だったそうです。

小学校5年生の時に人生の糧となる教員と出会います。
この方はお坊さんも兼任しており、この先生のクラスになった生徒は「好きな人」を授業中に言わないといけないという一風変わった教育方針だったそうです。
土日になると生徒をお寺に連れて行って草むしりをやらせていたそう。
お昼時間には「笑っていいとも!」を毎日流してくれていたそうです。
今では絶対出来ない教育ですね(笑)

鈴木おさむさんは小5の時に毎日笑っていいとも!を見れたことが、自分がお笑いを凄く好きになったきっかけだと言います。
小6の時に生徒会長になった鈴木おさむは、毎月1回の生徒総会で行われる町の人口などの発表がつまらないと感じたようで、その先生に頼んで「マッチ売りの少女がカツアゲされる」というパロディを、脚本・演出・主演両方担当し、女装して全校生徒の前で発表しました。

これが凄くウケたそうで、この経験が鈴木おさむ最初の「エンタメ体験」となったそうです。
実家がスポーツ用品店だったそうで、幼少期にサッカーを習っていた鈴木おさむですが、運動神経がないために全く上手くならなかったそうです。
その反動で、面白い人になろうと心がけていたそう。

中学校1年生の時、国語の時間に書いたダンシング・ケンゴという「創作文」が地元の新聞に掲載された事でより一層、表現することや何かを書くことに対して楽しいと感じるようになったみたいです。

この時期から鈴木おさむ放送作家を意識し始めます。
大学の夏にたまたま見ていた、太田プロのお笑いライブドキュメンタリーの作家、前田昌平さんに会いたいと思った鈴木おさむは、NTTの番号案内で「太田プロ」の番号を調べお笑い芸人としてオーディションを受けに行きます。

そこで前田昌平さんに、放送作家になりたくて来たことを告げると、演者の気持ちを理解するために、半年間ピン芸人としてネタを作って太田プロのオーディションを受けろと言われます。
その時に出会った松田邦弘さんが、鈴木おさむを気に入り、色んな場所に連れて行ってくれるようになります。
その後「電波少年」で松村邦洋さんはブレイクするのですが、その後に一緒にご飯を食べに行くと、誰からも声をかけられ、松村さんの封筒の中に分厚いお金が入っているのを目にした鈴木おさむは、1本のテレビで売れるだけでこんなに有名になるんだと衝撃を覚えます。
当時19歳だったそう。
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半年間のネタ作りで前田昌平さんに認められた鈴木おさむは、19〜21歳の間ニッポン放送のラジオ番組で何十本ものレギュラー番組を担当したそうです。
昔、明治大学替え玉事件という犯罪事件がありました。
それは、現役明治大学生が、学力が足りないために受験をしても受からなさそうな子供がいる金持ちに声をかけ、その子の代わりに明治大学受験をするというものです。

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その犯人は結局捕まってしまい、当時の鈴木おさむは、「人生ダメにして馬鹿な奴らだな。」としか思っていなかったそうなのですが、ニッポン放送でその事件の犯人が放送作家として働いており、面白いやつとして評判になっているのを目の当たりにします。

そこで鈴木おさむは、表で失敗してもエンタメの世界では重宝されるというギャップに驚き、自分には千葉県の大学生という付加価値以外何もないということを思い知らされます。
その替え玉事件の同期に勝つため、巷で流行っていたというSMクラブに自腹でMコースを体験に行った鈴木おさむ

その経験をニッポン放送の人に話すと、初めて自分に関心を抱いてくれたと言います。
それから「おい!」としか呼ばれなかったのが「SM君!」に呼び名がかわった事が嬉しかったそうです。
大学に入って3年が経ち、放送作家で月30万稼げるようになった鈴木おさむは、親に頼んで大学を辞めさせてもらいます。

それからは放送作家に専属で集中できるようになったそうです。
そこから木村拓哉さんと出会い、一緒にラジオをスタートさせます。
これが人気を呼び、24歳でテレビ番組の『SMAP×SMAP』が始まるきっかけとなり、初回で中森明菜さんがゲストで初回視聴率22%を達成します。

当時はアイドルがバラエティーの中心になるという事がなかったらしく、テレビの歴史を1個変えた瞬間だったと鈴木おさむは語ります。
ラジオで文章をめちゃくちゃ書いた事によって、放送作家として随分鍛えられたと言います。
25歳で月収200万を達成した時に、実家から連絡が入り、バブルがはじけたことで家の借金が凄い額になっていることに気づいたそうです。

闇金から10日で1割で2000万円の借金もしていたそう。
総額1億の借金を抱えていた実家。
貯金700万円で家族で夜逃げしようと思っていた矢先、片岡飛鳥さんから電話が入ります。
家族が大変なことになっている事を電話で話すと、面白い!と笑ってくれ、次の会議でこの話をするように勧められるのです。

朝4時まで行っていた会議で家族の借金の事を話すと、その場にいた放送作家が手を叩いて笑ってくれたと言います。
この事に心が救われた鈴木おさむは、家族全員で借金を返すことを決意します。
月200万の収入のうち、170万は借金返済に回し、忙しく売れっ子なのに全然裕福にならない生活に、どんどん躁鬱状態になっていったとそうです。
芸能人といえど、表舞台で活躍しているからといって、必ずしもプライベートが充実しているとは限らない事を改めて実感させてくれました。

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鈴木おさむは現在も、過去の逆境を感じさせないほど放送作家に全力で取り組んでいます。

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