真実の追求者:赤石晋一郎の世界
YouTubeで「元週刊文春記者チャンネル」をやっている元文春記者の赤石晋一郎さんは、ユーチューブチャンネルを開設して1年になるそうですね。現在53歳だそうです。
赤石晋一郎さんと文春時代の同期にあたる甚野記者と2人でチャンネル運営をしているそうです。チャンネル登録者は8万人と順調に伸びているチャンネルですよね。
赤石晋一郎さんがフリー記者になったのが2019年だそうで、ジャーナリストとして色々な雑誌に記事を書いているそうで、『完落ち』というタイトルの書籍も出版しています。
刑事にインタビューをしている内容が書いてある本ですが、刑事が犯人に自白させるというのは週刊誌に通じるものがあるそうですね。
喋りたくないものを話せるように持って行くのは似ている部分があるそうですね。タイトルにある「完落ち」というのは警察用語で全面自供のことだそうですね。
赤石晋一郎さんから見て今のホットな話題はダウンタウン松本人志さんの飲み会問題だそうですが、元週刊文春記者からすると事実無根の記事を書くことは考えられないそうです。
だから基本的には調べて出てきた証拠を握りながら事実を報じているはずだそうです。やはりこういうネタは週刊誌しか扱えないそうですね。
例えばテレビや新聞にリークしたとしても様々な圧力などから「スクープなので報道しましょう」という方向にはならないそうです。
だから記者としては最善の努力を尽くして記事にしているそうで、テレビが切り込まない芸能界権力者のスキャンダルを真剣に報じているはずだそうですね。
多くのスキャンダルは一時期盛り上がって世間的に認知されても、裁判結果が出るのがかなり先になるのでその頃には世間も興味がなくなって結論まではあまり周知されないです。
一部敗訴だからといって裁判記録を読み込まないとすべてが白というわけではなかったりしますが、どういう決着を迎えるかは今の時点では予想できないそうですね。
一審だけでも2年近くかかるかと思いますし、最高裁まで戦ったら長期戦になるのは間違いないですからね。そんなに先になるとさすがにもう旬な話題に興味がうつってますよね。
異文化を橋渡しする言葉:赤石晋一郎の物語
赤石晋一郎さんの出身は、なんと南アフリカだそうですね。父親の電機メーカー仕事の関係で父親が南アフリカにいた時に赤石晋一郎さんは生まれたそうです。
小学生になる頃まで南アフリカで育ったそうですが、そこから帰国して千葉県で過ごす形になったそうです。父親が海外事業部で仕事していると育ちはそんな感じになるんですね。
当時は南アフリカで「アパルトヘイト」という制度があって、人種隔離政策で黒人と白人が別の居住区に住んでいたそうですね。歴史の教科書で学ぶことですよね。
黄色人種の日本人は名誉白人の扱いで、幼稚園はアメリカンスクールに通っていた赤石晋一郎さんは番長格のような扱いだったそうです。
子どもの赤石晋一郎さんはよく分かっていなかったそうですが、自分たちの居住区には黒人メイドがいて差別社会の中で暮らしていたそうですね。
小学生になって南アフリカから日本に帰って来た赤石晋一郎さんは、日本語がカタコトだったのでいじめられたそうです。帰国子女あるあるで馴染めなかったんですね。
中学生になって不良になったり素行が悪くなった時期もあった赤石晋一郎さんでしたが、人生の目標がないまま何となく大学まで卒業したそうです。多くの人がそうでしょうね。
普通に就活をしてゼネコン会社に就職した赤石晋一郎さんは、財務担当で粉飾決算をさせられていたそうです。ゼネコンによる利益詐称のための粉飾決算ですね。
例えば「このマンションの売り上げがマイナス2千万円でした」となった時に、その2千万円を違う帳簿に書き換えてプラスの利益が出てましたと報告するそうです。
株価維持のために完全に犯罪をしているわけですが、上場企業で利益が下がると株価が下がってしまうのでやっていたそうです。
さらに当時の上司が自分の実績を上げたいというのもあってだそうで、若手社員の赤石晋一郎さんが上司にこれはダメなのではと言っても受け入れられなかったそうですね。
赤石晋一郎さん個人でも「飛ばし」と言われる赤字が10億円もあったそうですが、この仕事を続けるのは不味いと判断したことで28歳の時に退職したそうです。
流石に10億円の赤字を無かったことにする仕事は続けない方が良いですよね。無職になった赤石晋一郎さんは次の仕事をどうしようか4年間フリーターしながら考えたそうです。
そこで記者になるきっかけとなった1つが鎌田慧さんというルポライターが出版した「自動車絶望工場」という工場とかに潜入して内幕を書いた本を読んだそうです。
その本を読んでこういうのは自由度が高くて面白いなと思ったそうです。そこでフリーターをやりながら『フリーライター』のような感じで活動も始めたそうです。
写真から文字へ:記者赤石晋一郎の転換
色々な取材をしたり書き物を独自でやりながら動いていたらご縁があって、2002年の32歳の時にフライデーの週刊記者として働くことになったそうです。
有名人が『フライデーされた』という言葉が出てき始めた頃ですね。最近では『文春砲』というフレーズの方が強くなった感じですよね。
フライデー記者として働いていた赤石晋一郎さんでしたが、2006年に週刊文春に移籍をすることになったそうです。フライデーは写真記事ですが、週刊文春は活字記事ですね。
フライデーの場合は写真の掲載も必要なのでカメラマンと一緒に行動しなくてはいけなかったりするそうです。不倫や熱愛の写真を記事と一緒に証拠として掲載する感じですね。
写真がない活字記事の方が記者としても自由度が高いんですね。自由度が高い方が動きやすいと思った赤石晋一郎さんと同じ考えの記者がフライデーから結構移籍したそうです。
週刊文春にフライデーの記者や他の各週刊誌の記者の割合が増えてきたことによって、活字記事の媒体だった週刊文春も自然と写真記事のようになっていったそうです。
各週刊誌のDNAが集約されたのが現在の週刊文春ですね。写真が必要になるとただインタビューするだけよりも決定的な写真を撮るまでの時間もかかりますよね。
フライデーの政治班だった赤石晋一郎さんのルーティーンとしては、個人的に親しい政治家の秘書を作ったりしながら昼頃に永田町を回って情報収集をするそうです。
議員会館に入って情報交換をしたりしながら政治家のスキャンダルを狙うんですね。政治家が表に出してほしくない情報を上手く引き出すんですね。
赤石晋一郎さんが初めて記事にできたのは、当時の総理大臣秘書官の方が後援企業から別荘を作ってもらっていたという内容だったそうです。
活字記事ならこの情報だけでも文章にして出せばよいですが「間違いなくこの人が別荘を出入りしています」という証明のために写真を撮らなければいけなかったそうです。
その写真を撮るために別荘を張っていましたが、滅多に別荘には来ないので半年もかかったそうです。確かに別荘なんてたまにしか行かないですよね。
週刊誌記者も夏休みはあるようですが、赤石晋一郎さんは休みを返上して別荘を張っていたそうですね。すると、夏休みに別荘に現れて写真が撮影できたそうですね。
世の中的には政治のゴシップより芸能ゴシップの方が圧倒的に人気で、雑誌の売り上げや世の中の反響も大きいそうです。若者は政治に興味ないですしね。
それでもこういった政治家が裏で悪いことをしているというのを世の中に証拠付きで発信していくことが意味のあることだと信じてやっていたそうです。
フライデーに比べて移籍した週刊文春の記者は遊軍だそうで、ノンジャンルで政治から芸能まで取材できるそうです。なんでもありで自由度が高いですね。
赤石晋一郎さんは記者として色々な情報を発信することが世の中の為になると正義感で取り扱ってきましたが、週刊文春記者を続けていくうちに心境の変化もあったそうです。
ある時から「人間とはなぜこんな悪いことをするのか?」というような、人間的な興味を取材のメインに置いた方が読者も関心が高まるという風に徐々に変わったそうですね。
正義も大切だけど読まれなければ意味がないし面白さも重要な視点かも知れないと思うようになったんですね。確かに話題にならなければせっかく記事にしても意味ないですよね。
赤石晋一郎さんは記者として途中で心境の変化もありながら週刊文春に2006年から2018年まで在籍していたそうです。12年も記事を書き続けたんですね。
ちなみに『文春砲』のルーツはAKBオタクのネットスラングで、AKBのメンバーのスキャンダルが続出してオタクが文春砲にやられたと言い出したのが始まりだそうです。
週刊文春の記者としては文春砲という言葉は狙って誰かを引きずり下ろす見え方になるので良く思っていなかったそうです。
記者としては事実があるから取材して裏を取る流れなので、誰かを貶めたいからスキャンダルを暴いているわけではないそうです。火のない所に煙は立たぬですね。
情報の裏側:赤石晋一郎の取材ノート
昔は記者が足で情報を取ってくることがほとんどでしたが、現在はタレコミというのもかなり増えている時代なので事実確認をする作業も多いそうですね。
記者にも毎週企画会議で週に5本企画を出すというノルマもあるので、記者が20人いたら100本程度のネタが編集部に集まって選別されるそうです。
週刊文春もメイン記者になる「キャップ」と補助的な「アシ」と言う感じでチームで動くので、企画会議で自分のネタが採用されなくても仕事は常にあるそうですね。
赤石晋一郎さんが2006年に週刊文春に移籍した時にちょうどホリエモンの「ライブドア事件」が起きたそうです。
それに関連してライブドアとお金に関する部分で密接に関わっていたエイチ・エス証券の方が沖縄で自殺したということで、赤石晋一郎さんは初めて事件取材をしたそうです。
カプセルホテルの中で割腹自殺をしたということであまりない異様な自殺だったそうです。侍でもあるまいし普通に考えて切腹なんてできないですよね。
赤石晋一郎さんは警察庁長官の発表に疑問を持って医療関係者や救急隊員などへの取材でこれが自殺ではなく事件なのではないかという可能性に辿り着いたそうです。
警察が自殺と結論づけて発表したことで新聞やテレビは警察のお墨付きがないと記事にできないので、週刊誌がこれを掘り下げる必要があると思ったそうです。
10㎝程度のナイフで20㎝も割腹しているので、痛さなども考えると自分でやるには常軌を逸していますよね。亡くなった方の奥さんも自殺はおかしいと言っているそうです。
赤石晋一郎さんの独自取材で1つの記事になったそうですが、真面目に取材して記事になったことで編集部の信頼に繋がって移籍してからも割と自由に記者をできたそうです。
現代では週刊誌も本人に突撃して事実無根だと否定されると二の矢、三の矢と情報を分割して出していくのも当たり前のようになっています。
これは時代が進むにつれて自然とこういう形になっていったそうですね。昔であれば情報の一発目に出し惜しみしている余裕はなかったそうです。
しかし、現在は何かスキャンダルが出たら次々にこんなのもありますというタレコミが画像や動画、音声録音などで集まってくるようになっているそうです。
反論が情報提供者をエスカレートさせるんですね。だから記者が取材できていなかった予定外の2発目なんかも続々と記事になる時代だそうです。
スクープする側もされる側も初手の動きは重要ですね。ただすっぱ抜かれた側は嘘を付くとさらなる証拠付きで続報が出てしまう可能性が高いので認めた方が良さそうですね。
あくまでも週刊誌が目指すのは当事者の破滅目的ではなく事実を提供しているというスタンスですね。世に出してハレーションの大きさはあまり予想できないそうです。
ダウンタウンの浜田雅功さんのパパ活は世間的にお咎めなしでしたが、松本人志さんの飲み会は大事になりましたよね。これは記事を出してみないと記者もわからないそうです。
記者と言う仕事は難しい立場でもあって、忖度が働くと身動きが取れなくなるので普段は考えないようにして仕事をするそうですね。
赤石晋一郎さんは過去にスクープの標的が10年来の知人だった時があったそうです。その人と数年ぶりに再会したのがスキャンダルの取材になったそうです。
本人的には「これが世に出ると会社を辞めるしかなくなるし非常に困る」という話をされたそうですが、記者として取材している以上は出さなければいけないと話したそうです。
赤石晋一郎さんとしても流石に心苦しい気持ちはあったそうですが、自分も誇りを持って仕事している以上はしっかりと記事にしたそうですね。
結果的に人生壊される人がいる一方で救われる人もいるという事実があって難しい仕事ですよね。恨みを買われることなんて常でしょうしね。
赤石晋一郎さんからすると記者の仕事は「凄いやりがいのある日々になるか鬱病になるかの二択」だそうです。やはり心が病んでいく記者もいるようですね。
ただ一方で数々の修羅場が人として成長できる仕事でもあるので、メンタルが鍛えられて誠実な記者も多いそうですね。横暴な態度の嫌な記者に答えないですもんね。
赤石晋一郎さんが週刊文春に12年在籍したからこそ言える良い所は自由度だそうです。日本社会の死角を週刊誌は突けるのでテレビや新聞のような忖度がないそうです。
影響力も含めて週刊誌界の大谷翔平を目指して文春に記者が集まっているのは事実だそうです。新聞記者が週刊文春に応募してくるケースも増えているそうですね。
ここ数年で新聞やテレビでは明らかに忖度で報道されないことが可視化されてしまったので、現場にいる記者は自由度があるとやりがいに繋がるそうです。
逆にデメリットは忙しすぎることだそうです。基本的には「正月」「夏休み」「ゴールデンウイーク」に一週間程度の休みはあるそうですが仕事脳にはなってしまうそうですね。
週に5本は記事にできそうなネタを見つけなければいけないですし、24時間ずっと記事にできる何かを探したり考えるようになってしまうそうです。
ただ今は週刊文春を辞めて2019年からフリー記者になったので、1つのネタに時間をかけて掘り下げることができるそうですね。
ガーシーさんがユーチューブで顔出しで暴露をしたことが信用に繋がって世間にウケていたように、自分も今は顔を出して記者をやっているので記事は信用して欲しいそうです。
確かに週刊誌の記事を書いている人ってほとんど誰か分からないですよね。赤石晋一郎さんは顔を出しているからこそ適当な記事は出さないと誓って記者をしているそうですね。
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