小橋賢児の現在

今回は、1990年代~2000年代にかけて数多くの映画・ドラマに出演し、人気俳優としての地位を確立させた、
小橋賢児さんについてピックアップしたいと思います。

小橋賢児のプロフィール

1979年8月19日生まれ、東京都ご出身です。

当時小学校3年生だった1988年、情報バラエティー番組「パオパオチャンネル」(テレビ朝日)のオーディションに合格し
出演を機に芸能界デビューを果たされます。

(因みに小橋賢児さんに対して“1994年頃にはジャニー喜多川氏から誘いを受けて『ジャニーズJr.』研修生として短期間のレッスンを受けた”
という噂があった様ですが、この件に対し小橋賢児さん本人が、自らのツイッターで否定されたそうです。

この“噂”が浮上した理由は、この頃テレビ朝日で行われた『ジャニーズJr.』のレッスンと、同じ時間帯に小橋健司さんが局を
出入りする姿が、『ジャニーズJr.』のおっかけファン達により度々目撃された故に生じた噂だった様です。)

以降は1990年代から2000年代初めにかけて主に俳優として、テレビドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」(1994年・TBS)
・「若葉のころ」(1996年・TBS)、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」(2001年)、映画「あずみ」(2003年)・
「ゴジラ FINAL WARS」(2004年)等、話題&ヒット作に数多く出演されました。

小橋賢児が人気絶頂の中で突然の休業、現在はイベント業の道へ⁉

順調に芸能活動を歩まれていた矢先の2007年に芸能活動を休止されます。
トーク番組「アウト×デラックス」(2018年4月12日・フジテレビ)へゲスト出演された際に、当時の心境について語られました。

俳優として多忙な日々を歩む中、“本当にこれが自分の人生なのか”と疑問を抱く様になり、日本に居る事さえ辛くなり単身渡米されたとの事です。

そして世界各国を旅した後、2009年に帰国されます。充電期間を経て心機一転、再び仕事を始めようにも軌道に乗らず、ストレスによる
体調不良にも陥ったそうです。しかし30歳を目前に、自身の誕生日を祝う“シークレット・イベント”を開催した事が反響を呼び、
今日に至る『イベント制作』の道が開けたとの事です。

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小橋賢児の現在はイベント会社社長として、年収は○○千万!?

その後も、イタリア・スペイン・アイルランドとの合作映画「Imago Mortis」(2009年)に出演、2011年に開催の「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」
にて『SKIPシティアワード』と『SKIPシティDシネマプロジェクト』を受賞されました。

その翌2012年には、映画「DON’T STOP!」で映画監督デビューをされます。

現在小橋賢児さんは「LeaR株式会社」代表取締役・クリエイティブディレクター」という肩書きを持っておられます。

そして、日本最大級の音楽イベントと言われる『ULTRA JAPAN』にも携わり、経済効果139億円だそうです。

また本人曰く“(年収は)俳優時代の方が良かった”と言われています。小橋賢児さんも人気俳優でしたので、その頃の年収は
推定3000万を超えていると考えられるのに対し、現在は1500~2000万程ではないかと言われています。

小橋賢児さんはオフィスでは、ハット姿&サンダルで現場に向かい、会議中でも“音楽が雰囲気に合っていない”と、
部下に指示を出しては別の曲に変えさせる“ウザイ”社長だそうです。

私生活では2016年7月にファッションデザイナーの荻原桃子さんと結婚され、翌2017年1月に長男に恵まれ、現在は一児の父親でもあります。

昨年2019年5月には、自らの半生を綴った著書「セカンドID―「本当の自分」に出会う、これからの時代の生き方」(きずな出版)が発売されました。

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