宮内淳の現在

宮内淳さんと太陽にほえろ
宮内淳さんは、1974年文学座付属演劇研究所に入所し、研究生の時スカウトされ翌年卒業すると、その年にテレビドラマ(太陽にほえろ)に田口刑事(通称ボン)役でレギュラー出演し人気俳優になりました。(太陽にほえろ)はボンの前任のテキサス刑事から3年間殉職する刑事がいなかったのでボンとその後加入したロッキー刑事この二人の時代は一番長く続きました。ボン刑事が13日の金曜日殉職した翌週に新しくスニーカー刑事が登場するという番組初の殉職と新人の交代劇でした。当時は裏番組の(金八先生)の人気があり少し(金八先生)に押され気味だったようです。ボンの殉職は当日の午前中の情報番組の(ルックルックこんにちは)でも紹介されたように他番組でも視聴者の確保を狙った日本テレビの策でした。CMでも勝野博とリポビタンDに主演一躍人気者になりファンからボンを殉職させないでほしいと警視総監あてに手紙が送られ、殉職を延期したというエピソードもあるようです。

宮内淳の身長
(太陽にほえろ)のオーディションは基本的に身長180cm以上が条件だったようです。松田優作以降、勝野洋、宮内淳、木之元亮、山下真司、渡辺徹はみな身長180cm以上でした。
これは、ボスの石原裕次郎さんが松田優作さんと初めて会った時(俺よりでかいやつは初めてだ)と言ったそうです。それを聞いた岡田プロデューサーは(新人俳優は180cm以上の身長)という条件を決めたそうです。宮内淳さんも180cm以上身長があって採用されたのですね。

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宮内淳さんの本

宮内淳さんは若い頃から(人はなぜこの世に生を受け、死んでいくのか)(人生の意味とは何なのか)と考えていたそうです。宮内淳さんの母様が亡くなる前、母様とある約束を交わしていたそうです。(もし亡くなってあの世があったら教えてほしい)というものでした。そして母様が亡くなってからいくつもの不思議な現象が起き、それから頭の仮名にメッセージが降りてくるようになったそうです。

・人は、(へその緒)によってあの世の先祖とつながっている。
・この世を幸せに生きた人は愛のエネルギーとなってあの世に旅立つ。
・好きなことをして幸せに生きること、そうすれば先祖たちは力を貸してくれる。
このメッセージは(あの世)と(この世)のしくみ、人生を生きる意味を説明してくれる答えでした。宮内淳さんはこの(人生をどう生きるか)というヒントになるとこのメッセージについて本を出版する決断をしたそうです。

宮内淳さんの現在

1986年頃から宮内淳さんは、児童演劇活動を広く行っており、小学校の学校公演、芸術鑑賞教室、団体鑑賞などを中心にホール公演を含め、全国を巡演している影絵劇団(かしの樹)を主宰。児童演劇活動を広く行い、子供の情操教育に貢献しています。近年はテレビなど映像メディアにはほとんど出演しておらず公益財団法人(地球友の会)の代表理事。国連環境計画(UNEP)の普及活動を行う一般社団法人(日本UNEP協会)の理事として活動しています。テレビ番組で世界80か国を回り、人間本来の生き方に触れて歩いた経験から地球環境問題と子供の情操教育に力を注いでいます。1992年にカンボジアに民間P.K、O。第一号公演を敢行。国連表彰を受けた坪田愛華作(地球の秘密)を影絵ミュージカルとして全国公演。1995年には、(世界こども環境会議)準備委員として英国殺虫剤首相を埼玉県に招待しました。

宮内淳さんは、(国連はたくさんの機関を持っています。有名なのは、ユニセフ、ユネスコ、などいろいろある中で、最初に発展途上国であるケニアのナイロビに本部をつくったのがUNEP(国連環境計画)です。国連というのは、先進国がつくったわけで、第二次世界大戦で勝利した国でつくったわけだからどうしても先進国中心で進んでいる。そんな中、初めて開発途上国に本部を置いたというのが大きい。先進国の意見より途上国の意見のほうが地球友の会としては広げる意味が大きい)と語っています。

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