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坂上忍バイキング降板で現在は!?

芸能人

坂上忍さんは、今年の4月に昼の情報バラエティ番組「バイキング」を終え、4月上旬に犬の保護施設を立ち上げています。Youtubeも運営中です。
坂上忍さんは現在54歳。2歳から子役をしていますが、子役をするきっかけはおばあちゃんの死でした。おばあちゃんが亡くなった当初、言葉を発する事が出来なかった坂上忍さんを心配したお母さんが病院の先生に相談すると、「何か習い事をさせてみては?」とのアドバイスが。そこから児童劇団に入団し、オーディション活動を通して仕事を手に入れるという生活が始まります。

家族は、父、母、4歳離れたお兄さんの4人家族。両親は新聞社に勤めており、そこで出逢い結婚。
1番最初に撮影したドラマの記憶は、日テレの「たんぽぽ」というドラマや、TBSの東芝日曜劇場(現在の日曜劇場)の単発ドラマが、5、6頃から10年以上続いたようです。台本は母親に読んでもらい、耳で覚えていました。昔の稽古は相当厳しかったそうで、子役が台本を持ちながら舞台に立つと生意気と怒られてしまう時代だったようです。
【前編】坂上忍/バイキング終了の心境/国民的子役も父の借金/一億円ヤクザに脅され…


台本覚えに忙しく、学校にはほとんど行けませんでした。学校の部活で軟式のリトルリーグに所属していたという坂上忍さん。友達は居たようです。
9歳では高視聴率を叩き出す子役になっていた坂上忍さんは、どこに行っても顔が知られていた事が当時とても嫌だったそう。小学校5年生の時、お兄さん同行で縁日に行った日、いつも通り顔を指された坂上忍さんに対し、「お前が普通じゃないからこういう目に遭うんだよ」と行ったお兄さんの言葉が心から離れないそうです。「普通でいなきゃいけない」と思いながら有名である事を苦しく思い、道を歩く時も顔を上げないように気を遣いながら歩いていたそうです。

中学校の時は反抗期も相まって酷く荒れてたと言います。現場の人に迷惑をかける事だけは出来ないと思い、遅刻もサボるという事もしなかったそうです。辞めたくても次の仕事が決まってるよと言われる日々。児童劇団の方がマネージャーを担当してくれていたそうです。
坂上忍さんは通信制の高校に入学しますが、入学式の日に喧嘩をしてしまい、気まずさからそのまま4日間家出。1日で高校に通うことを辞めてしまったそう。たまたま九州の友達で余命1ヶ月の癌の子がいたそうで、1人で飛行機に乗って会いに行きます。

当時は父の会社が倒産し、保証人になった方が逃げてしまいます。坂上忍さんが学校から家に帰ると、ヤクザが借金取り立ての為に待っていたそうです。子役のギャラは借金返済に使われており、普通の家庭と同じようにお小遣いで生活していたと言います。父は作家として本を出していたそうですが、子供ながらに売れないだろうなと思っていたそう。両親が夜中に喧嘩するのを見ていた坂上忍さんは、両親の代わりに借金を返済することを決意。お兄さんは母親の側にいて支えてあげてと、兄弟で役回りを決めたそうです。その後15歳で個人事務所を立ち上げた坂上忍さんは、会社維持費は全て借金返済に回し、忙しいのにお金が手元に残らない生活を過ごしていたようです。25、6歳でようやく1億円の借金を完済。当時は掛け持ちをさせてもらえなかった為、間を開けずにドラマの仕事を引き受けることでお金を稼いでいたそうです。

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同世代の俳優は織田裕二さん。芝居歴が長いことで坂上忍さんには変な癖がついてしまっていて、フレッシュな織田裕二さんと比べられて悩んだ時期もあったようです。芝居じゃない芝居が出来る織田裕二さんが羨ましかったそう。物心ついた時から芝居の世界にいた坂上忍さんは、人生を選択するという経験をしたことが無いと語ります。無意識に、出来る監督と出来ない監督の比較をしてしまう事も苦しかったそうです。25歳で20年以上のキャリアを作ったお芝居の世界から既に抜け出せなくなっていたと言います。
【後編】坂上忍/バイキング低視聴率脱却 時事ネタ路線変更で出演者との歪み/番組辞める理由は…


借金返済し終わり、ようやく自分の為にお金を使えるようになった坂上忍さんは、後輩を連れてよく飲みに出かけていたそうです。毎年大晦日に競艇に注ぎ込み、大勝ちした年はそのお金を使って1年間仕事をお休みしました。働きたくて働いていたわけでは無く、プライベートな時間が欲しかったと言います。貯金が増えていくことが怖くなり、お金を散財する日々が続き、ある日全財産が28円になります。その時に初めて「働かなきゃダメだ」と感じたようで、人はお金が無くなると働きたくなるんだという感覚を初めて覚えたそう。そこからは働くことに前向きに取り組むことが出来たと言います。会社を維持するために働くことが目標となり、上半期に仕事を多く入れ、下半期はゆっくりと働くパターンを続けていたようです。

40歳過ぎに会社を維持するためだけに働く事に申し訳なさを感じた坂上忍さんは、60歳までの20年を芸能界に恩返ししたいという気持ちから子役スクールを立ち上げ、2年間は無償で指導を引き受けます。その為、40代前半が人生で1番貧乏だったそうです。一緒に飲みに行った友人からのアドバイスだったと言います。

当時の風潮的に、現役の役者が芝居を教えるという事があまり良く思われなかったようですが、世間の声を気にする事なく子役スクールを続けたそうです。子供達はとても可愛いかったようで、子役スクールを立ち上げて良かったと言います。技術的な事を教えるだけでなく、1人1人を見てあげることが1番なのではないかと思ったそう。あまり芝居が上手でない子に言い回しを変えながら演技を伝えていくと、ある日突然成長を見せた時にやりがいを覚えるようです。

子役スクールは所詮通過点。でもその通過点で何をこの子達に伝えてあげられるかが坂上忍さんの役割だと言います。ちょうどこのタイミングでバラエティのお仕事が来るようになり、子役スクールを回せるようになったそうです。1番最初に頂いたバラエティ番組は「アウト×デラックス」。それから「笑っていいとも!」、「踊るさんま御殿」と仕事が続きます。

当時の「働きたくない」「ブスが嫌い」という過激な発言は、強烈なキャラとしてイメージを残しお仕事を頂くためのスタッフの戦法だったようです。飛び道具として求められたらそれに徹する。それ以外を求められたら求められたキャラに徹する。それが仕事だと言います。
30代の時に芝居の楽しくなさを感じ、裏方を経験してみたいという思いから本を執筆します。仕事の6〜7割は裏方を担当し、映画を4本取り、舞台演出も行います。その裏方の経験が10年あったからこそ、役者に魅力を感じることが出来たよう。

2014年4月に笑っていいとも!の後番組としてスタートした「バイキング」。「ヒルナンデス!」のパクリと言われていた当初。オファーが来た時は、嬉しいという思いと続かないだろうなという思いが複雑に絡み合った心境だったと言います。バイキングには5つの制作会社が入っており、横の繋がりが全くないため、月曜に改善しようと提案したことが火曜に全く変わっていないという事がザラにあったようです。改善案を作り直すのに1年間かかったと言います。

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バラエティ番組としての視聴率があまりにも悪かったようで、坂上忍さんから時事ネタを提案。出演を承諾していた芸能人の方々は、バラエティで話が通ってしまっている為、時事ネタに移行するまでに微調整が大変だったそう。2016年にやっと時事ネタ路線にシフト出来たと言います。

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