丸山弁護士の起源と背景
行列のできる法律相談所に出演して有名になった丸山弁護士は現在77歳だそうですね。今は弁護士の仕事以外にも講演会やメディア出演もオファーがあれば行っているそうです。
丸山弁護士は兵庫県たつの市出身だそうで、田舎育ちですが早稲田大学法学部に入学するために上京したそうです。両親は父親が小学校の校長先生で、母親は専業主婦だったそうですね。
田舎だったこともあり、友達や周りには裁判官や検事など弁護士に関係のありそうな人はいなかったそうです。
丸山弁護士/行列のできる法律相談所の舞台裏/日テレ24時間TV100キロマラソン完走/年収5億円も自民党から出馬し収入激減
丸山弁護士の司法試験への道と挑戦
丸山弁護士が弁護士を目指したのは大学の2回生の時に、仲の良かった友達が司法試験を受けるということを聞いてノリで自分もやろうと決めたそうです。
今では司法試験改革で4割くらいの受験者は通るそうですが、当時の司法試験合格率は2.5%しかないような狭き門だったそうですね。
多くの人は合格年齢が27歳ぐらいだったので、大学を卒業してからも5年程は浪人してずっと勉強しているのが普通だったそうです。そんな中で丸山弁護士は3回目の試験で合格したそうですね。
1年間は大学を留年して、残りの1年は公務員試験を受けて法務省に就職しながら司法試験の勉強をしたそうです。普通は法務省に就職するのも難しいですよね。
父親から「もう司法試験は受けずに法務省でそのままずっと働く方が良いんじゃないか?」と言われていたそうですが、これで一生保証されるような環境にいてもつまらないので司法試験には挑戦しようと決めていたそうです。
丸山弁護士としては、本命の彼女がいるのになかなか振り向いてくれないから身近にいる人を彼女にしたみたいな感じにするのが嫌だったそうですね。良い意味で変わっていますよね。
丸山弁護士のグローバルな経験と日本での新しいスタート
24歳で司法試験に合格した丸山弁護士は、法務省を辞めて2年間司法研修所で弁護士の研修を受けたそうです。2年間の研修が終わると弁護士、裁判官、検事など好きな道を選択できるそうですね。
弁護士を選択した丸山弁護士は、26歳から雇われ弁護士としての道を歩み始めるそうです。大阪の小さな法律事務所で3年間ほど弁護士として働いた丸山弁護士でしたが、そこからアメリカに留学したそうですね。
大阪の法律事務所で働いた結果、これからは英語も喋れるようにしてグローバルに対応できるようにならないと弁護士としては幅が広がらないかも知れないと感じたそうです。
小さな事務所だったので事務所が留学費用を払ってくれるような環境ではなかったそうで、事務所を退所して30歳まで働いて貯金していたお金で単身アメリカに留学したそうです。行動力が素晴らしいですよね。
アメリカ留学の最初は、シアトルにある法律学校のワシントン大学に2年間通ったそうです。そして、2年間学校で学んだ後にロサンゼルスの法律事務所50ヶ所に願書を提出して弁護士事務所に就職できたそうですね。
アメリカは弁護士の競争率が高いそうで、日本人が就職するのはかなり苦労するようです。就職できた弁護士事務所は日系企業の仕事をかなりやっていたそうで、
日系企業のパイプ役に日本人の丸山弁護士が役に立つと思って雇ったそうですね。日本の企業がアメリカに進出して顧客とトラブルになったり、企業からの相談で弁護士としての依頼が入るそうです。
丸山弁護士がアメリカに行って困ったことは食事だそうです。安くてボリュームもある食べものが多くて最初は良かったけれども、数年もしてくるとかなり日本食が恋しくなったそうです。
ご飯やみそ汁が食べたくて仕方がなかった丸山弁護士は、35歳の時に一時帰国しようと事務所に休みをもらって日本に帰国している時に体調を崩して数日間入院することになったそうです。
過労で疲れていただけだったのですぐに退院できたのですが、退院後に母親がくも膜下出血で亡くなったそうです。すごいタイミングですね。
気持ちとしてはアメリカにいて母親の死に目に会えないよりもましだったそうですが、母親の葬儀を行ったりしているうちにアメリカへ帰る気持ちが薄れてきたそうです。
そして、36歳の時にアメリカの法律事務所を退職して東京の銀座にある知り合いの事務所を間借りして弁護士事務所を立ち上げたそうですね。
知り合いの弁護士はかなり優しくて家賃などもいらないと言ってくれたそうで、毎月3万円ほど払うだけで銀座のど真ん中にある事務所で独立できたそうですね。丸山弁護士は人脈や運も良いですよね。
『行列のできる法律相談所』と丸山弁護士の登場
そんな丸山弁護士を一躍有名にしたテレビ番組『行列のできる法律相談所』に出演できたのはかなり運が良かったそうですね。
行列のできる法律相談所がスタートする前の企画段階で、テレビ局は弁護士らしくない弁護士枠のキャラクターになりそうな人を探していたそうです。
そんな中で知り合いの弁護士伝いでテレビのスタッフと面会する機会が巡って来た時に、スタッフさんの思い描くキャラクター像に上手くハマったそうです。
丸山弁護士は、大きな事件を扱ったりして弁護士業界で有名だったわけではなかったそうなのですが、色々な種類の違うキャラクターを持つ弁護士を探していた番組に運良く起用されることになったそうです。
確かにあの番組は、『北村弁護士』『住田弁護士』『橋下弁護士』『丸山弁護士』と全然違うキャラクターで面白かったですよね。
2002年4月に番組がスタートしましたが、島田紳助さんの全盛期と言える時期だったことも重なりあっという間に毎回視聴率が20%を超えるような人気番組になりましたね。
番組は色々なゲストが出演して島田紳助さんとの掛け合いが人気でもありましたが、弁護士なくして成り立たない番組ではあるのでレギュラー弁護士陣も自分たちが主役だという意気込みで収録に望んでいたそうです。
収録で北村弁護士は必ず法律的な答えを真面目に言って、住田弁護士が女性目線のしっかりした回答をして、橋本弁護士が少しぶっ飛んだ答えを言う流れが出来ていたそうです。
必ず4番目に答える丸山弁護士は他の方と違う意見を言わなければ面白くないので、弁護士らしくない人間論や人情論を混ぜて答える回答が多かったですね。北村弁護士とよく口論になっていたのが印象的ですね。
丸山弁護士の多面的な活動と影響
行列のできる法律相談所が人気番組だったこともあり、丸山弁護士は59歳の時に24時間テレビの100kmマラソンに抜擢されましたね。
24時間テレビの放送は8月ですが、5月頃に話が来たそうです。5kmくらいはたまに走っていたそうですが、100kmは走ったことないのでかなり不安だったそうですね。
後日談で分かったらしいですが、番組側は先に北村弁護士にオファーしたのですが断られたので丸山弁護士に話が行ったそうです。
橋本弁護士は昔ラグビーもやっていてまだ若かったので走れそうですし、住田弁護士はちょっと体系的にも太っていて走れそうになかったので、番組的にも北村弁護士がダメなら丸山弁護士しか候補はいなかったそうです。
実際に走った時は本当にキツかったそうですが、個人の歴史としてはやって良かったと思っているそうですね。完走後はマラソンイベントやスポーツイベントによく呼ばれて、スポーツ関係者との人脈が増えたそうですね。
テレビに出るようになって講演やメディアなど弁護士以外の仕事で収入は年収数億円とかなり増えたそうです。ただし、弁護士の依頼は減って、特に堅い会社からの相談が減ったそうです。
一緒に出演していた弁護士も同じだったそうで、やはりテレビに出演している弁護士は普通の弁護士と違って色モノとして見られていたとのこと。
それでも弁護士以外の仕事も楽しいですし、普通の人ではできない経験もできるので嫌ではなかったそうです。しかも、弁護士以外の仕事が忙しすぎて依頼があっても弁護士の仕事をやる時間もあまりなかったそうですね。
政治家としての丸山弁護士と未来への展望
そんな人気絶頂の時に丸山弁護士は元内閣官房長官の塩川正十郎さんに誘われて参議院選挙に出馬します。周りの知り合いからは出馬なんてしない方が良いと止められたそうです。
数億円の年収を稼いでいた丸山弁護士ですが、当然今よりも収入がかなり減りますし政治家になるとしがらみなど色々とややこしいですからね。
それでも丸山弁護士は、お金で買えない体験や経験などダイナミックな世界に足を踏み入れてみるのも人生としては面白いんじゃないかと思ったそうです。
そして、2007年に参議院選挙に出馬表明をして、自民党全体で4番目となる270,754票を獲得して見事に当選しましたね。政治家になって収入は20分の1になったそうです。
61歳で実際に政治家を経験してみた丸山弁護士さんとしては、そんなに自分には向いてない世界だと感じたそうですね。ただし、人生の中に政治家で活動していた時期があったのは良かったと思っているとのこと。
でも、もう一回出馬のチャンスがあったとしてもその気はないとのことですね。
これから丸山弁護士は損得勘定を超えた自分の一生の中でどういうことができるかを大切にしていきたいそうです。丸山節をいつまでも放てるような元気を持った生き方をこれからもしていくそうです。
丸山弁護士
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