キャンドルジュンさんは、長野県松本市出身で
アーティストとして活動されています。
他にも、LOVE FOR NIPPONの代表で
日本キャンドル協会専務理事なども
されている方のようですね。
今回は、キャンドルジュンさんについて
詳しくまとめていきたいと思います。
現在のキャンドルジュンさんは
以前は、フジロックなどの
ステージのセットの美術などもしていたんだとか。
最近は主に、キャンドルを作って
販売やデコレーションなどをしているそうです。
工場みたいな、ラボと呼んでいる場所があり
作業はそこで行ったり、代々木上原に
お店があるのでそこで作業していることが多いようですね。
毎月11日になると、福島県で
月命日をイベントするということを
東日本大震災があった時からずっと
続けているんだとか。
厳密には、2011年6月11日から
イベントを行っているようなので
もう10年半くらい月命日の
イベントを行っているということですね。
他にも、キャンドルジュンさんは
震災直後から物資提供なども始めるなど
復旧のために、とても協力していることがわかります。
キャンドルジュンさんは、アーティスト活動も
されていたので、音楽活動などにも
関わることもあります。
全て自分の好きな世界のようです。
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1番最近のスケジュールを聞いてみると
茨城県の海でゴミを拾っていた。
と答えるキャンドルジュンさん。
本当に色々な活動をしてらっしゃるようです。
海でゴミを拾ってきたと聞くと
ゴミ拾いを思い浮かべますが、
キャンドルジュンさん曰く、
ゴミ拾いではなく、自身にとっては
宝物探しなんだとか。
海辺に流れ着いている、流木などで
作品を作るための材料集めだといいます。
キャンドル以外にも、流木で
作品を作っているんだとか。
どうやら、キャンドルジュンさんの
お父さんは、バイオリンを作る仕事をしていたそうです。
兄弟は3人兄弟で、キャンドルジュンさんは
末っ子だそうです。
なんと、お父さんもお母さんも
基本的には家にいて、バイオリンを作っていたんだとか。
ちなみに、バイオリンを作っている両親ですが
2人とも、バイオリンを演奏することはできないそうです。
お父さんの職場によくいた
キャンドルジュンさんは、幼い頃から
「これをしたい」と言い切っていたんだとか。
それをお父さんに言い切りましたが
「弾けないとダメだから」と言われ
バイオリン教室に通い始めたそうです。
しかも、習う場所というのが
東京都の田園調布という場所にある
結構偉い先生の元だったらしく、
出身が長野県のキャンドルジュンさんなので
月に2回、学校を早退して
東京まで行ってバイオリンを習う。
という英才教育のようなこともしていたといいます。
バイオリンを習いに行くというだけで
月に2回長野県から、東京都まで
移動するなんて、すごいことですよね!
それを、小学生から、高校生になる前まで
続けていたと言います。
さらに、バイオリンをしているだけでは
弱くなるんじゃないかと思った
キャンドルジュンさんは、中学生の時には
バスケットボールの部活に入部しています。
すごいストイックな方ですよね。
キャンドルジュンさんは、自身の父親を
変わった人。と言っていて
幼い頃は、親子喧嘩が絶えなかったといいます。
喧嘩の理由としては、キャンドルジュンさんの
お兄さんはちょっと年齢が離れていて
お兄さんたちは年子だそうで
キャンドルジュンさんが物心ついた時には
上の兄弟が、結構お父さんと
喧嘩している姿をよく見ていたんだとか。
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キャンドルジュンさんは、
それを客観的に見て、判断するというような
ことが培われて、
マイナスになるようなことさえも
ポジティブに考えられるような癖が
その頃から始まったんだとか。
自分の子供たちは自分の…という
意識が強かったお父さんだったので
上の兄弟たちが反抗したくなる気持ちも
わかったんだとか。
しかし、兄弟が反抗してきているのを
見てきたキャンドルジュンさんは
あからさまな反抗はせずに交渉という
形を取っていたといいます。
その結果、キャンドルジュンさんが
高校生になる当時、いろんな場面で
世間は、世紀末だということを
語っていたらしく、これからの時代は
衣食住にもっと根付いた職業がいいと
思い、自身で食べ物を作ったりできるように
なるため、そういう学校に行った方が
いいのではないか。と思ったそうですが
その高校はガッツリ不良の集まる高校で
もう1つは、バスケの推薦で呼ばれている
高校があったため、両親に相談し
両親は、「高校には行ってほしい。」と
答えを出し、バイオリンを辞め、進学したそうです。
そんなキャンドルジュンさんは
2010年にご結婚されて
かなり急変したようです。
家族を守るためには、どうすればいいか。
と考えた結果、メディアに出ること
つまり、アーティスト活動なども辞めたといいます。
それは、キャンドルジュンさんの奥様が
女優の広末涼子さんだということもあり
表に出る人の旦那であるには
見た目なども変だ。と思ったようで
それを色々と考えた結果、出ないということを
決意されたそうです。
ちなみに、キャンドルジュンさんの
右耳には、角のような大きい
ピアスがあるのが印象的かと思います。
これは、キャンドルジュンさん本人は
ピアスだとは思っておらず
「授かってきたもの」と言っています。
この角のきっかけとしては
ネパールの方のシャーマンのグッズみたいなもので
元々、水晶をクビに縛っていたことがあって
それが走る時にゴツゴツ当たるな。と思っていた時に
じゃあ、水晶を耳に刺しておけば。と
お守りを固定する概念で、ピアスになったといいます。
それが、巡り巡ってやってきて
現在は角のようなピアスに
定着している。とのことでした。
1つ1つに意味があるのに
マスコミなどに、嘘の情報や
見た目だけで決めつけられたような
内容も書かれるので、
テレビ出演や雑誌などの仕事を
少し制御するわけではなく、完全に
辞めてしまおう、という気持ちになったんだとか。
ちゃんとしたい。という気持ちが
このような結果になったとおっしゃっています。
そして、ダウンタウン松本人志さんと
ビートたけしさんが出演している番組にて
日本中の、新しいことをする人などに
賞を与える、という内容の企画の番組で
そこに出てほしい。と、オファーを受けたものの
当時、メディアに騒がれていた
キャンドルジュンさんは「一切お断りします」
と番組のオファーを全て断ったんだとか。
ですが、松本人志さんの番組を担当している
プロデューサーは、食い下がって
「会場の美術を頼みたい」と言ってきたそうです。
「最後にキャンドルを灯しているシーンを撮りたい」
という裏方のお仕事を頼んできて
キャンドルジュンさんは、それにOKしました。
しかし、その準備をしている時に
ダウンタウン松本さんとビートたけしさんが
挨拶をしたいと言ってきた際に
もうすでにカメラを持たれての挨拶だったそう。
その時に、「そういうことか。」と
キャンドルジュンさんは状況を把握したといいます。
ダウンタウン松本さんとビートたけしさんは
キャンドルジュンさんの思いを知らずに
プロデューサーの方に、奥様のことなどを
聞くように促されていたんじゃないか。と
思い、キャンドルジュンさんが
思っていたこととは全く違うことをされたようですね。
それでも、ダウンタウン松本さんや
ビートたけしさんは悪くないので
自分が後から改めて楽屋に行って
説明するのも違うかなと思った結果
この仕事を受けた自分が悪いと学び
こういう仕事のトラップもあるんだなと
勉強になったといいます。
それ以降、仕事は選ぶようになったようですね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
幼い頃から、かなりストイックに
生きてきた印象が強く残りました。
現在は、キャンドルなどを作成するという
活動を主に行っているキャンドルジュンさん。
これからの作品もとても楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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