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鼠先輩は歌手デビューから引退で現在は!?

歌手

鼠先輩といえば、
強面な感じで、今時珍しい
パンチパーマに、黒いサングラスをして
スーツ姿で歌を歌っているのが
とても印象的です。

しかし、流行っていたのは
考えてみると10年以上前だった
ような気がします…

もうかなり長い間、
鼠先輩を見かけることが
無くなった気がします。

現在は何をしているんでしょうか。
今回は、鼠先輩について
詳しくまとめていきたいと思います。

2008年、歌謡曲「六本木~GIROPPON~」にて
35歳で遅咲きのメジャーデビューしました。
オリコンの演歌部門で1位を獲得したそうです。
その後、すぐに引退を発表……したかと思いましたが
しれっと活動再開したといいます。
当時は大きな話題を呼びましたが、
長くは続かなかったんだとか。
いわば、芸能界から一瞬で姿を消した“一発屋”と
言われています。

現在鼠先輩さんは、東村山市久米川で
飲食店をプロデュースしながら
イベント出演などのいわゆる“営業”というので
生計を立てている鼠先輩さん。
外見としては、当時とほとんど変わっていない様子でした。その一方で、内面としてはどうなのでしょうか。

「テレビに出ていた頃は、
分刻みのスケジュールで本当に忙しかった。
ただ、とにかくしんどくて。適当に『ぽっぽ』
言っておけばいいんだろうと、“やっつけ仕事”
だった時期もあるかもしれない。
ブームが去って、もう一度売れたいとも
思わなかったけど、あれからずっと冷や飯を食ってきた。
干支が一周して、今はめちゃくちゃ
再ブレイクしたいという気持ちが湧いてきました。
やっぱり、お世話になってきた人たちに
恩返しがしたいんです」

と、おっしゃっていました。

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当時の最高月収は約1200万円。
そこから収入は「ウナギ下がり」と
鼠先輩さんは言います。。
ここ2年間はコロナ禍の影響もあり、
スケジュール帳を開くことさえなくなるほど
仕事は激減したようですね。

ちなみに、GIROPPONでブレイクした時に
紅白歌合戦に出演の打診があった鼠先輩さん。

しかし、過去にAVに出演したと噂されて、
紅白出場が白紙になってしまいました。

現在になって分かったのですが、
成人向けビデオに出演したのではなく、
下積み時代にAVの監督の仕事をしたことがあったそうです。

この事実は鼠先輩さん本人が認めていますが、
出演した訳ではないので紅白歌合戦
出演がなくなったのは残念ですね。

じつは鼠先輩さん、最初から“1発”狙いだったとか。

「もともと、“一発屋”が念頭にあったので、
事務所にもデビューから1年で引退すると
話をしていたんです。バッターボックスに
1回だけ立って大振りする。
三振でもよかったんですが、
たまたま当たってホームランを打った」
とのこと。

その翌年、人気絶頂のさなかで芸能界引退を発表。
社会人に戻るべく、ハローワークにも通い詰めましたが
なかなか職にはありつけなかったといいます。

「1回このスタイルでやってしまうと、
普通のアルバイトもできなくなってしまって。
顔もバレているから先輩も使いづらいでしょう。
そんなときに、CMのオファーがきて。
なかなかない機会だと思って、やることにしたんです。
そこから活動を再開して、
今まで続けることになったんですが……」
とのことでした。

瞬く間にテレビでは見かけなくなってしまいましたね。
仕事は減っていく一方で、
かなり困ったみたいです。

テレビで見かける機会はほとんどなくなってしまいましたが、
鼠先輩さんは現在はどのように過ごしているのでしょうか。
とくに、ここ2年間はコロナ禍で芸能界や
飲食業界は厳しい状況でしたよね。

「去年は月1本の仕事があればいいほうでした。
貯金を切り崩して生活していましたね。
ここまでコロナ禍が長引くと、さすがにしんどい。
友人が会社をやっているので、
そこで公園管理のアルバイトをさせてもらっていました。
家賃の支払いもあるし、
子どもがいるのでそれなりに出ていくお金がある。」

と、おっしゃっています。

「1日のサイクルとしては、アルバイトがない日は
昼に料理をつくりながらビールを1杯ぐらい飲んで、
夕方から本格的にお酒を飲み始める。
19時ぐらいにはベロベロですね。
だいたい20時には寝てしまう。
深夜3時とか4時には目が覚める。そんな毎日ですね」

と、1日のサイクルを語っていますが
お昼にはお酒を飲んで
19時には泥酔状態とは…
結構だらしない生活を送っている
印象になりますね、、

ちなみに、引退した理由としては
ショクナイ(内職を意味する隠語)を
たくさんしていました。」

※ショクナイとは、所属している事務所を
介さずに仕事を行うこと。
ギャラを事務所と折半する必要もなく、
依頼する側も安価で依頼できるメリットがあることです。

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「事務所に黙ってちょっとだけやるタレントとか、
ちゃんと報告するタレントもいたけど、
俺は普通にバンバンやってた。」

「ショクナイを続けていると、不審がられてきた。
所属事務所とは途中から業務提携って形になってきた」

とのことでした。

事務所に黙って人脈を使って案件を自分で
持ってきて、安くで仕事をしていた鼠先輩さん。

当然、事務所としてはデビューさせたり
タレントの不祥事などのリスクを
持ったりしているわけで、不本意ですよね。

しかし、芸映は鼠先輩のショクナイを
大目に見ていたんだとか。

鼠先輩さんが所属していた事務所、芸映は
多くの有名タレントを抱えている
超大手の芸能事務所ですが、
タレント個人への思いやりを感じますね。

そんな感じで、フリーランスのタレントとして
活動するようになったのが、
本当の鼠先輩さんの引退の理由のようです。

ですが、鼠先輩さん公式ホームページから
直接本人に仕事の依頼をすることも
可能となっているようです。

企業の忘年会などのパーティ、結婚式、
地方祭りのイベントなど、気軽に有名人を
呼ぶことができるので、鼠先輩さんが好きな方は
企画してみてはいかがでしょうか。

続いては、鼠先輩さんの
生い立ちをまとめていきましょう。

鼠先輩さんは1973年、大阪府堺市出身です。
2021年現在、48歳ということですね!

3歳で堺から岡山に引っ越したため、
実際は岡山県赤磐市出身とされています。

最終学歴は高校を中退してしまっています。
中退後は大阪で数年過ごし、
プロ歌手を目指しボーカルスクールに通ったそうです。

ブルーハーツなどのコピーバンドを
結成するなどしましたが、程なくして解散してしまいます。

1993年、20歳になるころにバンド活動を本格化し、
東京への上京を決意したそうです。

インディーズ事務所にも所属するほどの
実力はありましたが、
メジャーデビューすることなく解散してしまいました。

ちなみに、鼠先輩さん。
上京したきっかけとなった
20歳の時に付き合っていた彼女がいたそうです。
その彼女とはすぐに別れることとなりましたが、
10年後の8月1日昼12時、東京タワーの下で会おう」と
約束をしたんだとか。
30歳になった鼠先輩は約束通りにその日、
一日中待ち続けました。
夕方にようやく彼女は現れ、再会を果たし、
また交際を申し込むもフラれてしまいます。

しかし、デビューしたのち、その方と交際をスタート。

現在の奥さんだというのです!

これまた、素敵すぎるエピソードですね。
これこそ、運命という感じがします。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

現在はフリーランスとして
所属事務所に所属せず、個人的に
活動している鼠先輩さんですが
これからの活動も楽しみですね。

鼠先輩さんの活躍を応援していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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