今回は、シングル「六本木〜GIROPPON〜」が大ヒット、パンチパーマにサングラスという風貌が世間に強い印象を残した、
鼠先輩さんについてピックアップしていきたいと思います。
鼠先輩の主なプロフィール
本名:杉村佳広
1973年4月5日生まれ、3歳頃まで大阪府堺市で過ごし、その後岡山県赤磐市(旧赤磐郡山陽町)に移住します。
高校中退後、大阪で3〜4年程過ごしてから、プロの歌手を志しボーカルスクールに通い始めます。同時期には、人気バンド『THE BLUE HEARTS』のコピーバンドを結成し、NHKが主催した『BSヤングバトル』全国大会に出場するも、間もなくしてそのバンドは解散します。
今度は歌謡歌手を目指し、20歳の時にインディーズ事務所に所属、当時付き合っていた彼女を追いかけて上京、
数々のアルバイトを経験する長い下積み生活が続きます。
2008年6月に発表したシングル曲「六本木〜GIROPPON〜」が、着うた歌謡・演歌チャートで1位になる快挙を成し遂げます。
その意表を突く風貌とコミカルな歌詞と振付が話題となり、多くのバラエティー&歌番組に出演されます。
因みに、『鼠先輩』という芸名の由来は、以前中華料理店で働いていた時、自分の行う事が全て空回りになってしまう事から
“ハツカネズミ”を連想させ、上司から“ネズミ”、後輩からは“ネズミ先輩”と呼ばれた事からだそうです。
鼠先輩のブレイク曲は、実は愛する彼女を思って作られた曲だった!?
高校中退して間もない頃の鼠先輩さんには、地元岡山に3歳年上の彼女がいらっしゃいました。
そんな彼女も音楽を勉強する為に上京する事となりました。その彼女と別れる際に、鼠先輩さんは“30歳になる
10年後の8月1日に、昼12時に東京タワーの下で会おう”と交わしたとの事です。
以降連絡は途絶えるも、約束の日である2003年8月1日、東京タワーの下で朝から待ち続けていたら、夕暮れ時に彼女がやってきたそうです。
鼠先輩さんは彼女に告白しますが、その時は断られてしまいます。このエピソードをもとに作られた曲が
ブレイクのきっかけとなった「六本木〜GIROPPON〜」との事で、ブレイクを機に再び彼女に告白し、後日結婚をされたそうです。
現在は娘さんがいらっしゃるとの事です。
鼠先輩が突然の“引退”…、と思いきやの復帰!?
数々のメディアでご活躍されていたた鼠先輩さんでしたが、ブレイクの翌2009年6月に突然の“芸能界引退”を表明されます。
その理由は“思ったより、儲からないから”との事で、同年12月31日に開催された『東京ジョイポリスカウントダウンライブ』で引退されます。
また引退理由について、“ショクナイ(内職の隠語)”を行っていたとも告白されています。
所属事務所を通さずに仕事を行う事を“ショクナイ”と言い、そうする事により自身のギャラを事務所側と折半する必要もなくなり、
依頼主も安価で依頼できるというわけです。鼠先輩さんによると、彼はその“ショクナイ”を多くやり、事務所側からも不審がられましたが、
当時所属していた『芸映』側は鼠先輩さんの行動を多めに見ていたとの事です。
他にも、「六本木〜GIROPPON〜」がヒットした頃、「NHK紅白歌合戦」への出演オファーもあったそうですが、
そんな彼に“過去に成人向け作品出演”の噂が流れ、紅白への出演は白紙となってしまいます。実は、鼠先輩さんは
成人向け作品に出演したわけではなく、下積み時代に作品の監督業をされたとの事です。
ところが、引退から約2年後の2010年5月に、大手製薬会社『KINCHO』からのCMオファーにより、芸能界復帰をされます。
復帰後に出演したトーク番組「ナカイの窓」(日本テレビ)では、“引退会見”について“半分冗談だった”と話されたそうです。
現在は、フリーランス(事務所に所属しない)として芸能活動を継続していると思われ、鼠先輩さんの公式サイトからは
直接本人へ仕事依頼をする事も可能となっていて、パーティー・結婚式・地方のイベント等に呼ぶ事ができる様になっています。
また芸能活動を継続しつつ、2013年にスナック『新宿ネズミーランド』(新宿区・歌舞伎町、2016年頃閉店)、
2017年『BAR東村山飲鼠(のみーまうす)』を開店(直接経営ではなく、『鼠先輩』を“マスコットキャラクター”として
名前を貸している状態)されています。
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