関根勤さんといえば、バラエティ番組にて
人気があったタレントですね。
さらに、娘の関根麻里さんのことを溺愛しているというので
娘さんともエピソードなどを
語っている印象も強くあります。
今回は、そんな関根勤さんについて
詳しくまとめていきたいと思います。
関根勤さんは、バラエティ番組にて
人気があり、モノマネやトークが
面白いとかなり好評でした。
実は、その面白さは、中学校の頃かららしく
中学時代には、友達とバカなことをして
モノマネなどもしてみんなを
笑かしていたんだとか。
モノマネというのが、関根勤さんが
中学生だった頃、現在のように
バラエティ番組があった時代ではなかったので
関根勤さんのお母さんが好きだった
西郷輝彦さんの「星のフラメンコ」というのが
流行っていて、毎日お母さんが
聞いていて、それを覚えて、
中学生の時に配られた楽器のカスタネットを
使って「星のフラメンコ」をモノマネで披露し
笑かしていたんだとか。
当時は、お笑い芸人を見て、尊敬していたそうです。
そのモノマネがすごくウケたらしく
その感覚が気持ちよくて
本格的にモノマネをし始めたんだとか。
【前編】関根勤/同期 明石家さんまとの絆/欽ちゃん激ギレ「お前と仕事したくない」
でも、本人を見て真似するのは
難しいので、モノマネ芸人でも有名な
コロッケさんなどがしている
プロのモノマネの人のを見て
テレビを見ながら、テレビと一緒に
練習していたんだとか。
それを、学校に行った際に
友達に披露し、笑いを誘っていたといいます。
それからは、モノマネのコツを掴み
プロのモノマネ芸人を見なくても
テレビに出ている俳優さんなどの
モノマネを取得していったといいます。
そして、学校で仲のよかった
友達と、コンビを組んで
文化祭などで披露していたといいます。
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その当時、今のように文化祭で
お笑いを披露する人はいなかったようなので
かなりウケたそうです。
当時は、今のようにオーディションなどで
お笑い芸人になるのではなく
師匠を見つけて、弟子入りしてから
やっとお笑い芸人になれる、という
システムだったようです。
1年か2年は、その師匠の鞄持ちや
家の掃除などをして、師匠は、その
人間性を見るということですね。
そうやって、芸能界に入るシステムだったので
本当に芸人になるのは大変な時代だったそうです。
しかし、関根勤さんは、五人グループで
活動しており、自身で会館などを借りて
公園をしていたんだとか。
最大で、400人の観客を集めたそうだから凄いことです。
ですが、就職などもあり
1974年8月に解散したんだとか。
その後は、青春は終わったと思い
消防士になり、父親の後を継ごうと
決心した関根勤さんですが、
TB Sにて生放送されていた
テレビ番組にて自分たちと一緒で
自身でお笑いをしている方達が出ていて
「こういう人たちもいたんだ」と初めて思ったそう。
そして、今までは自分たちで呼んでいた
観客たちだけの前ではなく、
テレビなど公の場で自分の実力を知りたいと思い
応募するためにハガキを送ったんだとか。
そのオーディションで45分ネタをし
45分もの間、一人でネタをし続けた
関根勤さんを見て、その番組の
プロデューサーは、感心したといいます。
そして、その番組に出て、見事
初代優勝に輝いたんだとか!
その番組での大会の審査員として
同席していた浅井企画という大手所属事務所の
社長である浅井社長に声をかけられ
しかし、プロでやっていける実力ではない。
と、1度は断ったといいます。
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それでも、浅井社長は、
「君の才能を認める」と言い張り
お笑い芸人としての道を歩み始めたようですね。
そして、なんと関根勤さんと
同世代で出てきたのが
あの明石家さんまさんだそうです。
明石家さんまさんは、東京に
出てきたのは、遅かったものの
大阪では、昔からかなり有名だったようで
関根勤さんが初めて明石家さんまさんの
ネタを見た時には度肝抜かれたといいます。
【後編】関根勤/娘・麻里に一瞬で抜かれた、、ZIP司会抜擢に嫉妬/ジャイアント馬場モノマネ本人マジギレで一触即発
実は、初めて明石家さんまさんのネタを見た時
そのハイセンスなお笑いに
その時の観客はついて来れず
その場で笑っていたのは関根勤さんただ一人だったようで
明石家さんまさんは、その事を覚えているんだとか。
その後、東京に帰った関根勤さんは
周囲に「大阪に凄い人がいる」と
言い、明石家さんまさんが東京に出てくる
ことになったという、凄い話でした。
明石家さんまさんは、関根勤さんが
関東で自分の事を宣伝してくれたと感動し
2人の絆は、今でもかなり硬いと言います。
続いては、関根勤さんの私生活について
まとめていきたいと思います。
関根勤さんは、ご結婚されており
妻は、一般人のようですね。
出会いとしては、大学生の頃、
友達が通う大学に、演劇の手伝いに
妹を連れてきた今の妻と知り合われたそうです。
しかし、なかなか電話番号が聞けなかった
関根勤さんは、妹さんをネタで笑かし
仲良くなったのちに、お姉さんの
番号を教えて、と頼んだんだとか。
そこからお付き合いが始まり
1984年に、タレントでもある
関根麻里さんが誕生しました。
関根勤さんは、奥さんについて
「結婚して、麻里が生まれて
彼女を育てるにあたって
大切なチームメイトのような感じでした。
僕のDNAと一緒に生んでくれて
ありがとうっていう気持ちがあって。
だから僕はずっと、恋人みたいな気分なんですよ」
と、語っており、今でも
ラブラブなことが伝わってきますね。
妊娠・出産が終えたら、完全に
家族になってしまう家庭も多いなか
今でも恋人みたいな気分で
いれるというのは素晴らしいですよね。
かなりの愛妻家だと思います。
ちなみに、関根勤さんは、かなり
娘である関根麻里さんのことも
溺愛しているイメージが大きいですよね。
そんな関根麻里さんもご結婚し、
現在関根勤さんにはお孫さんが二人いらっしゃいます。
お孫さんへも、変わらず溺愛のようで
その溺愛っぷりは凄いと、
関根麻里さんもかなり言っています。
しかし、関根勤さんは、溺愛はし
関根麻里さんが4歳くらいの時には
いつも遊んでいたそうです。
でも、幼い頃から礼儀や挨拶は
「親しき仲にも礼儀あり」と厳しく言われていたそうで
反抗期の時に家族にあいさつをしないと
注意もしていたようです。
関根勤さんなりに、育児本を読んで
感情的にはならないようにと
注意していたんだとか。
関根麻里さんが芸能界に入ろうと思ったのは
関根勤さんが、楽しそうに
仕事をしている姿を見ていたからだそうです。
関根麻里さんが芸能界に入りたいと
言った時も、反対などはせず
「自分で決めた道なら頑張りなさい」
と、背中を押したそうですね。
関根麻里さんは
「父に育ててもらったおかげで
今も毎日楽しいです。
辛いことや落ち込むことがあっても
楽しかった日々が私を支えてくれている」
と、語っているので、
やはり関根勤さんは最高な父親であることがわかります。
お孫さんに対してもメロメロなので
週に9回くらいで遊びにいき
関根麻里さんが幼かった頃のように
お孫さんと遊んでいるんだとか。
愛情をしっかり持って、楽しく
育てていたということが
とてもわかりますよね。
関根麻里さんも「感謝の気持ちでいっぱいです」
と、今でも親子仲がとても
いいことが、テレビなどを見ていてもよくわかります。
芸能界という忙しい仕事をしながら
子供ともしっかり向き合っていた
関根勤さんは素晴らしいですね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
関根勤さんが、いかに人を笑かす
才能があり、なおかつ、家族に対しても
愛がとても強い人だということが
よくわかりましたね。
これからの関根勤さんの
活躍も応援していきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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