明石市の革新:泉房穂の市政改革
2023年4月に12年間務めてきた明石市長を辞めた泉房穂さんは現在60歳だそうですね。現在の肩書きは「弁護士・社会福祉士・前明石市長・元衆議院議員」だそうです。
今はテレビやラジオ、雑誌やユーチューブなどのメディアからオファーがあれば取材に応じたり、今年に入って5冊の関連本も出版予定だそうです。講演会もよく声が掛かって行っているそうですね。
明石市長を退任すると決めた後に明石市のその後をしっかりと大丈夫な状態にするために地域政党を立ち上げて、市長選と市議選に立候補した全員が当選したので目的達成ですぐ解散したそうです。
泉房穂さんが明石市長をしていた12年間で人口は1万5千人増えて、10年連続で人口増を達成しているそうですね。同じような中核市としては全国1位だそうです。
市長になった最初の5年程は理解されずに総スカン状態だったそうですが、徐々に結果が伴ってくると明石市民が泉房穂さんのやり方を応援してくれるようになったそうですね。
ここ3年くらいで全国にも明石市の政策のやり方が広まっていて真似をされているみたいですね。成功モデルとして確立されてきていますよね。
明石市は政策で子どもの医療費は18歳まで完全無料化しています。所得制限も医療負担もなく完全無償化ですね。兵庫県内でも10ヶ所以上の自治体で明石市のやり方をやり始めたそうです。
全国的にも明石市と同じように児童手当の高校生支給を東京都や福岡県が実施しているそうですね。この動きは今後もどんどんと広がっていきそうですね。
明石市は医療費、保育料、給食費、おむつ代、遊び場など5つの無料化を達成しています。この取り組みで明石市は結果が出ているのでもう政策に迷う必要がないそうですね。
泉房穂さんが明石市長になるまでは、「関西住みたい街ランキング」では常にランク外に位置していた明石市ですが、泉房穂さんが明石市長になってからは上位にランクインするようになっています。
泉房穂さんとしては、政治家がしっかり仕事をすれば町や社会も変えられるというのを示せたのは良かったと思っているそうですね。確かに一気に変わりましたよね。
泉房穂 元明石市長/貧しい家庭に生まれるも、自力で東大合格/障がい者への強制不妊手術…差別貧困救う為政界へ
多才で志高き革命家:泉房穂の軌跡
明石の漁師の子供として生まれた泉房穂さんは、父親も祖父も代々タコ漁師だそうです。本来であれば漁師を継ぐような形になるのが普通でしたが、泉房穂さんは漁師になりたくなかったそうですね。
家が貧乏なのは子供ながらに理解していて、親が朝早くから一生懸命に働いても稼げていないのは嫌だったそうです。食卓のおかずはいつも少なかったそうですね。
また、4つ下の弟がチアノーゼの障害を持って生まれてきたそうです。それもあって弟のような障害を持って生まれた子供も含めて、弱い人や困っている人が住みやすい明石市にしたいと10歳の頃から思っていたそうですね。
世の中を変えるためには頭も良くならないといけないと思ったので勉強もかなり頑張ったそうです。こどもの頃から街を変えたいと思っている人なんてなかなかいないですよね。
泉房穂さんが家が貧乏で家庭教師や塾などに頼れなかったそうですが、本屋で参考書を立ち読みしたり、学校の授業をとにかく聞いてなんと現役で東大に合格したそうです。根性で東大に現役合格したとは凄いですね。
「なぜこの社会はこんなに矛盾に満ちているのか」「なぜ人は頑張っても報われないのか」「どうして差別や貧困が続くのか」ということに関して疑問を持っていた泉房穂さんは東大で哲学を学んだそうです。
泉房穂さんからすると日本の法律は間違っていて、強い者の味方で弱い者の味方になる法律になっていないそうです。どうしても強いものが得をするような形が許せないそうですね。
法律が間違っていたら弱者を救えないので間違った法律を正す役割を自分が果たしたいと思ったそうです。大学生の18歳の時から色々なデモに参加して社会活動家のようなこともしていたそうです。
19歳の時にはデモ行進の先頭で笛を吹いていたほど率先してやっていたそうですね。しかし、デモは早めに卒業したとのことで、デモをして大声を出して歩いても社会を変えられないことに途中で嫌気がさしたそうですね。
東大を卒業した泉房穂さんはNHKのディレクターになったそうです。NHKを選んだ理由としては、福祉問題や子供の問題も扱いやすいと思ったからだそうですね。
しかし、なかなか思うようにはいかなかったそうで、その後テレビ朝日の『朝まで生テレビ』の番組スタッフに入ってフロアディレクターとして「原発の是非を問う」とか「天王星を問う」というような番組にも関わったそうです。
NHKとテレビ朝日はそれぞれ1年間だけ働いたそうですね。そして、26歳の時に4回目の司法試験に受かって弁護士になったそうです。当時の司法試験の合格率は2%前後ですからね。
泉房穂さんは弁護士になって地元に戻り、明石市で弁護士事務所を開いてから6年目で国会議員の選挙に出たそうです。2003年の40歳で国会議員の選挙に通ったことでまたそこから東京生活が始まったそうですね。
明石市の奇跡: 泉房穂と市の再生
2年間は国会で議員立法などの仕事をして、42歳で国会議員を辞めてもう一度弁護士に戻り、社会福祉士の試験を受け直したそうです。
法律の専門家である弁護士と福祉の専門家である社会福祉の両方を兼ね備える形で、明石市を中心に法律や福祉で困ってる方のお手伝いを5年間続けたそうですね。
そしてついに2011年4月の47歳の時に夢だった明石市長に当選します。人口30万の明石市で得票数はわずか69票差という0.01%の誤差における当選だったそうです。
一騎打ちで69票差ですから本当に僅差で、全国の統一地方選挙の最後の当選確定が泉房穂さんだったそうですね。癒着も忖度もない無所属の市長が誕生したんですね。
泉房穂さんが就任した時は明石市も人口減少が始まっていて、財政も赤字で駅前衰退という典型的な地方都市の残念な状況からのスタートだったそうです。
駅前のビルも幽霊ビル化して人通りも少なく空き店舗ばかりの状況だったそうですね。両隣の神戸市と加古川市の人口はまだ増えていたにもかかわらず先に明石市だけ人口減少が始まっていたそうです。
そんな状況から泉房穂さんが明石市長になってお金の使い道を市民や子供に思いっきり舵を切った結果、3年後に人口はV字回復を始めて人口増加率は日本の同じような規模の中核市で第1位になったそうです。
明石市で無駄なお金が流れているプロジェクト自体を無くしたものもいくつかあったそうですね。
典型的なのは公営住宅で、県営住宅もUR(都市再生機構)も全部これ以上作る必要はないので白紙撤回して計画をストップしたそうです。
明石市は人口30万で1年間に2000億円程のお金が動きますが、子供に使っているお金は年間125億円だったそうです。その部分を泉房穂さんが明石市長を辞める最後の年あたりは297億円まで増やしたそうですね。
挑戦と献身: 泉房穂の市政改革とその影響
就任当時に比べて未来を担う子供たちへの予算を2.4倍に増やした結果人口は増え続けたんですね。市長は国会議員のようにその他大勢ではなくてすぐに全ての権限を持てるのが良い所だそうです。
方針決定権、人事権、予算編成権の3つを持てるので、この3つを駆使すれば街を一気に作り変えることは必ず可能だと分かっていたそうです。
何かを変える時にややこしいのがよくある公務員のあり方で「国の言った事に従う」「横並びで隣町と違う事をしない」「前例主義でこれまでやってきた事を続ける」という3つの強固な思い込みだそうです。
明石市は100を超える全国初の施策をやっているそうですが、全国唯一としてやっているのは養育費の立て替えだそうです。
離婚した後に養育費をもらえない子供に対して明石市が逆に親に代わって立て替えて払って、 払うべき親から回収しているそうです。養育費を払わないダメ夫から市が取り立てをしてくれるんですね。
これはフランスやスウェーデン、韓国なんかはやっていて珍しくはないそうです。世界では普通にやっているのに日本では実施していないものも多いみたいですね。
泉房穂さんからすると、日本という国はもうすでに5割近く国民は税金や保険料で負担しているので他の国と同じぐらい負担の国だそうです。
お金の使い道を間違っているだけで、これ以上国民がお金を負担する必要はなくてもお金を生み出せるはずだそうですね。実際に泉房穂さんが明石市長になってから年間20億円ぐらいは人件費が安くなったそうです。
その年間20億円のお金で市民のサービスも補えているそうですね。職員のしなくてもいい仕事を辞めさせたので残業も減っているそうです。公務員の仕事はしなくてもいい仕事が多いそうですね。
泉房穂さんは明石市長になって1年目に、市民にお金を回すために必要ないのに使われている予算を止めると自宅のポストに「市長を殺すぞ」と書いた脅迫文が来ていたそうですね。
脅迫件数はそこから12年間増え続けたそうです。最後の年は140通を超える殺害予告メールが来たそうで、8月末までに明石市長を辞めなかったら9月に殺すというような内容のメールなどが常に来ていたそうですね。
結果を出せば出すほど殺害予告は増えたのですが、それでも泉房穂さんとしては明石市長になる時からそういったことが起きるのも覚悟の上でなったそうで、そんなことには負けないと誓って街を良くする為に動いたそうです。
泉房穂さんから見たら子どもの虐待の中の1つにネグレクトという放ったらかしがあって、今子供たちに虐待しているのは日本の政治家だと思うそうです。
国が動かないのであればせめて明石だけでも子供に寄り添いたいと12年間やってきたそうですね。10歳の時に街を変えたいと思った誓いを50年かけてやってきたので精一杯生きてきた自負は自分でもあるそうです。
政治家なんて誰がやっても変わらないではなく、政治は誰がやるかで変わるし方向転換可能なので諦めてはいけないと国民にも理解して欲しいと思うそうですね。
自分自身もまだまだ諦めるのは早いし諦めるということは救える人を救えなくなるいということなので、一生人を救い続ける人生にしたいと思っているそうです。
泉房穂
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