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松本人志ものまね芸人JPの現在は!?

芸人

今注目を浴びているものまね芸人JPさん。芸能人のものまねを主としていますが、そのレパートリー数はなんと100以上!声ものまねや表情ものまねなど、1人1人の個性をよく捉えています。中山秀俊さんや、GACKTさん、嵐の松本潤さんなど、役者からアーティスト、お笑い芸人まで、多岐に渡るジャンルでものまねを展開しています。

イケメンという事でも話題になっていますよね。JPさんは今年39歳。芸歴は19年になります。JPさんが所属している「研音」という事務所は、ほとんどが俳優さん。40年の研音の歴史の中で、お笑い芸人を所属させたのは初めての事だそうです。

水曜日のダウンタウンで号泣!JP/松本人志コロナ欠席のワイドナショー代役で極貧生活から人生逆転/幼少期、家畜豚と2人きりで…


JPさんは「戦隊」や「仮面ライダー」に出演することが夢だったようで、働いていたお店に来た研音関係所のツテで事務所に入ることが出来たそうです。事務所に所属したのは35歳。JPさんは滋賀県の東近江市出身。男3人兄弟の長男。学生時代はクラスに馴染めず、友達も居なかったいわゆる「陰キャ」だったといいます。

3歳の頃から動物のものまねをしていたそうで、小学校の時に1番最初にやったものまね芦屋雁之助さんやフランキー堺さん、渥美清さんなどの渋めのキャラ。当時おばあちゃん子だったJPさんは、おばあちゃんがよく見ていたテレビに出てくる、藤田まことさんなどの芸能人をものまねしていたそうです。自然とチョイスが渋くなったってことですね。

あまりに友達がいなかったJPさんは、習得したものまねを豚舎、鶏舎、牛舎に出向いて動物達に披露していたようです。庭にある灯籠の上に立ち、夕方5時ごろにカラスのものまね
をやりに行ったそう。もちろんオーディエンスはいません。近所の人からは、頭おかしいと思われていたんだろうなと当時を振り返るJPさん。父はサラリーマン。

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母は保母さんをやった後、専業主婦になります。仕事が忙しく、父はほとんど家に帰って来なかった為、構ってもらえた記憶がほとんど無いそうです。お婆ちゃんはJPさんのものまねを1度も貶したことが無いようで、どんなものまねも受け入れてくれたようです。

その延長で小学校6年生の頃から、松本人志さんのものまねを始めたというJPさん。中学校時代は、学校が終わった後や休日は家に引きこもり、「SEX MACHINEGUNS」のアルバムを流し、全曲1人コンサートをしていたみたいです。母親はそんなJPさんに触れることなく、黙って隣で洗濯を畳むという日々だったそうです。

JPさんは勉強も運動も全く出来ず、友達いない暗黒時代が高校生まで続きます。中学校から高校まで無遅刻無欠席のJPさん。それにも関わらず、主要5科目のテストが合計で98点しか無かったと言います。高校に勉学で入ることは出来無いため、学校を一生懸命掃除してくれた生活委員の「掃除推薦」で農業高校の入学を勝ち取ったそうです。

JPさんの学生時代は、「クローズ」のようなヤンキーの世界だったようで、元々おとなしかったJPさんにとっては地獄のような生活だったと言います。当時JPさんが気に入っていたCDを学校で聞いていると、ビジュアル系バンドが好きだったヤンキーにそのCDを割られ、「俺が貸す山嵐のCDを覚えなかったらどつく」と言われて家に帰って必死にその曲を覚えていたそうです。

理不尽すぎる生活ですね。現在開設しているYouTube動画に山嵐さんのものまねをアップロードしたところ、本人からコメントが届いたようで、人生に無駄は無いんだと感じたそう(笑)
学生時代にポケモンにどハマりしたJPさんは、31歳の時に「おはスタポケモン部」という番組で半年間レギュラーとして出させてもらい、ポケモンものまねお兄さんとして全国のドームツアーの総合司会を担当していたそうです。

当時一緒におはスタ部として全国を回っていたお笑い芸人3人が全員売れたそう。1人はレインボーの池田さん。もう1人はR-1グランプリ優勝。そしてものまね芸人JPさん。事務所も芸歴も芸風も違う3人だったようです。高校生時代は、お笑いに熱い思いがあったようで、クラスの人気者がやる体育の先生や国語の先生のものまねを引いた目で見ていたと言います。

目立ってしまうとヤンキーにボコボコにされてしまうため、根暗な友達2人に美術の先生のものまねというコアネタを披露して楽しんでいたと言います。教壇の前でやると怒られるので、掃除用具庫の前で3人集まってものまねをしていたそうです。後輩ヤンキーにも舐められていたようで、部室掃除の時に密かに後輩にネタを披露させられていたようです。

高校卒業後はものまねが出来れば通じるだろうという安易な考えから声優の道に進むJPさん。声優学校は周りが全員オタクで気が合ったようで居心地が良かったようです。2年間通い卒業しますが、実力を知り声優の道は諦めることになります。

そこで自分がやりたいことはやっぱり芸人だったと腹を括り、卒業と同時に大阪のNSC27期に入ります。オリラジフルーツポンチはんにゃトレンディエンジェルなどの花の東京10期生と同期になります。20歳で初めて組んだ18歳ヤンキーとのコンビは順調に勝ち進み、松竹吉本合わせて300人の養成所大会でベスト8まで進んだようですが、当時のJPさんのメンタルが弱かったようで、大会当日逃げ出してしまったと言います。

現在でいう細かすぎて伝わらないものまねのような設定ものまねを披露していたようです。吉本を半年で辞めたJPさんは、ナベプロの2期生として養成所に入ります。同期にはサンシャイン池崎さんとハライチ、バービーさんなどが居たそうです。ハライチさんは当時からエリートだったようで、養成所に特待生として入り、授業料などが免除されていたようです。

JPさんが初めて出たテレビは、くりぃむしちゅーさんの番組で、「GACKTの砲丸投げ」というネタで出演したようですが、それからは特にテレビに呼ばれることは無かったそうです。その後事務所に所属したJPさんは、松本人志さんと間宮祥太朗さんと、3人でタウンワークのCMに偽物の神様役として出演するのですが、JPさんのものまねクオリティがあまりにも高すぎて、逆にJPさんが出ていると気づかれ無かったそうです。

売れずにくすぶり続けていたところにコロナが流行し、収入が全て途絶えて芸人人生終わったと考えていたJPさんは、本当にギリギリの極貧生活を送っていたようですが、ここでワイドナショーにレギュラー出演している松本人志さんが濃厚接触者になるという大チャンスが訪れます。

Twitterで松本人志さんから直接代理指名を受けたJPさんは、「JP動けます」と投稿したところ、3回会議をかけた後に出演のGoサインが事務所から降り、次の日に収録を行ったと言います。そのワイドナショーのオンエア後、2日間携帯が鳴り止まず、7年間で4000人だったTwitterのフォロワー数が3万人に増えたそうです。

今度は麒麟の川島さんがコロナにかかり、運よく年末の「細かすぎて伝わらないものまね」で川島さんのものまねを披露していたJPさんは、2月3日の川島さんの誕生日の日に、「自宅療養している川島さん」という役でラヴィット30分の生放送出演を果たします。そこから2ヶ月スケジュールが埋まり、現在は休みなく働いていると言います。松本人志さんの一言が繋いだ大逆転数珠繋ぎですね。

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