今回は、『光GENJI』のメンバーとして活動された後、俳優・ミュージシャンとして活躍、
ファンから“ミッキー”の愛称で親しまれている、大沢樹生さんについてピックアップしていきたいと思います。
大沢樹生のプロフィール
1969年4月20日生まれ、東京都文京区本郷出身です(後に江東区大島に転居されます)。
小学校6年生の時に(実姉により)履歴書を送られ、1982年1月に『ジャニーズ事務所』のオーディションを受け合格し、入所されます。
翌1983年3月から、『イーグルス』のメンバーとしてNHK歌番組「レッツゴーヤング」(1974~1986年)のレギュラーとして活躍されます
(このグループは“自然消滅”の形で終わります)。
同じく『イーグルス』のメンバーだった内海光司さん含むメンバー7人でアイドルグループ
『光GENJI』を結成、1987年8月にシングル「STAR LIGHT」でデビューをされます。
以降、「ガラスの十代」「パラダイス銀河」「剣の舞」「太陽がいっぱい」等、次々出す曲がオリコン
シングルチャート1位に輝く快挙を成し遂げました。
そして、「ザ・ベストテン」(1978~1989年・TBS)・「夜のヒットスタジオ」(1968~1990年・フジテレビ)・
「ミュージックステーション」(1986年~現在・テレビ朝日)等、当時の人気歌番組へ次々と出演、全国のファンを虜にしました。
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「NHK紅白歌合戦」にも6年出場(1988(第39回)~1993年(第44回))、
1992年開幕の『バルセロナオリンピック』では応援ソング「リラの咲くころバルセロナへ」(1992年4月リリース)を発表、
グループの人気は絶頂を極めたかに思えました。
しかし、シングル「TRY TO REMEMBER」を最後に、1994年8月にメンバーだった佐藤寛之さん
と共に『光GENJI』を脱退、同時にジャニーズ事務所を退社されました。
『光GENJI』脱退後、ソロシンガーとして活躍の傍ら、俳優として2時間ドラマ・「水戸黄門」(2010
年(出演時)・TBS)・「修羅の軍団」(2006年)といったVシネマ等、様々なジャンルの作品へ出演されます。
また、1995年に個人事務所とファンクラブを、2006年には自身が経営の芸能事務所『ドリームフォープロモーション』
(2015年に『ミキオオフィス』へ名を変更)を立ち上げられました。
2008年には、自身のこれまでの半生を綴った自叙伝「昨夜未明、大沢樹生が死にました…」(カンゼン刊)
を出版される等、精力的に活動を続けられました。
大沢樹生の壮絶で複雑な家族関係の中で歩む日々
大沢樹生さんは元女優の喜多嶋舞さんと1996年に結婚し長男に恵まれるも、2005年9月に離婚します。
離婚当初、長男の親権は喜多嶋舞さん側にありましたが、2007年4月からは大沢樹生さんが親権を持たれました。
ところが、2013年12月に「DNA型鑑定」の結果、大沢樹生さんと長男との“父子である確率”が0%である事が判明してしまいます。
これにより、再び喜多嶋舞さん側へ親権が移る事になりますが、彼女は親権を拒否した為、(喜多嶋舞さんの実母である)
女優の内藤洋子さんへ親権が渡る(内藤洋子さんがいるアメリカで育てられる)事となりました
(喜多嶋舞さんは家族のとの問題を起こしたくない事情もあり、“公私のけじめ”という理由で2015年11月をもって芸能界を引退されています)。
その長男が今年2019年1月、交際していた女性への暴行の疑いで、東京都内で逮捕されてしまいます。
長男は帰国後、大沢樹生さんとは会っていない状態で、所属事務所や関係者の方も、この出来事について“寝耳に水”と話したそうです。
また犯罪は悪い事ですが、ツイッターでは大沢樹生さん及び喜多嶋舞さんに対する複雑なコメントが多数寄せられた様です。
また喜多嶋舞さんとの離婚後の2008年4月、15歳年下である一般人女性と再婚されます。
そして、再婚相手の方が「不妊治療」で受胎するものの、死産しました。その2年後の2014年1月に女児が誕生した事を報告されました
(現在も、娘さんとのツーショット姿を披露されている大沢樹生さんですが、この娘さんの顔や名前は非公開の様です)。
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大沢樹生は光GENJIメンバーとの交流・プロレスデビューと多方面で活躍!
最近の大沢樹生さんも、多分野でご活躍されています。
近年は、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 絶対に笑ってはいけないスパイ24時」(2010年12月31日放送・日本テレビ)をはじめ、
バラエティー番組へ顔を出される機会も多くなりました。
そして、『光GENJI』の元メンバーの方との交流機会も増えました。自身の初監督作品「鷲と鷹」(2014年)では、諸星和己さんと共演をされました。
更に、2017 10月に開催された『諸星和己VS大沢樹生 SPECIAL TALK NIGHT Vol.2』&『諸星和己・大沢樹生 ふたりのビッグショー2017 ~光GENJI
30周年を想う~』(ウェスティンホテル東京)が開催され、ここでも諸星和己さんと共演し久々にローラースケート姿を披露、
往年のヒット曲やソロパートを歌われました。
更に昨年2018年12月末、東京・浅草橋ヒューリックホールにて『大沢樹生~夢への挑戦~Dreams Come True』という試合タイトルで
プロレスデビューを果たし、話題となりました。
試合後に“潔く芸能界に戻れます”と、早くも“引退宣言”をされました。そのうえで、“夢がかないました
、本当にありがとうございました!”というマイクパフォーマンスで観客やファンの方に感謝の思いを伝えられました。
現在も様々なイベントに登場しては、『光GENJI』時代の曲やソロパートを披露されたりして、
観客との交流を深めておられる様です。
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