元AKB48の立仙愛理(りっせん あいり)さんは1999年3月18日生まれの現在23歳。アイドル時代のニックネームは「りっせん」。チャームポイントは涙袋と八重歯。現在はABPinc.に所属しています。身長は意外にも160cmあります。MCバトルに出ており、2月23日のDis4UというMCバトルが初出場。その動画はYoutubeにも上がっています。
今後は女優業も続けながらMCバトルにも出たいと言います。ラッパーとして音源を出すことにも興味があるようで、しばらくは二足のわらじで活動予定です。小学校3年生の頃から地元のエンターテイメントスクールに通い、オーディションを受け続けてきたそうです。
過去にはミュージカルのアンサンブル出演もしていました。事務所や、ハロプロ、モーニング娘。、ホリプロスカウトキャラバン、エイベックスなどのアイドルグループのオーディションを数えきれないほど受けたそうです。就職活動を小学生からやっていた気分だったと言いますが、最終オーディションまで進めたものは1つも無かったそうです。その時に誰にも必要されない駄目な子なんだと強く思ったそう。
立仙という苗字は本名。高知県発祥の名字で、全国に300人ほどしかいない貴重な名字だそうです。高知県出身で、2021年5月に上京するまでの20年間、高知で過ごしていました。会社員の父、専業主婦の母、妹の4人家族。妹もアイドルをやっているそうです。
AKB48卒業後、地下で罵倒し戦う道へ/パワ◉ラで強制送還/嫌われ続け自己肯定感が…/元AKB48 立仙愛理
物心ついた頃からアイドルに興味を持っていましたが、歌って踊って演技できたら何になっても良いと思っており、様々なジャンルのオーディションを受けたのにも関わらず、全部落ちてしまったそうです。小学校の時に凄く憧れていたアイドルは、アイドリング!!!さんとスマイレージさん。
同年代の子のミュージカルも見に行っていたようです。母が歌うことが好きだったようで、立仙愛理さんがアイドルになってくれたら嬉しいと思ってスクールに通わせてくれていたようです。立仙愛理さんは小学生当時、スクールの先生の機嫌を損ねてしまい、県外のライブに行った際に1人だけビラ配りをすることや、逆流性食道炎を発症し、急遽東京から高知に帰った際の飛行機代をスクールに請求されたこともあったと言います。
同級生とは仲良くやっていたそうですが、中学に進級するタイミングで3年間通っていたスクールを辞めることになります。当時は母と話し合い、立仙愛理さん本人が無意識に人をイラつかせてしまう所があるので、スクールの先生がその態度じゃ世の中で上手くいかないということを代わりに教えてくれていたんじゃないかという結論になったようです。嫌だと思う時に顔や態度に出て反抗的に見えてしまうことが原因だったのかな?と語ります。
中学校は勉強に力を入れようと塾に通います。今まで習った事のないヒップホップダンスにも挑戦し、妹と一緒に週1〜2回スクールに通っていたそうです。部活は帰宅部。中学の時、違うクラスの女の子に、男たらし、ぶりっ子、歩き方変などの悪口をずっと言われ続け、学校に居られなくなり中学3年生の夏休みに入る何日か前に転校することになります。
今思うと男の子に人気があった事が原因の1つだったのではないかなと言いますが、自分自身にも改善できる所は必ずあったと当時を振り返ります。人気があった男の子が立仙愛理さんを好きになったことで女の子達に僻まれてしまったそうです。母は、髪を短く切ったり変な眼鏡をかけて見た目を変にしたら良かったんじゃないかとアドバイスをくれたそうです。
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転校した先の担任の先生が守ってくれた事で、その中学校では平和に過ごすことが出来たと言います。毎日マスクをして登校し、変なキャラを演じ続けていたそうです。女性トラブルを避けるため、女性が少なそうな理系の高知高専の電気情報工学科に推薦で進学します。40人中33人が男の子のクラスだったようです。そこで、とても気の合う親友の女の子と出会うことが出来ます。
高専でも入学してすぐ悪評が広まっており、立仙愛理さんも知らないような噂まで立てられてしまったそうです。高専では悪評のせいで全くモテなかったと言います。芸能界に入ることを諦めきれず、高専時代は稼いだアルバイト代を全部オーディション費用に費やし、19歳でようやくAKBチーム8・高知県2代目としての合格を手に入れます。私立恵比寿中学の柏木ひなたさん、橋本環奈さんが同い年。
オーディションに落ちまくる立仙愛理さんに対して、6つ下の妹がオーディションによく合格する子だったようで、一時期は嫉妬で迷惑を沢山かけてしまったそうです。妹の立仙百佳(りっせん ももか)さんは小学校からオーディションを受けており、現在はSTU48の2期生として活動しているそうです。
立仙愛理さんはAKB48の総選挙を経験しておらず、それは幸せな事だったと語ります。アイドルになってからも握手券が他のメンバーより売れず、自己肯定感が低くなる一方だったそうです。アイドルになった時期にコロナが流行り、3年間のアイドル生活の内、しっかり活動出来たのは2年間だけだったと言います。
念願だったアイドルを経験してみた結果、自分は上に行けない人間だと感じたそうです。段々、AKBだという自覚も持てなくなってしまったと言います。コロナで活動出来なかった1年間はずっと家におり、SHOWROOMの配信だけは毎日2回行っていたそうで、この期間に2年間休学していた高専に復学し卒業します。AKB 48として経済的に自立出来ていないと感じた立山愛理さんはアイドルを引退することを決意し、辞める4ヶ月前に事務所に伝え、AKB 48劇場で卒業公演を行います。
アイドル期間の3年間は、幼少期からのダンスや歌に対しての思いを全力でぶつける事が出来た為、「やり切った」感が有り悔いは無いと言います。
立仙愛理さんはアイドルは引退しましたが、芸能活動はまだまだ続けるようで5月に上京する前の4月までは家族の元でアルバイトで費用を貯めていたそうです。今度は女優業に挑戦しようという思いから、事務所のオーディションを受けたと言います。
元々MCラップを見ることが好きだったという立仙愛理さんは、不意に自分が立ちたいという思いから、1月にラップを始めたそうです。ラップの世界は女性が少ないという事もあり、今後の活動で女性ファンを増やしていきたいという思いがあるそうです。アイドル社会でどれだけ活動しても目立てなかった自分が、女性というだけでラップ社会で目立つという事に違和感を感じるようです。現在は、女優業もラップ業も同じくらい全力で頑張っていきたいと言います。
MCバトルは現時点で3つ決定しているようで、自分が満足いくラップを出来るようにするというのが目標と語ります。AKB 48もラップの世界も全て上手い人が勝ち上がっていく。人間社会とはどこの世界もそういうものだと悟った立仙愛理さん。
現在は立仙愛理さんがくしゃみをする姿がYouTubeで1万回以上再生されています。
また、2021年には司法書士の資格を取るという動画もアップしており、様々な事に挑戦しているようです。読売ジャイアンツでプロ野球選手として活躍している吉川尚輝(よしかわ なおき)さんが、Twitterで立仙愛理さんをフォローしているようで、密かにファンだったのかもしれませんね。
今後は女優業にもラップ業にも、自信を持って精力的に活動していって欲しいと思います!
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