元ジャニーズジュニアの加藤大空さんは、色々な職業を経て現在『餃子職人どんこ』を経営して1年半ぐらいになるそうです。
ジャニー喜多川さんからの性加害の話から立ち上がった「ジャニーズ当事者の会」には入っていませんが、元ジャニーズジュニアの友達からは入会を誘われたそうですね。
後に記述しますが、加藤大空さんは十代の頃にジャニー喜多川さんからの性加害を受けたそうです。
加藤大空さんは東京の目黒区出身で、姉と2人兄弟の4人家族だったそうです。父親は製麺会社を営々していて、麺を中心とした事業をいくつか展開していたそうです。少し裕福な家庭で育ったそうですね。
13歳の時に「天才・たけしの元気が出るテレビ!」でジャニーズ事務所がメンバー募集していたものに母親が勝手に応募したそうです。ジャニーズの入社エピソードでよく聞く感じですね。
後日ジャニーズ事務所からオーディション会場の詳細の連絡が来て指定された場所に父親と行くと、ダンスの先生と簡単なレッスンをしたそうです。オーディションにはタッキーと今井翼なども同期としていたそうですね。
オーディションでのダンスが良かったのかそのままジャニーズ事務所に所属が決まったそうで、2週間後には横浜アリーナのコンサートでステージデビューを果たしたそうです。
元Jr. 加藤大空/初告白 ジャニ-から一撃一万の…/タッキー今井翼と同期も退所し闇金で年収1億 – YouTube
何もできないけどいきなり大きなステージに立ってしまうジャニーズの特殊なやり方ですね。すぐにタッキーや今井翼と一緒にキンキキッズのバックダンサーにもなってミュージックステーションにも出演したそうです。
一度すごいステージに立つと「またあの華々しい場所に立ちたい」と頑張るようになる人間の心理を上手く利用しているのかも知れないそうです。
加藤大空さんはかなり変わった子どもだったそうで、ジャッキーチェンが好きで中国服を着て学校に通っていたそうですね。ジャニーズになりたいという気持ちは全くなかったそうですね。
ある日、事務所にドラマ「家なき子」に出演していた堂本光一さんがいて、たまたま時間があったのでダンスを教えてくれたそうです。テレビで見ていたスターに触れてそこからやる気も出てジャニーズも好きになったそうですね。
加藤大空さんは、ジャニーズ所属になってから半年間は毎週月曜日にNHKホールで「アイドルオンステージ」というイベントがあり、キンキキッズのバックダンサーをやっていたそうです。
当時は学生だったので学校では騒ぎになったそうで、友達からサイン頂戴というようなことが多かったそうです。確かにジャニーズの同級生が学校に居たら学生の中では話題になりますよね。
加藤大空さんがジャニー喜多川さんから性加害を受けたのは2回程ですが、1度目は突然だったそうです。合宿所と言われるジャニーさんの自宅にジュニアのメンバー数人で泊まった時にみんなでお風呂に入ったそうです。
そこにジャニー喜多川さんも入ってきて、冗談のような感じで身体や陰部を少し触られたそうです。その時は男同士がふざけている雰囲気でみんながいる所だったので嫌な感じはしなかったそうですね。
その後、お風呂から上がって加藤大空さん一人だけがジャニーさんの部屋に呼ばれて口淫などの性加害にあったようです。衝撃的な出来事ですが、家に帰ってからも恥ずかしくて親には相談できなかったそうですね。
初体験は同世代の女性と済ませていたそうで、そもそも男の人が男の人にやるというのが理解できなくてその時は射精せずに終わったそうです。13歳で初体験を済ませている加藤大空さんも早いですよね。
翌日からもジャニーさんからは合宿所に呼ばれたそうですが、加藤大空さんとしてはまた性加害をされるかも知れないので休みがちになったそうです。そりゃそうなりますよね。
それでも何も知らないジャニーズに前のめりな母親からは、せっかくジャニー喜多川さんから呼んでもらえているのに行った方が良いと促されたそうです。息子が性加害をされているなんて想像できないですよね。
ジャニーズに入所して半年くらいの時には、同期で入ったメンバーなどもジャニー喜多川さんから性加害にあっていたので話をすることもあったそうです。
行為の細かな描写までは話をしないまでも、ジャニー喜多川さんからの性加害は「辛いこと」というのがジュニアのメンバー共通理解だったそうですね。よくこれが大事にならずにジャニーズの噂程度できましたよね。
加藤大空さんはジャニー喜多川さんからの性加害を受けても仕事の量や露出が増えることはなかったそうで、売り出したい訳でもないジュニアにもジャニー喜多川さんは性加害を行っていたそうですね。
ジャニー喜多川さんから性加害に合っても露出が増えず1年以内に辞めていったジュニアのメンバーはいくらでもいるそうです。結局は加藤大空さんも1年でジャニーズを辞めたそうですね。
14歳でジャニーズ事務所を退所した加藤大空さんは、そこからヤンキー漫画やビーバップハイスクールにハマってしまったことで絵に描いたような不良になるそうです。
『あばれ花組』という漫画の中で喧嘩をしたら学校の名前を名乗るという流れがあり、それを真似して加藤大空さんは喧嘩に勝った際に学校名を伝えたらその相手がたまたま暴走族と繋がっていたそうです。
その日から加藤大空さんを狙って毎日中学校に暴走族が来たそうですね。安易に漫画の真似をするのも考え物ですよね。
学校に来た暴走族に加藤大空さんの友達がボコボコにされたことで、中学校に父親と母親が呼ばれて「オタクの息子がこの中学校にいると危険があって迷惑です」と言われて転校を勧められたそうです。
まさかの中学側からの要請で実際に転校することになった加藤大空さんでしたが、毎日狙われて怖かったので転校できたのは良かったそうですね。
なんとか転校した中学校を卒業して新宿にある八洲学園に進学した加藤大空さんでしたが、高校2年生の時に行くのが嫌になって中退したそうですね。
高校に行きながらも18歳までは父親の製麺会社で働いていたそうで、学校と仕事の両立もめんどくさかったそうです。
19歳になった加藤大空さんは、不良の先輩から誘われて闇金業界に行ったそうです。当時は闇金ブームでかなり稼げる仕事として裏の界隈で流行っていたそうですね。
最初は電話番で、電話帳を見ながら「お金を借りませんか?」と営業電話をかけまくる仕事だそうです。その中に興味がある人がいたら先輩に繋いで対処してもらうそうですね。年収は1億円ほどもあったそうです。
一般の仕事では考えられない報酬をもらっていた加藤大空さんでしたが、毎月200万円程を反社会勢力の組織に上納しないといけないので、反社と繋がりを持つのがしんどくて4年で辞めたそうですね。
反社から夜中に呼び出されたり売り上げが悪いと文句を言われたりと関わるのが精神的にも大変で、辞める時に300万円払って辞めた後は探されないようにニューヨークとロサンゼルスに逃亡したそうです。
年収は1億円程あった加藤大空さんでしたが、キャバクラや時計に車など散財して残った500万円程のお金を持って海外で1年間暮らしたそうですね。
海外ではトヨタの駐在さんが行く日本人ストリートのキャバクラのボーイをして生活費を稼いでいたそうです。英語を喋れない加藤大空さんでも日本語が通じる場所で問題はなかったそうですね。
報酬は1日140ドルほど貰えていたそうです。加藤大空さんはどこに行ってもある程度稼ぐ能力があって生きていくのに困らなそうですね。
27歳で日本に帰って来た加藤大空さんは、六本木にある『Dios』というホストクラブで働き出すそうです。月収300万円ほど稼いでいたそうで、闇金に続いてホストでもしっかり稼いでいたんですね。
30歳までホストで働いた加藤大空さんでしたが、夜の仕事も年齢的にしんどくなってきて昼職をやろうと考えだしたそうです。そして、友達と高円寺にパワーストーン屋を出したのですが半年で潰れたそうですね。
当時『ありえへん』という番組で中村泰二郎の青山ストーンマーケットというのがピックアップされていて、それに影響を受けてやってみたそうですが知識も何もなくパワーストーンにパワーはなかったそうです。
オセロの中島さんが占い師に騙された話題が世間を席巻していた時と時期もかぶってしまい、世間に占いとかスピリチュアルはヤバいよねという風潮が広まっていたのも流行らなかった要因だそうですね。
その後、31歳の時にホスト時代のお客さんで不動産屋の会長がいて、「仕事ないので何かないですか?」と連絡したら不動産会社で営業として雇ってくれるとの話になりサラリーマンになったそうです。
普通の一般のサラリーマンとして6年間は働いたそうですね。もともと闇金でも営業の仕事のようなことはやっていたので、自分には向いている仕事内容ではあったそうです。
年収は1200万円あったそうですが、このまま働いていても年収3000万円くらいが限界だと感じて辞めたそうです。雇ってくれた不動産の会長は月収1億円あったそうで、比べると自分がちっぽけに感じたそうですね。
普通の社会人なら十分な収入ですが、確かに闇金やホストでかなり稼いだ経験があるので加藤大空さんからすると満足できない金額だったんでしょうね。
不動産屋を退職した加藤大空さんはすぐに働く気にはならなかったそうで全国を旅行して周ったそうです。少し貯金もあったので焦ることなく放浪したのは良い気分転換にもなったそうですね。
加藤大空さんの転機は38歳の時に突然来たそうで、2020年に北海道小樽市に旅行した時にたまたま入った餃子屋さんがあり、そこで食べた餃子に心から感動して心が震えたそうです。
今まで高級な食べ物もそれなりに食べてきたのに、食べ物を食べて初めて涙が出る程の感情になったそうですね。数百円の餃子だったそうですが、数万円のどんなに高級な料理を食べた時より感動したそうです。
あまりに心を揺さぶられた加藤大空さんは、そのまま直接店の社長に頼み込んで2021年の3月頃まで1年以上北海道で餃子の修業をさせてもらったそうですね。
包丁の使い方も分からないほど料理をしたことがなかった加藤大空さんですが、生活のほとんどを餃子と向き合って1日18時間も修業したそうです。寝る間も惜しんでとはこのことですよね。
アルバイトではないのでお金はまったく貰わずに、貯金を切り崩しながら修業して生活したそうです。38歳で本当にやりたいことに出会ったんですね。
修業を終えた加藤大空さんは、2021年6月に自分の餃子店「餃子職人どんこ」を東急大井町線下神明駅近くにオープンしたそうですね。横幅が10㎝もあって通常の餃子の2倍の大きさのジャンボ餃子だそうです。
テイクアウト専門店なので中では食べれませんが、いずれはイートインもできるようなお店にしたいと日々奮闘しているそうです。500程度の餃子で薄利多売な日々ですが、今はお金よりやりがいを感じて生きているそうですよ。
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