ビッグモーター元幹部で6年前に中古車販売会社『BUDDICA』を立ち上げた中野優作さんは、一連のビックモーターの不祥事で元幹部として各メディアに引っ張りだこになり一躍時の人になっていますね。
YouTubeで初めて自分がビッグモーターの元幹部でしたという動画をアップする前に、社員全員をZoomに集めて「自分は会社を辞めないといけなくなると思う」と泣きながら伝えたそうです。
告発によって同業他社の人達を敵に回すことに繋がるので、中古車販売界隈から圧力がかなりかかると予想していたそうですね。確かに大きな市場でもあるし外を歩くのも怖くなるかも知れないですよね。
ジャニーズの性加害を初めて訴えた人のように全て失う覚悟で元幹部として腹をくくって告発したそうです。
ビッグモーター元幹部 中野優作/「○刑」パワハラ副社長へ世代交代機に辞職/中古車業界の詐欺告発
退社して6年以上経過しているのもあって、中野優作さんが実際に告発してから次々と知らなかったことも出てきていて驚いたそうです。ただし、会社の風土として種があったのは間違いないそうですね。
香川県のさぬき市津田町に生まれた中野優作さんですが、父親は工場勤務のサラリーマンで母親はスーパーで働いたり保険の営業マンをしている普通の家庭で育ったそうです。
中野優作さんの最終学歴は中卒だそうで、高校1年生の夏前に中退したそうですね。中学生の時から夏休みだけ金髪にして戻すという感じで、少しヤンチャ気質ではあったそうです。
2つ上の姉が高校2年生の時に、親から「大学は自分でバイトして稼いでいきなさい」と言われて喧嘩しているのを見て、高校卒業してバイトしながら大学に行くのは嫌だなと思ったそうです。
子どもながらに家が貧乏ではなくてもそこまで裕福な家庭事情ではないことは分かっていたそうで、HSPとADHDの両方を持ってる神経が細かい中野優作さんは、親がお金の話をよくしているのが結構辛かったそうです。
普通の人よりも色々なことが過敏に気になる体質なので、親のお金の嫌な会話などもよく覚えているそうですね。
学生の頃に中野優作さんの知り合いで1番の金持ちが土建屋の社長だったそうです。いつもクラウンやセルシオなど高級車に乗っていて、定期的に車が変わっていて羨ましかったそうですね。
その社長が高そうな金のネックレスやブランド物のオシャレな服を着ていたので、こういう大人になりたいと思って高校をすぐ中退して土木の会社に就職したそうです。
学業と並行して大変な思いをしながら学費の為にバイトして大学に行ってもお金持ちになれる未来が見えなかったので、それならすぐ働いてお金を稼いだ方が良いと決意したそうですね。
親のお金で大学に行けたら遊べて楽しいでしょうけど、自分で学費を稼ぎながら行くのは確かにしんどいですよね。さらに奨学金を借りても奨学金貧乏の若者が多いとニュースにもなっていますしね。
高校を中退して16歳で土木に就職した中野優作さんは、日給9000円スタートで日曜日だけ休みの20万円~25万円の給料だったそうです。そのまま26歳まで10年間は土木関係で働いたそうですね。
中野優作さんは土木で働きながら副業もしていたそうで、携帯電話が普及し始めた時に代理店の副業もしていたそうです。知り合いを紹介して携帯を契約してくれたら中野優作さんに数万円入っていたそうですね。
もともと知り合いが多かったのと、世間的な携帯電話の普及率の高さも相まって月に数十万円は稼げていたそうです。もはや副業ではなくメイン収入ではないかと言っても過言ではないくらいあったそうですね。
長い間土木の現場で仕事をしていた中野優作さんでしたが、ある日の仕事で大東建託の社員の方と関わる機会があったそうです。その人に大東建託で営業の仕事をやらないかと勧められたそうですね。
話を聞いて興味が沸いた中野優作さんは、大東建託に転職して不動産営業の仕事を始めたそうです。もともと人と話をする事が得意だったこともあり、営業成績で入社最速記録を出して会社から表彰されたそうですね。
その時は同僚や先輩社員からも賞賛されて嬉しかったそうですが、結果的に4ヶ月で身体を壊して大東建託を退社したそうです。4ヶ月1回も休みなく働くような超絶ブラックな環境だったそうですね。
夜は先輩と飲みに行って3時間ほど寝て出社するという毎日だったそうです。飲みにケーションとはよく言いますが、先輩は飲まなければやってられないというような人ばかりでほとんど意味のない時間だったそうです。
睡眠不足も相まって過労により道端で倒れてしまったことからビックモーター以上にブラックな環境に耐えきれず、このままでは幸せな将来が見えないと思って辞めたそうです。過労死の可能性もあるしさすがにヤバいですよね。
中野優作さんは2008年10月、26歳で大東建託を辞めてハローワークに行ったらビッグモーターとタマホームの募集が求人にあり、両方申し込んで先に受かったのがビッグモーターだったそうです。
新しい仕事で緊張しながら営業の仕事を開始した中野優作さんでしたが、ビッグモーターに入社して初日に1年で1番良いくらいのお客さんに当たったことで、たまたまラッキーで車が売れてしまったそうです。
大東建託から転職後に最高のスタートを切った中野優作さんは、営業の仕事は楽勝だと感じたそうですが、最初のお客さんが良かっただけでそこから3ヶ月まったく売れなくて悩んだそうです。
さらに中野優作さんは10月入社だったのでその年に入社した新卒の後輩になってしまい、年下で大卒の先輩から心無い中卒いじりをされて精神的にしんどかったそうですね。
営業でも成績が出ていないので文句も言えずにパシリとかを普通にやらされたそうですね。年下の先輩というのが男としてもメンタルにきますよね。
中野優作さんが勤務していた店舗はビックモーターの中で集客が3番目に多い店舗だったそうで、常にお客さんの数が従業員より多く来店していたそうです。
ただし、来店者の9割はとりあえず暇つぶしに見に来ただけという感じなので、営業担当にあたって購入を決められないと店長に前蹴りされたりめちゃくちゃ怒られたそうですね。
蹴ったりする時点で普通ではないですよね。
それでも努力して営業を頑張った中野優作さんは、入社10ヶ月目に全国トップの営業成績で表彰されたそうです。店で営業トップの人をとにかく真似してトップセールスマンになったそうです。
全国トップの営業成績で表彰されたことで、社長と本部長が店舗に来てトップ賞激励会で食事に連れて行ってくれたそうです。その時に社長から「店長してみないか?」と言われて異例の昇進チャンスが来たそうですね。
中野優作さんは即答で「やってみたいです」と言ったそうですが、同席していた店長が「まださすがに何もできないので数ヶ月は教え込まないと店がヤバくなります」と断ったそうですね。
中野優作さんからすると「こんなチャンスなかなか来ないのに何で断るんだよ」と店長に不満を持ったそうですが、翌日から昇進の誘いを蹴った店長からあからさまに虐めを受けたそうですね。
トップ賞を獲った翌月に営業をさせてもらえずに店の掃除担当をさせられたそうです。店長からすると自分の立場が危うくなりそうだったから中野優作さんの成績が上がらないようにしたんですね。
その日から何をしても店長からは怒られるだけで、あまりにも居心地が悪くなった中野優作さんは辞職を伝えたそうです。すると店長の態度が明らかに変わって少し優しくなって謝罪もされたそうですね。
店長としては他の店に行かれるとトップセールスマンの営業力がある中野優作さんはライバルになるからヤバいと思ったんですね。こういう社員が上司だと最悪ですよね。
店長からの虐めが無くなって営業成績が戻った中野優作さんは、入社1年半くらいの時に他店の店長に抜擢されたそうです。本当はもっと早く昇進できていたのに上司のせいでロスした感じですよね。
店長として順調に会社での成績を残していった中野優作さんは、入社して5年目の31歳の時に中四国のエリアマネージャーに昇進したそうです。
当時のビックモーターは『社長』→『部長』→『エリアマネージャー7人』という構図で、エリアマネージャーは会社で3番目に偉い立ち位置だったそうですね。31歳でそこまで行けるのは余程の敏腕だったんですね。
エリアマネージャーでも結果を出した中野優作さんは、翌年の32歳で営業本部次長というエリアマネージャー7人より上の立場まで昇進したそうです。
そして、2016年33歳で西日本エリアの部長まで昇格して実質会社のNo.2に横並びしたそうですね。相当な信頼がないとこの若さで任せられない役職ですよね。
中野優作さんは2015年頃に社長の息子で副社長の兼重宏一さんと初めて会ったようで、副社長と肌感が合わなくて居心地が悪くなってきたので退社することを考えていたそうですね。
そして、西日本エリアの部長をやっていた時にビックモーターの子会社「ハナテン」を関西エリアとしてビックモーターに組み込む作業を担当した時に、この業務をしっかりやってビックモーターを退社しようと決意したそうですね。
実際に会社が社長から副社長の兼重宏一さんに世代交代するのが分かってから、1年に100人レベルで幹部経験者や店長経験者が一気に辞職したそうです。副社長は相当人徳がない人で嫌われていたんでしょうね。
中野優作さんが在籍していた2015年にはビッグモーターが業界の売り上げ日本一を獲ったそうですが、その時から業界は腐っていたそうですね。ちなみにそれまではガリバーが中古車販売会社業界の日本一だったそうです。
中古車販売会社業界は、メーターを巻き戻して実際の距離をごまかして売ったり、事故車を事故車じゃないと言って売ったりする車屋さんで溢れていたそうです。客からしたらとんでもないですよね。
2016年に中野優作さんが辞職した後に大幅な給料改定が社内で行われて破格の年収になる営業が出てくるようになったそうですが、優秀な社員の大量辞職を食い止めるための給料大幅アップだと言われています。
ニュースでは店長の年収が4000万円など破格だと言われていますが、中野優作さんが在籍していた当時は店長で給料が1000万円ある人はほとんどいないぐらいだったそうです。
中野優作さんはビッグモーターを退職すると同時に、国金と地銀にお金を2000万円借りてプレハブの車屋を香川県高松市の路地裏に構えたそうです。車の業務販売で車屋さんに車を売る仕事ですね。
初年度は2億円程度の売り上げだったそうです。借りた2000万円で売り上げ2億円を作ったんですね。2年目が6億円、3年目が16億円、4年目で30億円、5年目で50億円の売り上げだったそうです。
4年で業販屋の分野で日本一と言われるくらいまで拡大できたそうですね。独立して3年目くらいから資金調達ができるようになったので売り上げが大幅に上がったそうですね。
最初は業務販売のみで一般の人に車を売ることは考えていなかったそうですが、ビッグモーターを退職した営業の人達が中野優作さんに雇ってくれと集まって来たそうです。
そして、自然と一般の人にも販売していく小売りの形になったそうですね。顧客や元同僚達から求められて仕方なく小売業を展開していったそうです。
中野優作さんは独立して初年度は給料が8万円で、2年目も20万円だったそうです。役員報酬としてそのくらいの金額が限界だったそうで、3年目には貯金残高は底をつきかけていたそうですね。
結婚して子どももいたので家族は心配していたとのことですが、現在ではなんとかなって良かったと思っているそうです。
中野優作さんは2022年の9月にユーチューブを初投稿しているのですが、その頃はビッグモーターの販売現場の売り方が1番問題だと思っていたそうです。詐欺ギリギリの営業方法を会社研修で指導したりするそうですね。
本当は直接ビッグモーターに注意しに行った方が大人の対応だとは分かっていても、会社を辞めた部外者の自分が行っても話を聞くわけないと思ってユーチューブ動画投稿にしたそうです。
ビッグモーターの告発動画をユーチューブに投稿する前に会社の社員全員をzoomに集めて「僕は会社を辞めなくてはいけなくなると思います」と泣きながら語ったそうです。
告発によってビッグモーターだけではなく中古車販売業界の人を敵に回すことになるので、このまま働き続けることはできなくなるだろうと予想していたそうですね。
腹をくくって告発動画を投稿したら思いのほか反響が凄くて、どんどんと自分が知らなかった様々な情報まで出てきたそうですね。損保ジャパンの保険料の水増しなどは、中野優作さんからすると完全に盲点だったそうです。
中古車販売業界は詐欺まがいな方法で儲けることが正義である腐った業界だったのですが、告発をした中野優作さんとしては今後業界全体が良くなっていくと信じているそうです。
ここまで色々な手口が世間でニュースになってこれからもやり続けることは不可能ですし、ここまで業界も信用が落ちたら難しくても上がっていくしかないとは思っているそうですね。
街路樹に除草剤なんて誰が考えたっておかしいですが、この業界は少しずつおかしくなってエスカレートしてしまったんでしょうね。
現在、中野優作さんの会社BUDDICAは『新車を作らず愛車を作ろう』をミッションにしているそうです。車はただの移動手段とかもうすぐ自動運転代替されるとか言われてます。
でも本当はもっと面白いものだったり人生の思い出ができるきっかけになるものなので、お客さんが安心して車を使える仕組みづくりを今後はしていきたいそうですね。
ビッグモーターの告発動画が大反響だったこともあり、医療業界、不動産業界、美容業界などの人たちが話を聞いて欲しいと連絡がたくさん来たそうです。どの業界にも色々と闇があるそうですね。
もう今の時代は昔と違って表に出ていなかった問題が可視化されるようになっているので、世の中に不正が無くなってクリーンな世界になって欲しいと願っているそうですね。
中野優作
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