お笑い芸人のバッドボーイズ佐田は現在43歳。
バイク族車を作って総長をしています。
バッドボーイズの佐田は、福岡県の糟屋郡出身。
小学校4年生からタバコを吸う不良だったという。
当時父親は遊び人で、「借金を返すために」と言いながら週に1度しか家に帰ってきませんでした。
母も働いていたために、叔母さんの家でお世話になっていたそうです。
バッドボーイズ佐田は二重という事で、「デメキン」とあだ名を付けられ、小学校4年生までイジメられていました。
叔母さんと買い物に行った時、同級生にからかわれてるのを見られたバッドボーイズ佐田は、父親から「ビーバップハイスクール」の映画を貰い、「これを見て強くなれ」と言われたそう。
その後柔道も習いに行きます。
バッドボーイズ佐田/福岡連合総長時代に逮捕/薬物依存から抜け出す為芸人目指すも再び…
水泳の時間にからかってきた男の子をボコボコに倒した事がキッカケで、同級生から「佐田くん」と名前を呼んでもらえるようになりました。
その時バッドボーイズ佐田少年が学んだことは、「勝てばいいんだ」。
喧嘩に勝てばイジメられずヒーローになれるという思いから総長まで上り詰めることになります。
バッドボーイズ佐田の中学時代には、区域ごとに1個の暴走族があり、通っていた篠原中学校の暴走族の名前は「悪死魔」(あくしま)。
そこの12代目として暴走族に加入することを予定していましたが、10代目の総長がバイク事故で亡くなったことをきっかけに悪死魔は解散してしまいます。
そこでバッドボーイズ佐田と同級生は「亜鳳」(あほう)というチームを作りました。
高校生になったバッドボーイズ佐田は、その時期に少年院に入っていたという先輩に拉致され、家に連れていかれることになります。
先輩に仲間を呼べと脅されるバッドボーイズ佐田ですが、仲間は居ないの一点張り。
タバコの火を顔面で消すことを強要され、仲間を呼ばなければ千切ると、耳にナイフを突きつけられました。
それでも仲間は居ないと言い張る佐田の根性が見込まれて、その先輩と福岡連合を作ることになります。
こうして亜鳳結成3ヶ月後にバッドボーイズ佐田は、高校生で福岡連合の2代目総長となります。
200〜300人の総長だったようです。
幼少期に虐められた経験から、弱い者の気持ちが理解出来たバッドボーイズ佐田は、総長になった後も偉そうにすることなく指揮をとっていました。
その腰の低さから、周りのメンバーには慕われていたようです。
バッドボーイズ佐田が少年院を訪れる理由…一度失敗した人を許さない時代が嫌い/地方事務所の特別ルール
相方・大溝清人(きよと)さんとは高校時代に出会います。
丸坊主に前髪だけ金髪という奇抜な格好をしていた清人さんですが、休み時間に書いていたヤンキー漫画が凄く上手で、そのミステリアスさから余計に佐田の関心が引かれます。
バッドボーイズ佐田は高校3年の夏に暴走族を引退するのですが、修学旅行当日に「タクシーは破壊」の罪状で訴えられ逮捕されてしまいます。
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高校だけは何とか卒業させてやりたいという母親と担任の先生の計らいで、無事高校を卒業するのですが、相方の清人さんは留置所に2週間入った後、学校に警察に捕まったことがバレてしまい、そのまま退学という形になってしまうのです。
暴走族引退後、遊び相手が居なくなったバッドボーイズ佐田は薬物に依存してしまったと言います。
高校の授業中に教師に殴りかかったこともあり、高校3年生で死を意識しますが、将来の夢は田代まさしと書いた小学校6年生の頃の文集を見つけ、生きる目標を思い出します。
佐田が通っていた高校は、CHAGE&ASKAや氷川きよしを輩出した、芸能にも長けている高校だったという事もあり、芸能担当の先生からお笑い芸人になることを勧められます。
そこで現在の相方である清人さんが文化祭で漫才をしていたことを思い出し、バッドボーイズ佐田から清人さんをコンビに誘い福岡吉本に所属します。
バッドボーイズは初め、清人さんとその先輩ひかるさんを入れた3人でしたが、ひかるさんと佐田が誘惑に負け、再び薬物に手を出してしまいます。
そこから更生することを本気で誓った佐田は、1ヶ月後の漫才九州大会に向けてネタの練習に明け暮れる毎日を送ります。
その大会で見事優勝。
東京ドームへと進出しましたが、そこでの大会はトーナメント1回戦で敗退してしまいます。
しかし大会終了後、福岡吉本の所長さんにスカウトされ、8期生として18歳で福岡吉本に所属することが決まります。
同期は、パンクブーブーの黒瀬さん。
黒瀬さんは、バッドボーイズ佐田の地元の暴走族「悪死魔」の9代目副総長だったそうです。
6期生はヒロシさん。
バッドボーイズは福岡芸人3年目でテレビのレギュラーを獲得し、冠番組も持っていましたが、裏番組が博多華丸さんと被ってしまい、強制的に番組が終了させられるという理不尽な扱いを受けます。
そこから仕事がライブだけになり、24歳でバッドボーイズは東京進出を決意します。
3年経っても東京で成功しなければ辞めると決めていた佐田。
東京では、芸歴6年目で1年目と同じ舞台で戦うという厳しさを経験します。
1分ネタを披露し、そこに5回合格すれば1つの舞台で500円ギャラが貰えるというシステム。
しかし東京に進出した後、すぐに映画の主演も決まり、「やりすぎコージ」のヤンキー列伝、「すべらない話」と、とんとん拍子テレビ番組が決まっていきます。
「AKBINGO!」にも出演していました。
レギュラー番組がなくなったことはなかったと語ります。
当時M-1には結成10年目のコンビまでしか出場出来ず、2002年から挑戦し続けていましたが、準決勝という結果でM-1への挑戦が終わりを迎えます。
バッドボーイズ最後の挑戦年に優勝したのはチュートリアルです。
現在のバッドボーイズの仕事は月2回の劇場のみと言います。
相方の清人さんは漫画を書いていて、集英社の少年ジャンプにバッドボーイズという事を伏せて応募もしているようです。
バッドボーイズ佐田はドラマに出ることを目標に、2015年から一人芝居の特訓をしています。
「1度失敗した人を許さない時代が嫌い」という佐田は、現在少年院の講演会をボランティアで行なっています。
講演会後に少年たちから送られてくる手紙にやりがいを感じているそうです。
小学校3年生で親がいない為に少年院に入った男の子が、そこで中学校3年生だった15歳の男の子に虐められ、下半身を舐めさせられます。
愛情を受け取ったことのないこの男の子は、この行為を愛情表現と捉えてしまい、15歳の時に自分に良くしてくれた小学校3年生の男の子に、同じ行為をさせてしまうことで逮捕されます。
ニュースは起こった出来事の一部分を切り取って噂話を誇張してネット情報として流してしまいますが、本当に物事の本質を知った上で人はその人を判断していないだろうと怒りを覚えるバッドボーイズ佐田。
現在SATAbuilder’sというアカウントで活動しているバッドボーイズ佐田のYoutube登録者数は79.4万人!
これだけで十分食べていける収益になりますね。
Youtubeも求め続けられる限りやりたいと言います。
僻んで人を叩き潰す今の時代の風潮が嫌いと言います。
60歳になったら保護司をすることを決めています。
それまでに自分のやりたいことを全力でやる人生にするのだそう。
誰しも犯罪を犯す可能性がある中で、少年院に入っているという偏見だけでこの子達を悪と決めて欲しくないと語ります。
しかし、「犯罪を犯した責任は自分でしっかり取れよ。責任を取れたら年齢関係なしにお前らは大人や。」と伝え続けていると言います。
時間がある時には少年院に返事の手紙も書いているバッドボーイズ佐田。
テレビにも必要とされれば出るそうです。
人は誰かの為に生きる時に、本当の幸せに出会えるのだと感じさせる生き様でした。
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