チカーノKEIさんは現在59歳。杉並区の阿佐ヶ谷出身。
親がパチンコなどで育児放棄されていて、居場所がなくなってご飯が食べれない子供達のために時間が潰せる場所、GoodFamilyを提供しています。
子供の育成・保護にNPO法人のボランティアとして20年間携わっており、ハロウィンパーテイーも行うそうです。
夏はマリーナで、チカーノKEIさんが自腹で購入したジェットスキーを無料で貸し出して、子供達を遊ばせています。
チカーノKEIさんはYoutube動画も上げていますが、その収益の全てをNPO法人の活動費にしています。
息子さんは自身で会社を立ち上げて経営しているそうです。
若い頃アメリカの刑務所に入り、2001年40歳で出所して日本に戻ってきました。
散々社会に迷惑かけた償いとして、今度は社会に貢献しようという思いで現在の活動を始めています。
活動初期は家庭で手に負えない不良少年・少女を自宅で預かっていたそう。
子供達が悪い方向に引っ張られてしまうのを防ぐためといいます。
刑務所に入ることは無駄な時間と考えています。
20年前から洋服屋も営んでいます。
他にも震災や被災地に出向いて炊き出しのお手伝いや、食糧の寄付も行なっているそうです。
宮城県仙台市で地震が起こり水の供給が止まった際も、何トンもの水を配送で届けています。
チカーノKEI 前編/15歳からヤクザ/芸能人Hに薬物譲渡で…/大手家電メーカー依頼で不動産社長を誘拐
若い頃はおじいちゃん、おばあちゃんの所に預けられ、当時15、16の叔父さんがチカーノKEIさんの面倒を見ていてくれたそうです。
おじいちゃんが闇市で財を残していたため、幼少期から周りの大人達はいわゆるヤクザばかりだったと言います。
両親と過ごした事は1度もありません。
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その後はたらい回しで預けられる場所を転々とし、学校も転校ばかりしていたようです。
小学校低学年の頃は、ソープランドの中に預けられ、そこで働いている女性スタッフに可愛がられたと言います。
中学生になると、自然に「マッドスペシャル」という暴走族チームに入ります。
暴走族がパーティーを開くために、パー券という物を販売するらしいのですがそこで40枚の紛失があった時に、たまたまその場に居なかったチカーノKEIさんの責任にされ、木刀などでリンチに合い、田んぼに投げ入れられるという経験をしたそう。
その一件が気に食わなかった若い頃のチカーノKEIさんは、その暴走族を抜けて単身で歌舞伎町に繰り出します。
暴力団の構成員になるには警視庁に登録が必要だそうで、チカーノKEIさんは可愛がってくれた歌舞伎町の人の舎弟に準構成員として入ることを決めます。
仲の良かった友人と敵対する組に入って喧嘩しないといけないこともあったそうです。
組のために強い相手を倒したり、長い服役についたりすると組での順位が上がっていくそう。
チカーノKEIさんは、指定暴力団に加入していた為、19歳の時に成人と認識されて逮捕されています。
17ヶ月東京拘置所にいることになったようです。
その後、当時の奥さんと舎弟とチカーノKEIさんで北海道に逃げます。
そこでカタギに戻り、牛乳で作ったパンを販売するという仕事を始めるのですが、1日に28万ほど売り上げたそうです!
営業分野は得意だったとのこと。
個人でパン売りで生計を立てようと計画していたようですが、就職していたヤクザ会社にその権利を奪われ、転職することになります。
今度の働き口は、小樽の海岸からスケソウダラを運ぶためのトラック違法改造の仕事を8ヶ月ほど行います。
逆に言えば本当に何でも出来る人ですね。
そこでのイクラ業で若手が失敗してしまい、トラックを捨てて原点である関東に戻ることになります。
そこで大手家電メーカーから施設開発の為の土地買収を頼まれるのですが、邪魔が入り、ライバル不動産の社長を誘拐してしまいます。
そこから九州での逃亡生活が始まり、最終的に関西で再びヤクザに戻ることになるわけです。
チカーノKEIさんは若い頃、昭和50年代に芸能人に麻薬を渡したとして、サイパンで捕まっているのですが、当時関東のヤクザ社会では、薬を売ること自体が表上禁止されていたようです。
チカーノKEI 後編/ハワイ薬物密輸で一撃3億も…FBIに逮捕/アメリカ極悪刑務所でギャングに拉致もボスに認められ仲間入り/
中学時代の先輩が、サイパンで仲間と薬物を吸っているのを見て、質が良いのを日本から届けてやるよという事で日本の薬物をサイパンに2週間に1回輸入するという個人の仕事が始まったのだそう。
サイパンの空港職員も皆麻薬をやっていて、当時はサイパンの警察職員が薬を売り捌いてチカーノKEIさんにお金を渡してくれていたそうですよ。
まさに闇ですね。
1回のサイパン渡航で1000万儲けがあったそうです。
そこで順風満帆の生活は続かないもので、元奥さんの弟にFBIに売られてしまい、気づかないうちに追われる身になってしまったというチカーノKEI。
ハワイでも麻薬売買を行なっており、味噌樽の中に薬を入れて運ばせていたんだとか。
捕まる前日異変に気づき、トイレに薬を流している最中にFBIに乗り込まれて逮捕。
半年間のおとり捜査後、とうとうFBIに捕まってしまうというわけです。
その時の逮捕の瞬間は映像で残っているようです。
アメリカでは犯罪者がモテるようで、10年間刑務所に入っている間、毎日ダンボール一杯のファンレターがチカーノKEIに届いたようです。
まさに文化の違いですね。
アメリカの刑務所と日本の刑務所は大分設備が違うようで、アメリカの刑務所にはバスケットコートやビリヤード場、映画館、テレビルームなども完備されているそうです。
服役者が直接スーパーに行くことはできませんが、欲しいものをメモすれば何でも手に入るのだそうです。
アメリカには多くの人種が服役しているため、1人1人の宗教など生活スタイルを尊重してくれるようで、クリスチャンは日曜日働かなくて良いなどの規定もあったようです。
受刑者と米軍が野球の試合をする日もあるようで、受刑者が20対0で圧勝するようです(笑)
チカーノKEIさんは腕力の違いと述べています。
チカーノKEIさんは服役している間、残りの囚人生活をいかに楽しく過ごそうか考えていた為、全く苦にならなかったようです。
チカーノKEIさんは刑務所内で、ランドリーという2000人中2人しか貰えないミシンの仕事を担当していました。
そこでポケット付きのスウェトを縫い、1枚20ドルで販売し、ビジネスを成り立たせていたそうです。
どこでも金を作り出せる人ですね!
喧嘩ばかりだったチカーノKEIは、刑務所の移管を繰り返しますが、その時にギャングのボスに気に入られ、チカーノというギャングの組織に加入することとなります。
その時の内容が「アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人」として東京キララ社から出版されています。
今でのそのギャングとは付き合いがあるようで、家族以上の仲だとか。
アメリカの刑務所内で勉強をしたというチカーノKEI。
刑務所内で通う大学も選べるそうで、チカーノKEIさんの友達は歯医者になり、サンフランシスコで歯医者を経営しているそうです。
チカーノKEIさんは刑務所内で家族愛について学び、鬱病の人のカウンセリングも行なっていたそうです。
アメリカでお世話した日本人が、日本のヤクザの組織のトップだったようで、チカーノKEIさんが出所した際に1000万を渡してくれたそうです。
チカーノKEIさんは、刺青も入っていない人がトップだったことに驚いたそうですが、乞食扱いされるのが嫌という理由で、1000万をゴミ箱に捨てたそうです。
チカーノKEIが少年ヤクザだった時代の漫画が、「チカーノKEI 歌舞伎町バブル編」として連載が開始しています。
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