アンディ南野の現在: 社交場と防犯活動
本業として大阪の大東市でキックボクシングのジムオーナーを14年しているアンディ南野さんは、警察と北新地社交飲料教会から依頼されて週に2~4日ほど北新地の防犯パトロールもやっているそうですね。
路上で客引きをしている人に条例についての説明を延々としているそうです。だいたいは若い子が店の上の人に言われて条例違反になるかどうかもよくわからずやらされているだけだそうです。
そんなアンディ南野さんは、1歳の時から大阪の大東市で育ったそうですね。奈良県と背中合わせの所に位置する田舎で、昔は日本で一番赤字の都市で少年犯罪も日本一だったそうです。
隣にある門真市は成人犯罪日本一で、暴力団事務所の数も一番多いと言われていたので、その隣にあった大東市も当時はかなり荒れていたそうですね。
犯罪率日本一の街で暴力団構成員の鎖骨折り 反社相手に喧嘩全勝/警察から治安維持の依頼/アンディ南野さん
アンディ南野の原点: 小学生時代からの夢と挑戦
アンディ南野さんは、小学校の時にガキ大将と言われていた生徒と喧嘩して勝ったことがきっかけで、喧嘩世界一になりたいと本気で思うようになったそうです。
身長が小さかったアンディ南野さんは、小学校6年生の時でも140㎝しかなかったそうで、クラスの背の順ではいつも一番前だったそうですね。「前へ習え!」をしたことがなかったそうです。
中学校に上がっても低身長がコンプレックスだったアンディ南野さんは、背が高くて強そうな生徒にはせめて喧嘩くらいは勝ちたいと常に思っていたそうです。かなり普通の人とは違い変わってますよね。
意外にもスポーツではなく化学部という文化部に入っていたアンディ南野さんは、放課後などに喧嘩を豪快にして部活は地味な活動をしていたので学校でもそこまで悪目立ちはしなかったそうです。
学校とかでは何かが起こったらすぐに噂が回るので、おそらく本人の耳に入ってなかっただけかも知れませんね。
決して裕福ではない家庭で育ったアンディ南野さんは、高校進学を考える時期に私立に行くという選択肢は選べなかったそうです。3人兄弟だったので家庭にもお金がかかりますからね。
どうしても公立高校に進学したかったアンディ南野さんは、学年で下から数えた方が早いくらい頭が良くなかったのですが、中学2年生の後半から1年間塾に通って勉強を頑張ったそうです。
学校でも担任の先生に席を教壇の一番前にしてほしいと頼んでこともあり、地頭も良かったのか成績が急上昇した結果なんとか公立高校に進学できたそうですね。
アンディ南野の人生の転機: 喧嘩王からジムオーナーへ
なんとか公立高校に進学できたアンディ南野さんでしたが、真面目な生徒が多い環境に馴染めなかったのもあって、留年を3回もしたことで弟と同級生になりそうだったので20歳で途中退学したそうです。
高校の間もずっと喧嘩で世界一を目指していたアンディ南野さんは、強くなるために柔道部とラグビー部の筋トレを一緒にやったり、器械体操クラブに入って飛躍的に体が強くなったそうです。
器械体操に入ったことで身体が柔らかくなって、かかと落としを覚えたことで1対1の喧嘩で負けなくなったそうです。たむろしている他校の不良や暴走族なんかと喧嘩をする毎日だったそうですね。
それを見た友達がアンディ・フグの得意技が『かかと落とし』だったのを見てアンディ南野というあだ名をつけたそうです。友達が少なかったアンディ南野さんは、群れている不良を見るとやきもちで喧嘩していたそうですね。
あまりにも強いので極道界隈からスカウトをされることもあったそうですが、喧嘩をしたかっただけなので丁重にお断りしていたそうです。
そこから鉄筋屋でバイトをしながら21歳の時に通信制の高校に通って最終学歴は高卒だそうですが、40歳までに自分が想像する一番かっこいい喧嘩の場面を作ってそこで死のうと考えて生きていくようになったそうです。
戦う相手に困らないからと地下格闘技イベントの『喧王』に出場して優勝しながらも、ファイトマネーだけでは食べていけない状況だったので、親の脛をかじりながら生活していたそうですね。
アンディ南野さんは、喧嘩はしたいけど逮捕はされたくなかったので逮捕歴はないそうです。喧嘩は複数人が相手だったり、正当防衛的に喧嘩になったというシチュエーションを作って喧嘩をするそうです。
強面の相手がいたらわざとではない感じでぶつかってみたりして、手を出してきたら喧嘩を始めるそうですね。かなり質の悪い当たり屋ですよね。
アンディ南野さんは、30歳までまともに働かずに実家が所有する長屋で独り暮らしをして、光熱費や携帯代なども親が払ってくれていたそうです。
そんな状況を見かねた同級生で現在経営しているジムの太田会長から、1年間赤字でも黒字でも月給30万+家賃光熱費を給料として払う代わりにジムを経営しないかと提案されたそうです。
やることもなかったので、ジムの経営を始めることになったアンディ南野さんでしたが、当初は生徒が集まらずにずっと赤字だったそうですね。
アンディ南野の結婚と金銭の挑戦
転機となったのは30歳で付き合うようになった3つ上の女性と38歳の時に結婚することになった時で、きっかけは子供が欲しいと言われたことだそうです。
自分の40歳までに喧嘩で死のうと考えていた想いを捨ててでも一緒になりたいと思ったそうですね。彼女が40歳だったので子どもを産めるギリギリの年齢になって悩んでいたのが大きかったそうです。
結婚することを決めたアンディ南野さんでしたが、ジムの経営も上手く行っておらずに友達から200万円を借金しながら生活していたそうです。自分のライフラインやジムの電気代も払えないことも多かったそうですね。
そんな時に彼女と結婚する話になったアンディ南野さんは、結婚式の祝儀で借金を返済しようと考えたそうですね。知り合いや友達から結婚式をすれば少しは儲かると話を聞いたそうです。
大阪で一番大きな結婚式会場に友人や知り合い160人が来てくれたそうですが、振舞う料理やお返しなどの見栄を張りすぎて590万円かかったのにご祝儀の総額が400万円でマイナスだったそうです。
結婚式の収支がまさかのマイナスになってしまったことで、幸か不幸か銀行から200万円を借りなければいけなくなったことがアンディ南野さんを本気にさせたそうです。
結婚もして守るものもできたのに、今のままではお金が無くて生きて行けるかも危ういということもあってジムの経営を死に物狂いで頑張ったそうで、なんとか2年で借金も返済できたそうです。
アンディ南野と防犯パトロールの経緯
アンディ南野さんは2020年頃から大阪の北新地で、天満警察と北新地社交飲料教会から正式に依頼された仕事として防犯パトロールをしています。
きっかけは35歳の時に、違法なことをしている人を殴るのは合法だと自分ルールを作って暴力団が仕切っているミナミや兎我野町を歩いてキャッチが声を掛けてくると喧嘩をしていたそうです。
そうやって喧嘩をしているとヤバいやつがいると徐々に名前が広まっていき、暴力団関係ではない真面目に飲食店をやっているお店から日当を払うので腕章をまいて街を歩いてパトロールして欲しいと依頼されたそうです。
日当で15000円ほど貰えて喧嘩もできるということでやり始めたアンディ南野さんでしたが、徐々に客引きやキャッチが減ったことで感謝されたそうです。アンディ南野さんを見ると客引きは逃げていくそうですね。
その話が北新地の方まで届いたことで、違法客引きが多い北新地の自治体から正式に依頼が来たそうです。趣味のようにやっていた暴力も適材適所ということなんですかね。
自治体からの正式な仕事になってしまったことで逆に暴力できなくなっているそうですが、頭を下げたりしっかり説明することでなんとかなっているそうです。異名があるので戦わなくても話を聞いてくれるんですね。
アンディ南野さんからすると、35歳頃までお金にもならずにただ喧嘩世界一になりたいと思ってやっていた暴力が飯の肥やしになっているのは不思議だそうです。人生なにがあるか分からないとはこのことですよね。
アンディ南野と格闘技界への貢献
格闘技のジムを14年経営しているアンディ南野さんですが、格闘家が稼げない現状が悲しいそうです。日本ランカーでもファイトマネーは5万ほどしか貰えないそうで、日本チャンピオンでもバイト生活だそうです。
そんな格闘業界に少しでも貢献できないかと今年から『マネーファイト』というイベントも始動しているそうです。客席にいるお客さんからカンパしてもらって集まったお金を全部選手のファイトマネーに当ててあげているそうです。
格闘家がバイトしなくても格闘技一本で食べて行けるようになってほしいそうですね。現在注目を集めるブレイキングダウンにどうにか自分の周りの格闘家が絡めないかとアプローチの仕方を模索中だそうです。
チャンスがあればアンディ南野さんも出場を狙っているそうですね。「伝説の喧嘩師」という異名もあるしそのうち出場してそうですよね。
40歳までに喧嘩で死のうと考えていたアンディ南野さんも今では44歳だそうですね。現在では80歳になっても奥さんと月に一回は海外旅行に行けるような生活をするのが夢だそうです。
自分の子どもの将来も気になるしもちろん孫も見たいそうで、結婚したことで人ってここまで生き方が変わるんですね。
アンディ南野
コメント