三船美佳のルーツと芸能界デビュー
大阪に移住して10年になる三船美佳さんは現在41歳だそうですね。14歳で芸能界デビューしたので芸歴はもう27年になるそうで、俳優の三船敏郎さんの娘さんとして有名ですよね。
数年前には「THE虎舞竜」の高橋ジョージとの離婚劇が話題でしたよね。三船美佳さんが16歳だった98年9月に結婚しておしどり夫婦だったのが一転して驚きましたよね。
三船美佳さんは小学校の低学年の時に自分の父親の仕事について書く課題があって、父親の職業は「侍」と書いたそうです。
三船美佳/大阪に移住し再婚/パニック障害発症10年で辿り着いた向き合い方…
三船敏郎さんは時代劇の仕事が多かったのもあって家に帰ってくる時にちょんまげ結って着物で帰ってきたりしていたそうです。だから父親は侍が仕事だと思っていたそうですね。
三船敏郎さんが62歳の時に三船美佳さんは生まれたそうで、かなり高齢の時のこどもなんですね。この時期に父親は『男はつらいよ』など色々な作品に出演していたそうです。
こどもの頃って親の働いている姿を見る機会がないと家にいない時にどんなことをしているか分からないから職業を理解しにくいですよね。
三船美佳さんは小学校からインターナショナルスクールに行ったそうで、全ての教科を英語で学んだそうです。その教科の1つに「日本語」クラスが40分間あったそうですね。
父親が世界中の映画祭に回ったり、日本でも大使館で色々な国の人とパーティーで会う時に自分は通訳の人を介して伝えるしかできないことが良くないと思ったそうです。
これからの時代は英語が必要なのを父親自ら痛感していたので、娘の三船美佳さんにはそうなって欲しくないとインターナショナルスクールに入れたそうですね。
英語を喋れた方が良いという話を父親から子どもながらに聞いていた三船美佳さんは、将来は父親の通訳になるのが夢だったそうです。父親からすると嬉しでしょうね。
三船美佳さんはそのまま高校までインターナショナルスクールに通ったそうで、英語に関してはある程度問題ないそうで、むしろ日本語が危ういそうですね。
文章を組み立てて話をするのが苦手で、伝えようとすると長話になったりして馬鹿だと思われることが多いのでテンションで乗り切るようになったそうですね。
確かにテンション高くてよく笑いながら喋っているイメージが強いですよね。おバカキャラで売っていた時もありましたが、キャラではないパターンですかね。
三船美佳の転機 – おバカキャラからママタレントへ
14歳で芸能界デビューすることになった三船美佳さんは、その頃にはさすがに父親の通訳になりたいとは思っていませんでしたがやりたいこともなかったそうです。
そんな時に母親の知り合いの芸能関係者から芸能界に誘われて、完全に親の七光りでいきなり『明治ブルガリアヨーグルト』のコマーシャル出演が決まったそうです。
ビジュアルも良かったし世界のMIFUNEの娘の期待値は大きかったんですね。巨人の原辰徳さんとの共演でCMに初出演したそうですがコネクションって凄いですよね。
そこから芸能活動をロケットスタートして、父親のエピソードをテレビで話すことを求められて出演するうちに色々な番組やバラエティーにも出演するようになったそうです。
島田紳助さんの『ヘキサゴン』に出演してクイズの回答が常軌を逸していたことから、一時期はおバカキャラとして色々な番組に引っ張りだこでしたよね。
本人としてはいたって真面目にクイズに答えていたそうですが、インターナショナルスクールに通っていたことが逆に日本の常識について学ぶ機会が少なくなったとのことです。
ただそれが世間にはウケたことで勢いは止まらずに『いいとも!』でも木曜日レギュラーとして、キングコングや鶴瓶師匠と番組を盛り上げていました。
三船美佳さんは女優のようなイメージで芸能界に入りましたがいつしかバラエティーが主戦場になったそうですね。確かにドラマや映画で演技しているイメージはないですよね。
三船美佳さんが15歳の時に父親の三船敏郎さんは亡くなったそうですが、亡くなる数年前からアルツハイマー病が酷くて三船美佳さんの事も分からない状態だったそうです。
娘が14歳で芸能界デビューしたことも理解はしていなかったそうですね。家に帰ると家族のことが分かる時もあれば、急に他人のように話しかけてくるような時もあったそうです。
奥さんや三船美佳さんも最初はかなり戸惑ったそうですが、だんだんと理解して三船敏郎さんが亡くなるまで上手く付き合ったそうですね。ボケるって怖いですよね。
父親が亡くなった時に三船美佳さんにもたくさんの記者からインタビューがあったそうですが、そういったインタビューに答えているうちに一家の大黒柱を失った危機感が芽生えて自分が家族を支えようと心に誓ったそうですね。
15歳でしたが芸能界の仕事を全力で頑張ってしっかり食べていける状態にしようと奮起したそうです。
母親はもともと「喜多川美佳」という芸名で女優業をやっていたそうですが、三船美佳さんを産んだタイミングで女優を引退したそうです。「美佳」はそこから付けたんですね。
三船美佳の新生活と再婚
三船美佳さんの転機は23歳の時にこどもを出産した時だそうですね。今でこそママタレントはたくさんいますが、当時は芸能界にほとんどいなかったそうです。
だから芸能界ではアグネス・チャン以来だと言われていたそうですね。出産によってママタレントとして仕事の幅が広がってバラエティー以外のお仕事にも呼ばれるようになったそうです。
昔は母親のように女性は出産したら芸能界は引退と言う流れが普通だったんですね。それが男女平等の世の中に近づくにつれてママタレントが当たり前になりましたね。
31歳の時に東京でレギュラーとして出演している番組が終わっていくのと同時に大阪でのレギュラー番組が自然と増えたので大阪に移住を決断したそうです。
それを機に母親も一緒に大阪に移住して娘と3人暮らしが始まったそうですね。そこで今の旦那さんと運命の出会いがあったんですね。
出会いは三船美佳さんの女友達の友達だった男性とサーフィンに行ったことだったそうです。
三船美佳さんの女友達がこどもを連れてきていて、そのこどもと今の旦那が無邪気に遊ぶ姿を見て良い人だなと好意を持ったそうですね。その男性と交際して2019年4月に3歳年上の一般男性と再婚することになったんですね。出会いは突然ですよね。
旦那さんと出会った頃に娘が中学生だったこともあって再婚には躊躇しかなかったそうです。年頃の娘が父親として受け入れてくれるか分からないですからね。
しかし不安とは裏腹に旦那が娘と初めて会った時からフィーリングが合っていたそうですね。娘も人見知りなのになぜか旦那さんとは自然に打ち解けて会話していたそうです。
そして、娘の後押しもあって出会って1年後に結婚を決意したそうです。現在の旦那との間にも子どもが生まれて現在3歳だそうですね。娘さんが拒否しなかったのは強いですよね。
実は三船美佳さんは過去に「パニック障害」を発症して番組中に倒れてしまったり仕事に支障が出たこともあったそうです。精神的に不安定になった時に発症しやすいそうです。
パニック障害を発症するまでは運転が好きな三船美佳さんでしたが、トンネルに入った時に逆走しているような錯覚に陥ることが10年間で何度か続いたそうですね。
その症状が良くなったのは沖縄の座間味島の観光大使を務めることになってスキューバダイビングをする機会だったそうですね。沖縄の海が壊れた心を癒してくれたんですね。
人間の羊水と海水は成分が似ていて、一説には基本的に1つの成分しか違わないとも言われています。海に触れることが落ち着く人にはかなり良いんですね。
色々な不安が重なってパニック障害は発症してしまっていたのですが、再婚もして将来の不安を考えるより今を楽しんだ方が良いという基本的な考えが出来るようになったそうです。
おバカなのは治りませんがこれからも2児の母として家族を第一に考えながら大阪を拠点に楽しんで芸能界の仕事を頑張りたいそうです。
三船美佳
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