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サイコルシェイムDAISHIが暴走族の過去と現在は!?

歌手

サイコルシェイムとは、ビジュアル系バンドで
5人グループで活動している方々です。

今回は、サイコルシェイムさんについて
詳しくまとめていきたいと思います。

メンバーであるDAISHIさんは
サイコルシェイムのボーカル担当で
リーダーだと思われることが多いそうですが
リーダーという立場ではなく、
あくまでボーカル担当。ということでした。

さらに、DAISHIさんは
自身でジム経営もしています。

そのジムの会員は100名ほどにもなるんだとか。

店名は、
パーソナルジム MIRO
という、東京都目黒区にあります。

中目黒駅から徒歩5分の隠れ家的パーソナルジムのようですね。

ジムのスペースとしては、
トレーニングルームが3部屋あり
DAISHIさん自身もとても
筋肉がすごいようですね。

DAISHIさんが体を鍛え始めた理由は
YOSHIKIさんに憧れて
そのストイックさを見習わないといけない。と
思い、鍛え始め、ジム経営も始めたんだとか。

そして、DAISHIさんは
関西出身で、兵庫県姫路市と
していますが、家庭が複雑だったので
引っ越しが多く、あまり記憶にないといいます。

サイコ【前編】サイコルシェイムDAISHI/両手小指なし全身刺青/ヤクザ父が失踪し養子に…/メジャーデュー後も…


さらに、DAISHIさんのお父さんは
なんと、刺青全身で、小指が両方ともない方なんだとか。

DAISHIさんが幼かった頃には
そういう人たちが一緒に住んでいたといいます。

しかし、DAISHIさんは
そういう方達が嫌いだったといいます。
子供ながら、そういう人たちと
一緒にいるのが恥ずかしかったんだとか。

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すると、お父さんは急にいなくなり
その原因は、刑務所に入っていたんじゃないか。
と、DAISHIさんは大人になった現在
思うようになったようです。

そして、DAI SHIさんは、
小学校5年生の時に養子に出されます。
お父さんが長い間帰ってこないため
お母さん1人で育てるのが難しくなり
養子に出されたという形です。

お父さんがいない間、
お母さんだけの時期には、
義務教育にも行っていなかったんだとか。

大阪・名古屋・尼崎を
転々としていましたが、尼崎に
いる期間が1番長かったそうです。

父親がいたときは、かなり
お金はあったようですが、
刑務所に入っていたであろう
父親がいなくなってからは
アパートの、お風呂もないような
家に変わったといいます。

そこから、東京に移りましたが
やはり、関西弁だと、関東では
いじめがあったそうで、
DAISHIさんは、子供ながらに
それがキツかったそうです。

そして、先ほども書いた通り
小学校5年生に、養子に出されます。
その順序としては、
母親の兄、つまりDAISHIさんの
叔父にあたる方に、DAISHIさんだけ
養子に出され、妹さんは
お母さんの元に残ったといいます。

養子に出てからは、
平凡な生活になったんだとか。

養子先になった母親は
「子どもが欲しい」と言っていた
タイミングと、DAISHIさんが
養子に出されるタイミングが
ピッタリあったようで、
かなり可愛がってくれたそうで
自転車も2台買ってくれたりしたそうです。

DAISHIさん的には、
お母さんと離れるのが嫌というより
妹さんと離れるのが嫌だったようです。

しかし、家庭環境が最悪だった
DAISHIさんは、養子先で
自分の部屋をもらえたり
ゲームを買ってもらったりして
かなり甘やかされていたんだとか。

なので、こっちの方が幸せだとも
思ったこともあるんだそう。

そして、高校1年生の頃には
少し悪いグループにいて
バイクで事故なども普通だったんだとか。

認められたい、などの
感情が、そういう悪いグループに
入っていくようになったそうです。

なんと、卒業式に警察官が絶対に
学校で見張っているほど
結構有名な悪いグループがいるところに
在籍していたようですね。

【後編】サイコルシェイムDAISHI/渋谷で外国人から覚醒剤/自宅ガサ入れツアー前に逮捕/出所後も再犯の誘惑/刑事に顔色見られ


そして、DAISHIさんが
バンド活動を始めようと思う
きっかけのことが起こります。

それは、悪かった先輩が
学祭にて、バンドを組み舞台で
全校生徒に向かって披露したんだとか。

それを見たDAISHIさんは、
感動し、「これはバンドなのかもしれない」
と、バンドに目覚めたようです。

そこからはリーゼントもやめて
髪の毛を伸ばし出し、ピアスを開けて
バンドを本格的に目指したといいます。

暴走族にいた友達を数名集めて
バンドを組みましたが、
容姿を変えても、やはり移動などは
いかついバイクでの移動で
スタジオに行くと
「舐めてんのか?」とよく怒られたんだとか。

高校2年生になった時には
バイクに乗る確率も半分に減って
最終的には、バイクをやめたといいます。

暴走族的にも、いきなり抜けると
やはり、目をつけられてしまって
大変だった時代だそうで
そのため、ゆっくりと時間をかけて
行かないようにし、そのまま
自然と消える。というようにしたんだとか。

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暴走族の世界とは、やはり
結構怖い世界なんですね。

その時に組んでいたバンドのメンバーは
就職するか、メジャーデビューを
目指すかという時に
DAISHIさんは、メジャーデビューを目指そうと
誘ったものの、他のメンバーは
「現実を見ろよ」と、就職を
選んだそうですね。

メンバーがいなくなったので
DAISHIさんもバンドから離れ
飲み屋のバイトをしていたんだとか。

バンド活動から、完全に離れるわけではなく
ちょっとやりつつ、
バイトもしていた。という感じです。

しかし、バンドメンバーがいないので
活動という活動をできるわけはなく
DAISHIさんはそのバイト先に就職したといいます。

姫路市にある飲み屋のようですが
東京でいうと、歌舞伎町みたいな街だったそうです。

18歳から20歳までそこで
仕事していたようですが、
歌舞伎町のような飲み屋街ということは
やはり未成年が働いていい場所では
なかったようです。

今現在のコンプライアンスだと
確実にアウトのようですが、
DAISHIさんが働いていた頃は
今よりも全然ありえる話だったようで
何も気にせず働いていたといいます。

もちろん、飲み屋なので
お酒も飲むので、未成年ではダメですね。

そして、今現メンバーである
Lidaさん、DAISHIさんの幼馴染のようですが
偶然街でばったり会い、
コピーバンドからでもいいから
バンドをしたいなと思っていた矢先だったそうで
Lidaさんがギターをやっていることは
知っていたので、DAISHIさんは
Lidaさんを誘ったようです。

そこから、3.4人メンバーを
増やすことができ、DAISHIさんは
飲み屋で働くことをやめました。

その理由は、飲み屋で働いていると
いつでも会える人になってしまう。
ステージでしか会えないようにしたい。
という思いで、やめたそうです。

しかしそこから3年間、全く売れず地獄だったといいます。
仕事がない状態なので
もちろんお金が入ることもなく
裕福だったDAISHIさんは、一気に
貧乏生活になったんだとか。

仕方なく、飲食店でバイトをしていたといいます。
音楽には関わっていたかったため
楽器が置いてあるカフェなどで
バイトをしていたといいます。

そこから、そのバンドでメジャーデビューの
話があったものの、DAISHIさんは
このメンバーでは売れないと確信したようで
また解散します。

そして、現在のメンバーに至ったようですね。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

DAISHIさんの人生が
なんだかすごくてびっくりしました。
そして、色々な苦労があったものの
現在は、ジムを経営するなど
すばらしい活躍ですよね!

これからも、サイコルシェイムDAISHIさんの
活躍を応援していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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