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あやまんJAPANの意外なメンバーと現在結婚は!?

芸能人

あやまんJAPANは、2010年『とんねるずの みなさんのおかげでした』のコーナー『安すぎて伝わらない素人芸選手権』に出演し優勝したのがきっかけでブレイクしました。

あやまん監督は2014年に『あやまんJAPAN株式会社』を設立し、現在も活動を続けています。活動内容は『皆さまの、いろ~んなところを盛り上げる』とブレイク当時から変わっていないそうです。

主要メンバーはアヤマン監督サムギョプサル和田たまたまこの三人で、その下に育成選手ユースと呼ばれるメンバーが全国に数万人いるそうです。

その数万人のメンバー達は、業務委託のような形でイベントコンパニオンの仕事を依頼しているそうです。

あやまん監督の出身地は、群馬県の前橋市で幼少期は明るく元気で小学生の頃は6年間学級委員を務めるほどまじめだったそうです。

高校生の頃にギャルが流行り始めて、あやまん監督もアムラーになり厚底ブーツにルーズソックスを履き、日焼けサロンで黒くして髪の毛白メッシュにして、パリピっぽくなったそうです。
ちなみに、群馬1黒いと言われるほどの黒さだったそうです。
群馬で育ったことで、東京への憧れが強く渋谷のセンター街によく遊びに行ったりしていて、ギャル雑誌のeggに載ったこともあったそうです。

高校卒業後はフリーターになり、アパレルの仕事を3年ほどやっていたそうです。
20代前半で、イベントコンパニオンという仕事があることを知り、やってみたいと思い東京のイベコン事務所に登録に行ったそうです。

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そのイベコン事務所で知り合った先輩にサッカー選手との飲み会に誘われていったのが、あやまん監督の初試合だったそうです。
この飲み会で、自分のことを「見た目も可愛くないし、トークも全然面白くないし何も残せなかった」と思ったそうです。

それからも先輩に何度も飲み会に誘ってもらっていたそうです。
その都度先輩のことを観察していると、トークが面白くてうまい具合に下ネタを入れていたのをマネするようになり、それから少しずつ結果を残していけるようになったそうです。

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その後、サッカーの日本代表と飲み会をする機会があり、「日本代表は侍ブルーだけど私たちは、ヤリマンブルーだ」と言い、もともとのニックネームの「あやまん」と岡田JAPANをかけて、あやまんJAPANを名乗るようになったのだそうです。

飲み仲間の子たちの中で、この子はゴールキーパーの〇〇、エースストライカーの〇〇などとポジションも決めていたそうです。

ヤリマンブルーと言っていて、実際のところどうだったかというと、メンバーの中でやりまくっている子もいたそうですが、あやまん監督は「飲み会を盛り上げることを続けたい」という思いから、することはなかったそうです。

メディアに出る前は、サッカー選手や野球選手、芸人から俳優まで幅広い方々に飲み会に呼ばれていたそうです。

その中でも、大物歌手の『南こうせつ』さんとも飲んだことがあるそうで、その際に南こうせつさんから「あやまんJAPANはポップなエロだから、ずっと明るくてポップなエロを貫きなさい。あなたたちのぽいぽいは天照大神を目覚めさせた天岩戸を開かせた群衆の裸踊り」

「あなたたちがぽいぽいをすることで、世の中が明るく元気になるんだ」と言われ、すごく勇気をもらい、これからも頑張っていこうと決めたそうです。

テレビ出演のきっかけになったおぎやはぎの矢作さんとの飲もかなり盛り上がっていて、テレビでは放送できないようなこともしていて、とても喜んでくれたそうです。

逆に矢作さんたちもサービス精神旺盛で、所属事務所の人力車の芸人さんたちは、これまで飲んだ芸人の中では1番いいそうです。

テレビ出演後、いろいろな芸能事務所から誘われていて、その中でも気志團の綾小路翔さんの事務所SMAに決めようとしていた時、吉本興業からも誘いがあったそうです。

SMAはあやまんJAPANをアーティストとして売っていこうとしていて、一方吉本興業はタレントとして売り出そうとしていました。
もともとタレントになりたかったわけでもないのに、急に芸能界の岐路に立たされて、さくらだと、ルーちゃんと3人でとても悩んだそうです。

悩んだ結果、アーティストになるよりタレントとして楽しいことをやった方がいいという結論になり、吉本に入ることになったそうです。

当時着メロや着ボイスが流行っていて、吉本から着ボイスを出すことになり、フジテレビのプロデューサーから電話があり「なんで勝手に吉本で着ボイス出しているんだ!」と怒鳴られたそうです。

その背景にはフジテレビの番組でブレイクしたから相談してほしかった。フジテレビのサイトのフジメロで出してほしかった。というのがあったそうです。
このことがきっかけで、フジテレビは君たちとは仕事はできないとあやまんJAPANは切られたそうです。

このことで、落ち込んだもののもっとブレイクしてまた一緒に仕事したいと思われるようになる!と頑張れたそうです。

テレビによく出ていたのは2,3年で、その後オリラジの藤森さんとのコラボで再ブレイクしたものの、仕事はどんどん減ってきたのだそうです。
そこで、事務所に対しやりたいことを伝えていたのですが、事務所は受け入れてくれなかったそうです。

このころさくらだが、スチャダラパーBOSEさんと結婚したことをきっかけに、あやまんJAPANを卒業しました。

このことで、事務所にいる意味が分からなくなり、やりたいことを自分たちでやろうと思い事務所を退社し、2014年に あやまんJAPAN(株)を作ったそうです。

会社を設立した当初は、事務所に所属していたときより仕事が増えて、営業やイベントに呼んでもらえたり、会社を作ったこと自体が話題になりテレビ局が密着取材に来たりMXでレギュラー番組もてたりと忙しくしていたそうです。

その後は、とても忙しかったわけではないが、ご飯が食べれる程度の収入があり、のらりくらりとやっているそうです。

コロナ禍の今は、仕事ができない状態で暗い日々を送っているそうです。
少し前に彼氏が出来たそうで、そんな生活でも彼がいてくれるから何とかやっていけると思っているそうです。

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彼は12歳年下で、あやまんJAPANをやっているあやまん監督がいいらしいです。世間一般の人はあやまんJAPANにいる人とは付き合いたくないとか思うそうですが、彼にはそういった気持ちはないそうです。

あやまん監督は、もともと潔癖症で電車の椅子も汚いものと思っていて、つり革は絶対に触らないそうです。
シャンパンの回し飲みの時もとても嫌だと思っていて、ほかの人が口付けてないところを探して飲んだり、口をつけずに浮かせて飲んだりしていたそうです。

お酒も得意ではなかったそうですが、飲み会で何かを披露して盛り上がってくれることで承認欲求が満たされていたそうです。

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若いころは結婚願望はなかったそうで、その当時から結婚願望がすごくあればこの選手と結婚しようとか、この人落としてやろうとかできたけど、そういう気持ちが一切なく飲み会に行っていたので、いまだに結婚できないでいると思っているそうです。

今はせめて子供が欲しいとは思っているそうで、今の彼氏とうまくいけばいいですね。

過去を振り返ってみると、めちゃくちゃ楽しかった。「群馬から出てきたたいしたことない女が、六本木で一生懸命飲んでたらテレビに出れて、一時でもすごい売れっ子みたいな生活させてもらって、悔やむこともあるけど総じてラッキーガール思う」そうです。

華やかに見える芸能界の裏側では、様々なことが起きていて、あらゆる苦労があって視聴者に届くんですね。
これからも、あやまんJAPANとして活躍することを期待しています。

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